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 「敵襲!!敵襲―――――ッ!!」

 ガンガン警鐘が鳴り響いている。火事のときに鳴らされる鐘の音だ。町は早くも火の海になっており、市民が逃げ回っている。「わあああ!」声がした。「!!」

 ハール!コノカは走った。傍らで火柱が上がっている。竜が炎を吐いたのだ。聖竜は油よりも燃え盛る唾液を吐く――近くで誰かが倒れている。息がないのは明らかだ。「ハール!」

 刹那コノカは立ち止まった。アリエスが道の脇に屈んでいる。斜めに崩れた家屋の前にしゃがんでおり、柱を持ち上げようとしているのだ。「――ハール!」

「助けて!助けて!!」声がした。子供の声だ。竜がなぎ倒したらしく潰れた家の下から声が聞こえている。窓からガラスを突き破って血塗れの――人間の腕が生えており、子供が叫んだ。「ママ!ママ!!」

 コノカは身震いした。恐怖で凍りつく。「糞!」ハールが――アリエスが吐き捨てた。「何て真似を…!」

 村の襲撃、コノカは思い出した。あれとまま同じことが起きようとしている。ただし、もっと大規模で。あの時もハールは潰れた家の下から母子おやこを助けようとした。だが、その姿に気付いた竜をおびき寄せてしまうのだ。そして瓦礫に火を点けられてしまい――

 目の前で、焼き殺されてしまうのだ。母子ともども生きたままで。「ハール…!」

 煙が上がっている。あちこちで火の手が上がり周囲が見えない。『聞こえるか、ハール!』

 そのとき声が上がった。どこからか。あれはリュビテルの隊長だ。『投降せよ!ハール黒太子!!私はリュビテルの長オルギウス!貴殿の身柄を拘束する!』

 やっぱり、コノカは思った。あの卑劣漢オルギウス。『新王の命により推参した!今姿を見せればこれ以上の被害は出さない!』

 アリエスが立ち上がった。怒っている――それも、尋常じゃなく。待って!ハールは飛びついた。「落ち着いて!乗せられちゃ駄目!!」

 本来なら最後に首を撥ねられる。あの男は、ハールの手によって。だが――か弱い女性アリエスなのだ。そしてあの章では、確かにアリエスは捕まった。一度は後ろ手にされねじ伏せられて、肩まで折られて。

 そして今ハールはコノカなのだ。立場がまるで逆。捕まったアリエスをすんでの所で助けるような真似も出来ない!

『今から十数える!』男は言った。まま同じだ。物語の流れと一緒。『それまでに姿を現せ!でなくば全ての命は無い!』

 その瞬間、アリエスは前に出ようとした。駄目だってば!だがアリエスの力に引き摺られてしまう。一つ!カウントは始まっており、コノカは叫んだ。「こ、の――」

 わからずや!ハールは喚いた。あの時も最初アリエスは止めていた。母子を目の前で焼き殺され、辛うじてアリエスの機転で身を隠したあのときも。(駄目、出ては駄目!ハール)

 二つ!声は響く。頭に蘇る。ありありと、あのシーンが。アリエスを引き摺るようにして前に出るハール。その目は怒りが滾っており、赤く魔法が揺らいでいる。そして怒鳴るのだ。三つ!の声と同時に。(オルギウス!)

「――オ」

 その瞬間声がした。別の声が。『オルギウス!!』天から降ってくるみたいに。ヒュバッと音がして、宙で何かが旋回し――刹那ドッと赤い血が波紋が描いて飛び散った。あっと声が上がる。「レリオット!!」

 何かが飛んだ。それは、切断された竜の首だ。剣を構えたままレリオットが降りてくる。「貴様、何と言うことを……!」

 護国卿レリオット、コノカは思い出した。そう――そうだ!忘れていた、ハールのもう一つの右腕。斬撃はソマール一とも謳われた男!ぐらりと首を無くした竜がバランスを崩し上から落ちてくる。鐘楼の上に居たらしく、レリオットは怒鳴った。「恥を知れ!竜騎兵ともあろう者が……!」

 アリエスが我に返った。足を止める。その瞬間ハールは言った。「お、願い、ハール!」

 言いたくないけど――ハールは首を振り目を閉じた。でも言うしかない!「聞いて!今の貴方じゃ闘えない!」

途端に殴られたようにアリエスは動きを止めた。

「知ってるの!」ハールは続けた。「知ってるのよ!ここじゃないけど、アリエスが――あいつらが来てどうなったか!だから引いて!ここは任せて!レリオットに――わ、わ、私に。頼むから貴方はあの母子を助けて!」

 アリエスが目を見開いた。その身体を捕まえ抱き寄せる。じゃないと貴方は――!!

「――護国卿?」オルギウスは訊いた。落馬ならぬ竜の背中から落とされ尖塔の上に立っている。「護国卿レリオット殿か。この町にご滞在であったか」

「黙れ!」レリオットはねめつけた。剣を構え煮えくり返っている。気迫で空気が震えるほどで、「よくも罪も無い者を巻き添えに……!!」

 駄目、ハールは踏み出した。駄目よ、と思う。それ以上挑発しちゃ駄目、だってその台詞は、

 ハールが言う言葉だったから?好戦的で野心的な、実力者のオルギウスに。挑まれた戦いにはけして背を向けない、それがオルギウスだ。例え女であっても、老人の挑んだ仇討ちであっても――遠慮なく首を撥ねる。だからこそその言葉で逆に火を点けてしまい、

 大変な苦戦を強いられるのだ。(…!)

「か…!」

 刹那、ハールは魔法を紡いだ。ほとんど無意識に頭の中で。魔法を起こす基本は二つ。印を結ぶか、それとも頭の中に完全な詠唱を即座に諳んじるか!

 ボッ、と音がした。ほとんど同時に黒い渦が周囲に渦巻く。違和感を感じ、レリオットが振り向いた。いや振り向こうとした。そのとき、

 ゴッと音がして周囲が眩んだ。黒い煙のような炎が一瞬にして広範囲に広がる。それはあっと言う間に渦を描いて、尖塔の上に立っている男に襲い掛かった。「何だ!!?」

「ハール様!?」

 叫んでから、レリオットは声を引っ込めた。両脇の建物の屋根の上でギャアッと声が上がる。竜だ、他の兵士も来ていたのだ。だが――

『貴様――ハール黒太子!!』

知っている、ハールは――コノカは思った。だってあの竜は唯一弱点があるのだ。それは闇の魔術が苦手なこと。ハールはあのとき、我を忘れていた。そしてとっさに自分が最も嫌いな魔法を紡いだのだ。長い間、兄たちや国の人間に蔑まれ、母を殺されて――深い怨恨と憎しみを抱いていた。それに自ら火を点けたくなかった。それで封じてきた魔法をだ。だが、

それが効を奏した――そして空を交う竜を撃退したのだ。お陰で彼自身、酷く苦しむことになるけれど。

 ギャアアアア!竜が咆哮し飛び立った。一斉に、周囲の屋根から竜が発つ。あっ!待て!声がして、背中の騎兵が制そうとした。だが――

 手綱を取りきれず振るい落とされる。ハールは目を据えた。ズッ、威力を上げていく。底なしの勢いで。ズズズズズズズ!!

 わああああ!声がした。竜が一斉に飛び立ち逃げ始める。一人はあぶみに足を取られたまま――逆さ吊りになって。黒い煙のような炎は渦巻き彼等にまつわりついた。背中から人間が振り落とされる。「わああ!」

(膨大な量だ。あれを諳んじて一瞬で頭に浮かべなければ、同じ効果を生めはしない。覚えきれないだろう?)

 ナメんじゃないわよ――コノカは思った。レリオットが絶句している。A4サイズの呪詛の群れ、そんなもの、初見で覚えられるはずがない、だが、

 私はロイギルの大ファンよ?!!ハールは睨んだ。傍から見れば悪魔みたいだ。どの頁のどの行に何が出て来たかも覚えてるの!!そんなもの、覚えられないわけ無いじゃない!!

 ぐわあああ!オルギウスが叫んだ。黒い炎に焼かれているのだ。竜巻みたいにそれは渦を描きますます威力を上げ続ける。そして私は――

『社畜』よ!!ハールは目を光らせた。元・社畜!!この世の不条理や憎悪は知り尽くしてるの!!!「ああああああ!!」

 オルギウスが叫んだ。身体が灰になり始めている。六時起床、七時出社、八時朝礼社訓の唱和!!どこかで聞いた台詞を絶叫する。何気に後ろに某ラップバトルのキャラが目にモザイク付きで見えているのはここだけの話――長時間労働ない終電!給料さえ仮想通貨!!オルギウスが叫んだ。止めてくれえええ!!!

『辞められるなら辞めとるわぁああ!!』コノカは叫んだ。ズドドドドドドドド!!地鳴りがし始める。『何が有休?!!定時で退社?退職金さえ出しもしないで――――!!』「何の話―――――!!!」

 粉々になる。オルギウスの甲冑が。それだけでなく彼自身が灰のようになり――刹那、相手は砂のようにくずおれた。足から砂人形みたいに崩れ落ちる。「ハール!!」

 いや、コノカ!声がした。遠い――物凄く遠い。誰かが叫んでいる。もういい!止せ!落ち着け……!!街が、崩れる…!!

 その瞬間、誰かが飛びついた。腰に真横から。「止せ!」誰かは言った。「コノカ…!」

 言うなり声がした。それは他でもない――『ハール』の声で。「頼む、!!」

 ブツ、頭の中で何かが切れた。それはいつの間にか、繋がっていた太い太い電源コードを強引に引っこ抜いたみたいに。同時に凄まじい反動が来て、コノカは地面にくずおれた。

 ロイギル――コノカは思った。あれと同じだ。ハールは、正しくはあの時一瞬の隙を突きオルギウスの首を撥ねた。だがその瞬間、長年封じてきた魔法の反動が来て――

 口から血を吐く。アリエスが飛びつき、必死に介抱するのだ。ハール!ハールお願い!しっかりして…!!

 そして――そして言うのだ。自分の中で暴走する魔法を抑えらないハールに。(貴方を失いたくない、ハール…!)

 抱き寄せられる。何故か男の腕だ。他でもない――ハール自身の手。あれ?そのとき声は言った。

…!!」

 ふっ、と思考が止まる。それは急に、急激に。え、えっ?ほとんど困惑みたいな感覚が走り抜け、その瞬間、

 映像を見た。それは走馬灯だ。有り得ないもの。ずっと――ずっと、アリエスの姿として見てきたもの。だが、

 焚き火に向かうハール。彼女の料理に感心したり、初めて笑ってくれたり。魔法を手取り足取り教えたり――それは、他でもないハール自身の姿だ。黒髪に端正な顔立ち。黒い衣装。仏頂面で冷たく見えるが、優しく、本当はよく喋るし喜怒哀楽が激しい。何で?コノカは思った。何で……

 自分が立っている。スーツ姿のままで。冴えない――冴えない一つ括りに何の個性も無い容姿。だがハールはコノカに向かって微笑んだ。

 し――

 死に、たくない。コノカは思った。死にたくない。目を開ける。こんな奇跡きっともう二度と起きない。例え、どんな姿でも、憧れた人の傍に居られるなんてことは。だから神様、お願い――

 手を掴む。誰かが彼女の手を。その時視界が戻ってきた。

「………」

 アリエスだ。目を閉じ必死に詠唱している。治癒魔法だ。彼女の――いや、ハールの手を握り、ひたすら魔法を紡いでおり、

 泣いている。ほんの少し。目尻に涙が浮いている――

(……やだ)コノカは笑った。(らしくない。黒太子が泣いていいの?)

 アリエスが目を見開く。その瞬間、ふっと意識が霞んで無慈悲にも周囲の全てが途絶えた。

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