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「良いか、頼みがある。基礎の魔法だけでも使えるようになって欲しい――頼みの綱は君の魔力だ」

 夕食が済んでから、ハールは町の表に連れ出された。広大な港町でも一歩外に出れば元の荒野だ。レリオットは街に残っている。お前の下手くそな訓練には付き合ってられん、ということらしく、荒野にはハールとアリエスだけが立っている。そろそろ夕闇が近付いており、獣が出歩く時間帯だ。「ね、ねえアリエス…」

「案ずるな」アリエスはあっさり言った。「獣は町の一里以内には近寄らない。結界が張られているからな。コノカ――君は魔術の基礎を知っているか?」

 知るわけない。ハールは唸った。言っておくけど、そんなもの私の世界には無かったのよ?呻いてやる。「では最初から」アリエスは気にせず続けた。「魔法とは、この身に流れる血に宿るもの。こんな話を聞いたことがないか?」

「人には心の色がある」アリエスはポンと自分の胸を押さえた。「感情とも言うが。魔法はそれに上乗せする――怒りなら、炎を。凍てつく想いや冷淡さには氷を。内に渦巻く情動ならば水を。憎悪ならば闇を」

 喜怒哀楽?ハールは訊いた。そう!アリエスはポンと手を打った。「それに敏感であればあるほど――効果は強くなる。慈悲深い司祭が治癒を得意とするように」

 ははあ……ハールは頷いた。何だか分かるような分からないような……「じゃ、じゃあ、ハールは意外と喜怒哀楽が激しいってこと?」

 途端にアリエスは――ハール本人はきょとんとした。普段あまり感情を露にしない顔だ。「…俺は元々感情豊かだが」と言った。「嘘よ!?」ハールはぎょっとした。「マジで?!!」

「よく笑い、怒る」アリエスは頷いた。その顔は相変らず仏頂面に等しい。「今だって笑っているだろう」「ど、どこが……」

 冷徹無比のハール黒太子。ハールは思った。あまりに感情が出ず、そして表情の変化に乏しいので気味悪がられていたと。だが確かによく見るとどこか笑っているような……

 無理。ハールは膝をついた。やっぱり分からない、思ってしまう。この表情のどの辺に感情が?「まあ、話は逸れたが」

「見たところ、君も感情豊かなほうだ」アリエスは続けた。「それなりに人生経験もあるようだし……まして今は俺の体、魔力には事欠かない。育てれば伸びるに違いない。さあ」

 まずは基礎からだ!言うなりシュババババと印を組まれる。待って!ハールは思った。待って!!?陰陽師の早送りでもそんな速度で組んでないわよ!「無理よ!指が攣る――――!」

 二時間ほど亀のようなスピードで印を組む。こうして、こうして、こう……グキ、妙な音は鳴るわ、コノカは呻いた。い、いつまで続くの?この訓練……

「詠唱とかはないの?」コノカは訊いた。「有りはするが――」アリエスは呆れている。「膨大な量だ。あれをそらんじて一瞬で思い浮かべなければ、同じ効力を生めはしない。だから印のほうが手っ取り早い」

 そこまで言うなら止めはしないが。ハールは本を差し出した。ぺら、と捲ってみる。A4サイズくらいの辞書みたいな本の両面に、字がビッシリ。「う」「闇魔法だ。最も威力のある魔法だが……」

「強い苦悩と憎悪が無ければ使えはしない」アリエスはぴょこんとハールの前に屈み込んだ。「君は優しい…おそらく、使用出来て炎か雷が限度だろう」

 はあ…ハールはがっくりした。「あとは『展開』。想像力だ。どのように繰り出した魔法を展開するか。基本は直線、曲線、波紋を描くなどだが…」

 君は料理がとても上手い、アリエスはちょっと笑った。「本来あれは意外に難しいが…君は使いこなせている。ならば『展開』については問題ない」

 頑張ってくれ。アリエスはちょんと岩に座った。うーんうーん、相変らず亀の速度で印を組むハールを見ている。「もっと正確に。一つでも組み違えれば失敗するぞ」「それでこの間大量のニワトリが出たの?」

 遠くで雷が鳴っている。暗闇に、夜空に紛れて。気味悪いこと限りないわ……そう思ったとき、ふいにアリエスが顔を上げた。「――」

 どうしたの?ハールは首を捩って振り向いた。だが、そのときふいに何かが空を近付き飛んでくる。「隠れろ!」

 その瞬間、ハールは信じられないものを目にした。遠雷轟く、暗い空の下を何かがぐんぐん接近してくる。空を裂いて――何、あれ!思った瞬間アリエスがハールに飛びかかった。ヒュバッ、音がして何かが背中を横切る。

 銀色の爬虫類。ハールは思った。長い尾を持ち背中に翼を生やしている。それは一瞬で、二人の上を次々横切ると宙でうねるように滑空し町の方へと飛んでいった。続いて同じ物が――一ダースほど!

 き――ゃあああ!ハールは叫んだ。無茶苦茶に風を切る音が響き渡る。ギャアッと一頭が鋭く鳴いて次々町の方角へ消えた。「ハール!あれは…!」

「翼竜だ!」言うなりアリエスが身を起こした。刹那、遠ざかった竜の背に甲冑を着た人間が跨っているのが見えた。赤いマントに銀と黒の甲冑。アルタイルの兵!

 な、な……!コノカは――ハールは唖然とした。とっさに思い出す。あれは、アルタイルの翼竜兵だ。確か逃亡中のハールたちを一度村で襲ったリュビテルの竜騎兵!!何でここに……!

 ボンと音がした。遠くで。途端に闇夜にぱっと赤い光が翻る。炎だ、確かあの竜は、鱗が鋼鉄よりも硬く火を吐く――それで、確か小さな村も皆殺しに!!

「コノカ!」

 アリエスは駆け出した。身を翻し、風のような速さで。待って!ハールは後を追った。危ない、危ない、頭の中でガンガン言葉が響いている。危機感が充満し――ハールは叫んだ。駄目!ハール!

 だってあれは聖竜なのだ、コノカは思い出した。話を読んだから知っている!リュビテルの竜騎兵たちは竜を使い分ける。聖竜は最も気位が高く気性が荒い――だからあのとき、ハールはさんざ苦戦を強いられたのだから!

 それもハールの体でだ。彼の魔力で、ギリギリだった。だからアリエスの魔力じゃ勝てっこない!!

 ハールってば!!コノカは叫んだ。アリエスはもう豆粒みたいなサイズになってしまっている。ああ、もう――コノカは思った。どうしてよ!ハールの体なのに、彼の身体のはずなのにこんなに思うように動かないなんて!疾駆すれば風のようなハールの体がコノカではまるで力を出せない。『ハール!!』

 その瞬間、ハールはゾッとした。町が近付いている。外周が高い石の城壁で囲まれており――その物見用の尖塔の上に、銀色の竜が禍々しくも赤い瞳を光らせて翼を広げまっているのをハールは見た。

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