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「東の魔女を頼るですと?!正気ですか!!」

 二日後の朝、アリエスの「案」を耳にした途端レリオットは真っ先にそう言った。三人は近くの街に移動している。ソマールから数里離れた所にある小さな街だ。ナルヴィエという渓谷に挟まれた場所で(原作には出てこなかったけど。綺麗な街…)ハールは訊いた。「なーに、それ?東の魔女?」

 ばっ、途端にレリオットがハールの口を塞いだ。声が大きい、ということらしい。ハールたちは今頭から布を一様に被っている。ここに身を寄せたのは他でもない――このナルヴィエの人たちは、一様に宗教上の理由から布を被っているのである。女性は美しい色とりどりの布を、男は純白の布で顔を覆い隠している。ここなら素性を問われずに済む。

「知らないか?」アリエスはハールを見上げ訊いた。いやにオリエンタルな雰囲気の水色の布に目元だけ覗かせている。傍から見ればさぞかし美貌、といった雰囲気で、紺碧の目が水鏡みたいだ。「この地の果てに――異端の魔女が住んでいる。荒野の魔女とも呼ばれているが」

 そうなの?ハールは目をちまちまさせた。無知なのか有識か分からんな…レリオットが唸っている。「それが何なの?一体」

「この手の話に詳しくないが――」アリエスは考え考え、言った。「以前耳にしたことがある。彼等には『反魂の術』というものが有るらしい。イドリシアの秘術と呼ばれているが――一度死んだ者を蘇らせるという術だ。もしかして、アリエスはそれを使ったのではと――」

 へ、っ?レリオットが思わずといったように目をしばたいた。流石にハールもあっけにとられてしまう。「彼女が?どうして」

「仔細は判りかねるが――」アリエスは呟くとくしゃっと目尻に皺を寄せた。「……言い辛い話だが、アリエスには、些か不審な面も有った。この体になって気付いたことだがな」

 まず、第一に。アリエスは指を立て切り出した。「仮にも令嬢が――しかも王族に近いほどの爵位を持つ家の娘が、何故進んで民に仕える?街着を来て、粗末な施療院に足を運び――

 それは、ハールは言った。彼女が信心深いからじゃないの?手を上げ答えてやる。『ロイギル』の筋書きではそうだった。アリエス・ロッドは苛烈なほどに信心深い。父もさることながら娘は輪をかけて清純で信仰心の塊なのだ。娘に使用人紛いの真似を許すのも「全ては神の国に迎え入れられるため」で…

 アリエスは鷹揚に頷いた。「それもある。いや――そう思っていた。少なくとも、町の者は皆そう評していた。気高き乙女マクスェル嬢、と。例の一件も荒涼とした戦の跡地に訪れたのは、死者の無念を弔うため――だが、

「……施療院で、彼女は勤めていた」アリエスは含みがちに続けた。「手伝い程度だがな。身体の弱った者たちが溢れる場所だ。そこに出入りする者があんな場に足を向けるか?」

 あんな、って…ハールは呻いた。レリオットはアリエスと一緒に黙っている。それってつまり、正直言いたくないけど、何と言うか俗にいう地獄というやつで……

「遺骸には烏が群がり蛆が湧く」アリエスは呟いた。「季節柄火をかけられずに済んだのは幸いだが、一度戦で穢れた地は二年は人は踏み入らん。分け入るのは相応の理由がある者のみ。遺族か、死体から盗みを働く盗賊だ。俺もあそこで朽ちる筈だった――死人の山に埋もれてな」

 だが、彼女はそこに行った。。そしてハールを見付けたのだ。そしてそこで何かをした……

「――どうも」レリオットが顔を顰め呟いた。「きな臭いですな…」隼が彼の肩で首を折り目を細めている。「彼女、本当に弔いに?そこから何か事情があるのかも……」

「いずれも憶測の域を出んが」アリエスは首を振った。「君の恋人は何と?レリオット」

 途端にレリオットはぎょっとしたような顔をした。な、何を!急いで否定する。「あれはそのようなものではありません」 へえ?ニヤリとしてしまう。「あれ、ね?少なくともアレ呼ばわりする距離ではあるんだ」「貴様…!」

「いいんじゃないの?」ハールは笑った。メリンダを思い浮かべる。今頃、屋敷で激怒か大泣きの二択でしょうけど…「いいじゃない、メリンダ。可愛いし明るいし家事は上手いし。あんたにゾッコンみたいだし」

「そ、そうなのか…?」

 アリエスが目をしばたいている。(そうよ気付かなかったの?)何やらもしょもしょやり始めた二人を遠巻きに見ており、分からないので好きにさせているのだ。(鈍い。気付くでしょ普通!)(鈍いとは何だ!第一そんな情報一体何処から…!)

「――そうだ」アリエスが声を上げた。「そうだぞ、その手があった?」

へっ?途端にハールは目を丸くした。レリオットがとっさに振り返る。

「使用人だ」アリエスは手を打った。「知っているかレリオット、屋敷で最も内情を熟知しているのは使用人だと。彼等に連絡を取れないか?」

 君は幸い疑われない――アリエスは笑顔になった。「今なら祖国に帰ってやり直せる。こう言えばいい。『三日間、ハールの足取りを追っていた』と。令嬢を連れ去った大罪人だからな。だが見付からず、それで一旦戻ってきたと――」

 そんな!レリオットは叫んだ。だがアリエスはもう決めてかかってしまっている。

「頼むレリオット、君にしか頼めない」はっしと手を掴み言った。「あの屋敷の――誰でもいい。メリンダでもそれ以外の誰でも。令嬢を探し出すための名目で、アリエスの身辺を洗ってくれないか?」

 それはつまり、更なるスパイだ。レリオットは目を白黒させた。だがアリエスは意気込んでいる。「頼む!」

 こんなとき、彼女の見た目がハールなら完璧だったのに。コノカは思った。レリオットは何故か赤くなってしまっている。え、あ、はあ……なんとも締まりのない表情で、ホントしっかりしなさいよ……まあ眼福には違いないんだけど。

「君を見込んで!」

 途端にレリオットがこっくりする。それはどう見ても、可愛いアリエスに流されたようにしか見えなくて、今度こそ、隼と一緒に冷たいまなざしを向けながらハールはレリオットをじっと睨んだ。


 それから五日――

 ハールたちは、実に締まりのない日々を過ごした。ナルヴィエに潜んでからはや一週間だが、追っ手の来る気配はない。もとより女の人口が異常に多い町だし、この町では女性の素顔を暴こうとするのは強姦よりも重い罪とされているのだ。偵察に来た軍隊がちらっと見るだけで帰ってしまう。

 アリエスは、どう見たって疑われようのない女だ――ハールは思った。ついでに言うとハールも疑われていない。何故なら、どう見たって仕草が女だからだ。声はちょっと(いや、大分?)低いけど、逐一店や露店で立ち止まる彼を見て誰もが女と思い込んでいる。「やだ可愛い~~!!」

 ナルヴィエ特産香水瓶。ハールはそれを集めるのにやっきになっていた。幸いかなお館様から(アリエスのパパだ)お金は沢山貰っている。ガラスを魔法で捻じ曲げて作る工芸品で、信じられない精巧さと繊細さが特徴だ。「可愛い!ねえどっちがいいと思う?」「ど、どちらも同じに見えるが……」

 ナルヴィエでは女性が素顔を見せないからね。露店の女性は笑顔でそう言った。「せめて美しさを感じさせるために、女は皆香水を纏うのよ。自分がどのような人か知らせるために」「へー!」

 好きな香りを作ってあげるよ。そう言い露店のおばさんは宙吊りされた錫製の鍋をかき回した。「香水の調合だって!やるー!」「どうぞ、好きにするといい…」

 アリエスは半分うわの空になっている。どうやら行ったきり戻らないレリオットを気にしているらしい。大丈夫よ、裏切ったりしないから…ハールは思った。アリエスはじっと考えている。やっぱり――

 幼少期から、色々と遭って来てるから。コノカはそっと思った。あまり人を簡単に信じられないのだ。もしも裏切られれば――と思う。もしそうなら、ハールたちは一貫の終わりだ。今攻撃されれば孤立無援の状態だから。

「えーと、じゃあネクターと…」ハールは頬に指を当て言った。「それからこのお花の匂いを混ぜてもいい?」「勿論だとも」おばさんは笑っている。「それならこの香りも足すのはどうだい?守りの効果を高めてくれるよ」

 んーいい匂い!ハールは笑った。これを男と思うのはよほどの洞察力か知り合いのどっちかだ。「どう?これ」調合された匂いを差し出すと、アリエスは言った。「……明るい香りだな…」

「自分を表す香りなんだから!」ハールは微笑んだ。「ちょっとでも、魅力的な匂いにしておかないと」「そういうものか…?」

 これ一つ。ハールは笑った。まいどあり、おばさんに瓶をネックレスにして貰う。「アリエスは作らないの?」「俺は」アリエスは呟いた。「そういうのは分からない…」「やればいいのに!」

 ふっ、とアリエスが笑った。目を伏せ苦笑する。早速ビンを開け嗅いでいるハールを見ると囁いた。「明るい匂いだ…軽やかな。きっと、前の世でもそんな人だったのだろうな」

 途端にハールは足を止めた。前の、世?ふいに思い出し動きが止まってしまう。

「……そんな、良いものでもないかも」ハールは呟いた。思い出す――毎日働いて、馬車馬どころかドブネズミみたいに走り回っていたあの頃を。好きな物を好き、と言うことも許されず、のびのびと過ごすことも出来ない。時間から時間を渡り歩き、常に何かに見張られて、否定され追い詰められて。

 アリエスが足を止め振り向いた。不思議そうな顔をしている。気分が安らぐときと言えば部屋に居るときだけ――しかもペコペコのフローリングに、全部合わせて売ったって二万にもなりもしない安物の家具に囲まれ、ただ本を読んでいた。抑圧されて、それでも使命に従うハール。痛めつけられても踏みにじられてもひたすら進む彼の背に励まされて。

「…そんな女性じゃなかったわ」ハールは失笑した。あはは、と首を竦める。「違ったかな、この匂い、私の香りじゃどうもなさそう――」

 だがその時、アリエスはつと手を伸ばした。ハールの――いや彼女の思考を見抜いていたかのように、ハールの手を支える。まるで、薄いガラスのビンを、取り落としてしまうのを見抜いたように。そして言った。「――いや」

「先ほどの、女性が言っていた」アリエスは思い出すように言った。「匂いは魂で選ぶものと。なら」

 手に顔を近付け笑う。「これが君の香りだよ。コノカ」

 ハールは立ちすくんだ。へっ……言うなりボッと顔が赤くなる。え、え。アリエスはもう歩き出しており、コノカは思った。それ、それって……

 つまり今、アリエスの格好ではあるけれど。あれはハールの言葉で……

 や、やだもー!ハールは言った。何言ってんの!ポクポク背を叩く。ははは、今度俺も試してみるか、アリエスは笑っており、そのとき空を何かがヒュッと横切り飛んできた。「――来た!」

 ゲキャアー!何かが叫んだ。言うなりスカーンとハールの額の真ん中に何かが当たる。あ゛あ゛――――!汚い高音を上げて叫ぶハールに、アリエスは叫んだ。「アスガルド!」

 ぶさ子!ハールは叫んだ。いったぁあ!血が出てしまっている。その足に手紙が付いており、アリエスは急いでそれを取った。レリオットからだ!

『前略、親愛なる我が君ハール黒太子――』手紙は堅苦しい文字のつづりでそう始まっていた。『仰せつかった通り、令嬢の身辺を洗いました。何かが変です』

(やっぱり)ざわ、とハールの背中で何かが浮き立った。アリエスは素早く文字に目を走らせている。『結論から言うと失敬ながら――この館の令嬢、アリエス・ロッド・マクスェルは正常ではありません』

 え、えっ?ハールは思わず顔を近づけた。アリエスは険しい顔をしている。『先ず、私は侍女のメリンダに情報を求めましたがそのようなこと有り得ないの一点張りで』

 ですが奇妙なことが。文面は続いた。マクスェル邸――あそこには、現在十七の侍女が仕えていますが、過去に二人が奇妙な消え方をしています。どうも年に一度、数名の入れ替わりがあるようで、

 しかしそのこと自体は別段おかしなことでもない。文面にアリエスは頷いた。大きな屋敷の使用人が、諸々の事情で街や館を離れるのは日常茶飯のことだから。『よくあることです。思ったほどの待遇を望めない、主人とそりが合わないなど――が』

私はその二人と接触を計りました。文は続いた。『二年前、突如として館を去った侍女の一人、ルスティカと皿洗いのムーメラルダ。彼女らは故郷の村に戻っていましたが――』

 そのうちの姉ルスティカは、寝たきりの身です。ハールはギョッとした。『そして妹のムーメラルダは』

。死ぬほど憎み、そして恐れていた。あの家の令嬢アリエス・ロッドを。あれは天使でも聖女の生まれ変わりでもない、悪魔の化身だと。おぞましい恐怖と冷淡さを臓腑に隠した化け物だと』

 どう……ハールは呟いた。アリエスも、余りのことにあっけにとられてしまっている。どういうことだ?思わず動顚してしまう。そんな?どういうこと?『ロイギル』ではそんな設定は無かった。美しく清廉な心の持ち主アリエス嬢。その曇りなき眼に、穢れた者は全て進んでひれ伏したくなる衝動に駆られるほど、と――

 行こう。アリエスが促す。女天下の町でも、日暮れが近付くと危ないのだ。手紙を握りつぶし、踏み出したアリエスの後に慌てて続きながら、ハールは思った。

 い、一体――

 一体どういう事なのよ?

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