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「つまり――まとめるとこういうことか。ハール殿は戦場で意識を失い倒れていた。確かに先の合戦で怪我を負い、生死の境を彷徨った――」

 それから数時間後、ハールたちはレリオットの提案で近くの祠に移動していた。この辺りは夜になると獰猛な獣がうろつくらしい。子供の頃、この荒野を彷徨ったのだ――とレリオットは呟いた。三日三晩、食べ物もなく、草の根を食み飢えを凌いだ。

 祠はぱっと見には判らない、地面の落ち窪んだ場所に有った。大昔の異端者たちが利用していた小さな集会場らしい。集会場といっても石の祭壇一つしかなく、十人も入れば満員になりそうな場所である。こっちへ、レリオットは二人をそこに招き入れると切り出した。

幸いかな、レリオットは食べ物を持ってきていた。メリンダに押しつけられたらしい。彼女の用意したアップルパイだ。広間で騒ぎが起こってすぐ、駆けつけたときには二人の姿は消えていた。泡を食って屋敷に戻ったら、

メリンダが飛び出してきたのだという。そして言ったのだ。半泣きになりながら彼に懇願して「レリオット様、お嬢様とハールを助けて下さいませ!」

メリンダ――もそもそとパイを食べながらハールは思った。やっぱり、傷付けちゃったんだ。彼女にインタリオを見せられ知った、とレリオットは言った。『こいつ』が(悪かったわね)どうやらハール黒太子であるらしいこと――そして彼が襲撃に遭い今まさにソマールを逃げ出してしまったこと。だが――

今更追いようがない。そも、逃亡者の行方を追うような技術は自分にはない。だから、隼を使ったのだ。籠の中で盛大に鳴いている隼を放ち、言った。お前の主の元に案内してくれ、と。

そうして隼の後を追いかけここまで来た。真相を確かめるつもりだったのだ。そうすると、丁度荒野の真ん中で人目も気にせずギャーギャーやってる二人を見付けた――

「……しかし、よもや貴殿が女になるとは」レリオットは呟いた。まじまじアリエスの横顔を見つめている。どう見てもその仕草は男のものだ。思いっきり足を開いて座ってるし、物の食べ方も、仕草も男。

 アリエス、美人だもんね。ほっとハールは息を吐いた。レリオットは密かに頬を赤らめている。仮にも美貌で名高い伯爵家のご令嬢。金色の髪に紺碧の瞳。象牙の肌に薔薇色の頬、赤い唇。だが、

「……あんま見てんじゃないわよ」ハールは睨んだ。ぐっ!途端にレリオットがむせ返る。「メリンダにバラすわよ?」レリオットは慌てた。異様なほどに。「な、な!?」

「別にそういうのではない!」「へっえー何?そういうのって」「貴様…!」

 こ、こいつめ!レリオットは喚いた。こんな幼稚なキャラだったっけ?護国卿レリオット。横目で見て呆れてしまう。「ハール様!」アリエスに急接近し騒いだ。「やはりこやつはアリエスでは有りません!一体…!」

 そこなのだ。ハールは腕組みして唸った。それに気付いたのかアリエスも真顔になる。どうしてこうなったんだろう?

 先の合戦。腹もくちくなってからアリエスはぽつぽつと語り出した。整理する他になかったのだ。「ソマールの国境で行われた合戦で……俺は、負傷した。背後から攻撃を食らってな、それで気を失ったんだ。気付いたら」

 この体になっていた。「彼」は言った。両手を広げ自分を見下ろすような仕草をする。折り重なって、戦の跡地に倒れていた。自分の体に寄りかかって――

(……傷は、治しましたよ)ハールは思い出した。最初に目が覚めたとき彼女が言った言葉だ。冷や汗をかくような顔で、言っていたっけ。(千切れかけの腕も――)

損傷が酷く、助からないと思った。ハールは思い出しながら呟いた。だが息をしていたし――だから、担いでどうにか街まで辿り着いた。そして知ったのだ。彼女が地元の名士の娘であること。伯爵家の後取り娘アリエス・ロッドであることを……

おかしな話だが、自分自身を介抱し様子を見た。その間色々なことを知ることが出来た。アリエスは、令嬢でありながら突飛な行動に出る女性であること。信心深く、自ら進んで街着を纏い、よく街に奉仕に出ること。

 今回は、おそらく合戦跡に死者を弔いに行ったのだろう。町の人たちはそう評した。普通は若い娘が足を向けることのない場所だ。山積みにされた遺骸、群がる烏の群れ。だがそこで彼女はまだ息のある男を見付けた――

 だが、どう考えても得心が行かない。アリエスは――ハールは顎に手を当て考えた。よしんばそれが真実で、信心の為に祈りを捧げにいったとしても、よほどでなければ近づけないのだ。何故なら流石に見咎められるから?

「……遺骸には疫病も潜むからな」レリオットは頷いた。やけに深刻そうな顔をしている。「施療院で働くアリエスが、そんな所に進んで行くとは思い難い。病魔を持ち込むようなものだ。ということは、何か他に理由が有ったか……」

 ともあれ、真相は闇の中だ。アリエスは締めくくった。そうしているうちに、ハールが目を覚まし、彼は(アリエスとなったハールだ)自分の中にどうやら誰かが入っていることを知った――…

「…む」レリオットが腕組みすると唸るように目を伏せた。「てっきりこの体の持ち主だと思っていたが――」アリエスは顔を顰めた。「どうも違うらしいな。君は一体何者だ?」

 途端にハールは黙ってしまった。レリオットが、じとっとハールの顔を睨んでいる。

「…君はいやに内情に詳しい」アリエスは言った。「ユリジェスを知っていることといい。あれの名は正確にはユージリアスだ。ユリジェスは俺が付けたあだ名だ」

 そうなの?ハールは目をしばたいた。

「最初に目覚めた時も、どうも俺を知っているような素振りをしていたな」アリエスは更に続けた。「教えてくれ――君は、誰だ?素性は何だ。聞かせて欲しい」

 そう言われると拒絶出来ない。というより、推しと確定した以上、例え姿は女性でも真顔でお願いされると逆らえるハズはないのであって…!

 彼は待っている。真摯そのものの目のアリエスと、猜疑心の塊の目をしているレリオットを交互に見比べながら(ああ、そんな目で見るんじゃないわよ、もう…!)他に出来ることもなくコノカはとつとつと事情を説明し始めた。


話し終える頃には、夜はすっかり更けていた。くべた薪もほとんど炭になりかけている。大分省略はしたけど――ようやく口をつぐみながらハールは――コノカは思った。どうかしら?果たして伝わるものなのか……

「……そんな」レリオットが、最初に呟いた。黙ってしまったハールを見て目を白黒させている。「馬鹿な」ホラ来た、やっぱり。身構えてしまう。「バカな話が……!」

 だがアリエスは言わなかった。じっと黙り、目を伏せ考え込んでいる。「………」

「ハ、ハール様」レリオットはまごついたようにアリエスに訊いた。彼女は石のように黙っている。「まさか信じるおつもりですか?こんな、狂人紛いのたわ言を…!ハール様――」

「……いや」アリエスは言った。「完全には否定出来ない…」

 つまりは、こうか。アリエスは目を上げハールの顔を見た。推しだとかお話の中だとかは徹底して伏せた上でだ。「君は、どこか違う世界からやって来た魂で、何かしらの伝記か魔法書を見て――我々の命運を知っていたと」

「は、はあ」ハールは頷いた。まあ……そんなトコ。頷いてやる。

「ペラギウスが昔言っていたが」アリエスは、爆ぜる炎を見ながら囁いた。「この世界はどうやら幾重にも重なり合っているらしいな。そしてそのいずれかには、高次元の魂が住まう場所があり、そこには全ての人物の、全ての世界の理が記された書物があると。あながち嘘ではないらしい……」

 へ、はあ?ハールは目を白黒させた。別段そんな高尚なものじゃないけど。口籠ってしまう。レリオットはなおも「こいつが?」というような顔をしており……(ああもう、うるさい、黙ってて)

「その書で俺の――」アリエスは目をしばたいた。「我々のことを知っていて、目覚めたとき悟った、己の行く末を。それであんなことを……」

 あんなこと?ハールはきょとんとした。途端に頭でコードが繋がる。数時間前の、あれだ。奇襲を受けてハール黒太子のふりをしたこと。『何者だ!』せいぜい大見得を切って誰何して。上手く決まって良かったけど…

「貴殿の仔細は判りかねるが」言うなり、アリエスは立ち上がった。律儀にハールの前に片膝をつき頭を垂れる。「全ての事情を知ってのことか。礼を言う、コノカ殿……」

 途端にハールはブッ飛んだ。仮にも推しに(ええ、推しよ、推しですとも!)感謝されると錯乱するものだ。やーね!慌ててコノカは両手を振った。見た目は完全にハールだが。「気にしないで?というより、そうしなきゃいけなかったんだし…」

 レリオットは痛いものを見るような目で眺めている。そりゃあ、百パーセントどう見ても男が女みたいな仕草に喋り方をしてるんだもの。だがアリエスは一向に気にせずに微笑んだ。「使命に従う、か。律儀な人だ」

「……」はあっ、とレリオットが息を吐いた。仕方ないというように頭を掻きむしる。「分かりました」呟くと、不服そうにハールを見た。「……であればやむを得ん。貴殿が信じるというなら、私もそれに従わねば」

 レリオットが半眼になりこちらを見る。「……一時休戦だ。不審者め」

「ふ、不審?!」途端にハールは叫んだ。不審者!!?レリオットはふんぞり返っている。「あんたが言う?!ストーカーのくせに!」「だからストーカーではない!」

 そのときふっ、とアリエスが吹き出した。途端に揃って黙りこくる。初めて見る笑顔だ。その顔は、まごうかたなきアリエスだけど。でも笑い方はままハールそのものだ。「はは、ははは!」

 ハールは黙った。レリオットも目を見開いている。初めて見た――思って微笑んでしまう。良かった。こんなのなら悪くない。確か『ロイギル』の筋書きではハールは全く笑わなかったはずだから。

 冷たく硬く凍てついた王子の心は、中々溶けないはずだったから。

「…しかしどうするか……」レリオットがふうっと弱ったように息を吹き上げた。「ともあれこれでは国に赴けますまい?この不審者に、最後まで殿下のフリをさせるにしても、この調子では……」

 オネエみたいな状態では締まるものも締まらんということだ。オマケに頼みの綱のハールの強大な魔力は全く使えずじまいだし…

いやー蜘蛛!ハールは途端に叫んだ。こっち来ないでー!逃げ回るハールを見てアリエスは黙っている。た、確かに……唸っており、「お手上げだな」レリオットが苦い顔をした。「頼みの殿下がこの調子では。打つ手が」

そのときアリエスが目を上げた。顎に手を当て、考えている。「いや…そうでもない。一つ心当たりが――」

え、レリオットが目を上げる。その瞬間、『今度は蛾―――――!』ハールの悲鳴が祠に(ぎゃああああっ)響き渡った。

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