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 大奥様の言いつけは、思った通りだった。「ハール、この子が街に出ると言うのよ。一緒に行ってやって貰えない?」

 仮にも男なのでお目付け役にはうってつけということだ。ハールは頷いた。アリエスはどこか落ち着かない顔をしている。メリンダは別の仕事に励んでいるらしく(この時刻だと、大方奥様やお館様の部屋の掃除でしょうね)「心得た」ハールは頷いた。「どこへ?アリエス」

 屋敷を出るときアリエスがちょっとだけ振り向いたのをハールは見た。他でもない、厩の方だ。まだ誰にも気付かれていないか気にしているらしい。本来ならそれは『ハール』の仕草なのだけど――ハールは思った。もういいや、今は気にしてられない?

 本来の筋書きならばこうだ。クザーヌスからの手紙を受け、ハールは絶句する。そして、一刻も早く祖国に向かわねばと決意するのだ。厩に忍び込み馬に使い魔契約の魔法をかける。そして、いつでも逃げ出せるよう、仕度をし街に用心しながら向かっていたところ、

 そこにやってきた。ひと足先に、いや思った以上に早く兄たちの討伐隊が。

 結果ハールは間一髪のところ難を逃れる。だが運悪く一緒に居合わせたアリエスも、一緒に逃げ出す羽目になってしまう。一方で外出中にハールの正体を知るメリンダ。こんな流れのハズなのだが……

 言っていられない……歩きながら、アリエスの横に従いながら、ハールは冷や汗だくだくになりながら思った。か、か、勘弁してよ?内心焦りと恐怖で顔が引きつりそうになる。そりゃ、この後直後に(どのタイミングかは知らないけど)襲われると分かっていて、平然と出来る人間もそう居ないでしょうけど。「い、胃が…!」

 大丈夫?ハール……アリエスがハールのこの世の終わりみたいな顔を見て案じている。「や、やっぱり家で寝ていれば?」「気にするな、何でもない…」(いやアリアリですけど!!)

 やせ我慢もここまで来ると死にそうだ。ハールは歯噛みした。一応仕込みはしてきたが。魔法の全く使えない今のハール(コノカ)。でも、あのシーンではとっさに魔法を使わなきゃ話にならない!だから、だからせめて、出来るだけのことはしてきたのだ。あれで事足りてくれればいいけど…!

 あのシーン。ハールは思った。正しくはコノカが惚れたあのシーン。何気なく立ち寄った町の広場。そこでふいにハールは気付く。違和感に。数多の戦を潜り抜けた者にしか分からない勘。刹那、一斉に魔法で狙撃されそれを反射的に防ぐシーンが!

 無意識のうちに用心して手に溜めていた魔法、それが幸いして難を逃れるのだ。いつの間にか二人を取り囲んでいた兵士を一掃し、崩れてきた瓦礫を腕で防いで誰何する。<何者だ!>あー思い出すだけでヨダレが出るけど……

 今のコノカには胃液が出そうだ。青ざめて、口から変な液まで垂らしているハールを見てアリエスは全力で引いている。だ、大丈夫なの、ねえちょっと……まさか何かヘンなものでも食べたんじゃ…

 言いながらアリエスが角を曲がる。ヒョイと何気なく、広場の方へと。曲がった瞬間、ハールは完全にフリーズした。

(―――)

 頭が白くなる。え、え。何だか死刑執行の瞬間みたいに?アリエスはハールを連れ歩いている。確かそこには噴水が有って、いつも休むのどかな場所。広間の四方は建物に囲まれており、そこで襲われるのだ。四方八方から、祖国アルタイルの兵士たちに。「ハール?」

 いつ?いつなの?ハールは思った。私じゃ判らない、ハールでもなければ戦の経験者でもない。つい数ヶ月前まで会社とアパートを往復してたしがない人生で、そんな、殺気を察知しろだなんて絶対無理!

 そのとき――

 ふいにアリエスが動きを止めた。ふっと、何かを思い出したように。流れる風が止まった瞬間みたいに。足を止め、そのときアリエスが叫ぼうとし「下がって――」

 その瞬間、音がした。ボッとガスに炎が引火するみたいな音が。視界が染まりかけ、刹那、

 『ハール』は動いた。ほとんど本能で反射的に。アレの使い方――考える間もなく地面に何かを叩きつける。それだけ、そうすれば一番最適な魔法を発揮してくれる、あの、コノカが用意した『切り札』が!

 音がした。ゴッ、音と同時に炎が二重になって四方に広がる。広がるなんてものじゃない、それは他でもない――おそらく本物の『ハール』にしか出来ない途方もない威力の魔法で、

 ヒュッ、ドドォ!!!

 何かが吹き飛ばされた。アリエスが、腕で顔を庇い目を閉じる。うわああ!!声がして、いつの間にか四方に潜んでいた兵士が一斉に吹き飛ばされた。二人を中心に広がる火柱に壁まで吹き飛ばされる。

 煙が上がった。濛々と、今の一撃で周囲の敷石が砕け散ったのだ。煙にむせ返り、ハールは思った。やっ、た!ちょっとタイミング早かったみたいだけど――

敵が狙撃魔法を打つ寸前にこちらがお見舞いしたのだ。誰かが叫んだ。『おのれ、太子!!』

少女が叫んだ。何かを叫んでいる。パニックで(私、彼女、どっち?)聞き取れない。だがそのとき煙が切れ彼女は叫んだ。「――ハール!」

 その声に応じるようにしてコノカは気付いた。いや、今はハールだ。原作通り、ここに来て。背中に巨大な瓦礫がもたれている。さっきの風圧でこちらにも飛んできたのだ。だが、

 ハールは目を上げた。瞳が初めて赤く弧を描き光る。魔力が漲った瞬間にしか見せない虹彩の光――刹那、抜き打ちに腰の剣を放ち、

 決められた筋書き通りに、ハールは目の前に現れた兵士の首に刃を突きつけた。つんのめるように相手が凍りつく。煙が切れ、その隙間に、ゾッとするほどの軍勢が二人を取り巻いているのをハールは見た。この数――逃げ切れるの?

 誰何した。冷え冷えとした声で。『何者だ!我が名はハール、アルタイル帝の子にして第三王子である。身分を知っての狼藉か!』

 その瞬間アリエスが目を剥いた。そう、本来なら彼女はここで初めて彼の素性を知る。だが――だが、

 刹那、風が再び起きた。それは一瞬で足元から空気を掬い舞い上げる。兵士たちが叫び、後じさった。竜巻だ、アリエスが紡いだ六本の竜巻が広がる。

 うわああああ!

 兵士がうろたえた。風に巻かれ、踊るようにたたらを踏み、互いに掴まって。刹那彼は駆け出した。彼女を抱き上げ走り出す。『ちょっと!』

 どうすればいいの?ハールは思った。手近な物陰へ――兵士の一番手薄な所へと。魔法を描いた者は自らの魔力の影響を受けない。風に煽られフラフラするスロー・モーションみたいな兵士の間を掻い潜る。

 どうすればいいのよ!!ハールは思った。う――上手く行った、ここにきて初めて上手く行ったけど!でもこの先は書いてなかった!だって、だって次読んだのは『目が覚めてから』で――

 どう逃げればいいの?!!

 その瞬間、ヒュウッと声がした。アリエスが指笛を鳴らして何かを叫ぶ。

「こっちだ!!」

 刹那、視界に白い馬が現れた。あの馬だ。屋敷の厩で彼女が仕度をしていた馬。疾走する馬にひらりと身を翻し、アリエスは跨った。手を出しハールを引き上げる。

「ハッ!!」

 拍車と同時に駆け出した。馬はまっしぐらにソマールの都市門に向かって駆けていく。背後ではまだ声が響いている。喚き散らすような、凄まじい大声と、消えゆく魔法の残す残響を置き去りに――やがて馬は、日の傾いたソマールの鉄城門をひと思いに飛び出した。

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