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 六日目の昼過ぎに、それはやってきた。ラリマーが、いつもの通りトイレに(ホントにごめん)アリエスの部屋に行ったとき、それは起きたのだ。ひゅう、と風が吹き、おかしな予感がする。と、同時に窓辺に何かが降り立ち、

 来た!ハールは振り向いた。「ぶさ子」だ!翼を広げ窓辺にひと息に下りてくる。

 ギ、ギャ!ぶさ子は言った。ハールの顔を見るなり鳴こうとする。その瞬間、ラリマーが横っ飛びに飛び上がり、口を開いた。無言の狩りだ。(行け―――!ラリマ―――――!!)

 ギャ――――ッ!鳥が鳴こうとするのと、ラリマーが横っ腹に食いつくのは同時だった。あっさり隼を捕まえてしまう。ショックで隼は目を回してしまい、「やったわ!!」ハールは叫んだ。「ナイスよラリマー!!」

 アリエスは今の時間教会に行っている。というか、行かせたのだ。抜群のタイミングでそれとなくチクって。「そう言えば、最近教会には行かなくていいのか?」ぶはっ、アリエスが食事をむせ返り、途端に夫人が叫んだ。「何ですって!アリエス!」

 んもーハール様ったら……メリンダは唸っていた。が、内心密かに感謝している。やはり侍女のため、お嬢様の意向には逆らえないらしい。強く勧める事も出来ないので困っていたのだ。「行ってきなさい!」お尻を叩かれアリエスが追い出される。「ついでに司祭様に謝って!全く、あなたは…」婦人はカンカンだった。「神の御前に恥ずべきことよ!」

ハールは急いでラリマーに屈み込んだ。思った通り、鳥の足に手紙が付いている。ハールはそれを取ると急いで広げた。読めるか読めないか――賭けみたいな感覚で覗き込む。見知らぬ文字――だが、読めた!!ハールは息を飲んだ。『親愛なる我が王子よ』

なん、だって。ハールは目を剥いた。やっぱりだ――思っていたものの、実感が伴い凍りついてしまう。王子?手紙の文面は思い描いていたものと同じだった。クザーヌス師からの警告の手紙。達筆で急ぎ書き綴られている。

『ご無事であったことを、心より嬉しく思います――知っての通り、今やこの国は内乱状態。先の王が倒れてから、民心は離れる一方で、それを無理に引き留めようとするかのように恐ろしいことばかり起きています。理由の無い逮捕や処刑、拷問が連日行われ、先日はついに我が同胞ペラギウスが――』

 ペラギウス。ハールは急いで頭を働かせた。クザーヌス師と並んでハールの師であった男だ。『ともあれ、お気を付け下さい。貴殿の兄はもはや乱心しておられる。弟御を幽閉され先日合戦のあった地――ソマールに兵を差し向けました。貴殿の遺骸を見付けるか――さなくばおそらく付近に潜む貴殿を討ち取れと。死んだと思わせるにためも姿を見せてはなりません。どうか、これまでの人生を捨て、静かに幸せにお過ごしに――これが私の最後の教えです。貴殿の道に神のご加護のあらんことを。エリシオ・クザーヌス ハール黒太子へ』

 ハールは棒立ちになった。やっぱり――やっぱりだ。頭の中でぐるぐると同じ言葉が回っている。アリエスが、書いた手紙に返事が来た。それは即ち彼と筆跡が同じであったからこそ出来る技だ。そしてこの手紙は、他でもないハール宛て。それはつまり彼女が、「アリエス」がハールの名前で手紙を送ったということで――

(あのときも)思い出す。祖国の謀反を知らされた時も、真っ先に飛び出していこうとしたのはアリエスだった。だからこそ、庭で鉢合わせたのだ。本当は『ハールが一人屋敷を出ようとしたところ、ハールの(厳密にはハールとレリオットの)やり取りを聞いて全てを知った』というのが筋書きなのに。この隼だって、魔法の上手さだって、

「ハ、ハール様?」

 声がして、ハールは振り向いた。下女が、いつの間にか部屋の前に立っている。幸い手の中の手紙には気づいておらず、バッチリラリマーが口に咥えている隼を見ると、叫んだ。「キャアアア―――!メリンダ様ぁ―――!!」

 ラ、ラリマーが!ラリマーが!!叫びながら出て行った。丁度外で馬車が止まった音が聞こえてくる。「何なの何事?!」 メリンダが階下で叫び、声が続いた。「ラリマーが、アスガルドを食べてしまいましたわ!!」

「!?」アリエスが飛び出してきた。スカートを掴んで二階に駆け上がってくる。ハールは急いで手紙を隠し、飛び込んできたアリエスに振り向いた。

「アスガルド!」

「いやだ、嘘!ラリマーったら!」

 急いで治癒を始める。大袈裟なんだけど…失神しただけだし。「す、すまない、というか謝れラリマー…」犬の頭を押さえながら、目を覚ましたアズガルドを見てほっとしたとき、彼女は言った。

「……手紙は?」

 え?メリンダは言った。こちらを見る。ハールはとっさに「え」というような顔をした。

「……何がだ?」言ってやる。

 い、いえ……アリエスは目を反らした。その顔が、僅かに青くなっている。鳥の脚を指で触れ確認しており――無い――そう言うと、ほとんど腑抜けたみたいにアリエスは立ち上がった。混乱している。

「アリエス…」

 メリンダが訝っている。隼を手に抱いており、「ごめんなさい一人にして……」囁くと、アリエスは黙って部屋を出て行った。


 世の中には、勝負時というのがやってくる。必ず。それはおそらく誰の人生にもあるもので、今、彼女は(彼は)まさにその目前に立っているのだけど――

 午後になって、ハールはそれを確認した。アリエスだ。屋敷の厩に忍んで何かをしている。マクスェル家の屋敷の裏にある馬小屋はいつも鍵がかかっている。その鍵を開けてしまっており、

(……)

 木陰に隠れてハールはこっそり様子を見ていた。周囲を確認しそそくさとアリエスが出てくる。覗いてみると、やっぱり。普段は使う時にしか乗せられない鞍と鐙が馬の背に乗せられており……

 蔵の下がちょっぴり膨らんでいる。おおよそ金と、微々たる荷物だ。彼女は一人で行動に移そうとしている――

 こっちもこっちでやること山積みだ。ハールはそれを確認すると急ぎ屋敷に戻った。筋書きなら、彼女はおそらくこのあと街に出る。いつもの礼拝、と称して散歩にだ。それに大奥様がついでと称してハールに声を掛け(ハール、一緒に行ってやって貰えない?)

 そこで襲われるのだ。ソマールの市内の広場近くで。ハールの兄たちの差し向けた、討伐隊に。

 クーン……ラリマーが、しゅんとして目を下げている。分かっているのだ、これから何かが起きるのを。よーしよし、ラリマーの首を撫で、ハールは言った。「いい?ラリマー。少し――ちょっと長くなるかもだけど、留守の間いい子にしてんのよ。必ず迎えに来るからね」

 そう言いラリマーの首に手紙をくくりつけてやる。本当は、こんなの筋書きには無いのだけど。本来ならこのタイミングで(おそらくもう一、二時間以内に)メリンダがハールの部屋に入りあれこれ探るのだから。そして発見する。不在中のハールの置き去りにした甲冑の内側から王家のインタリオを。だがこうなってはメリンダが部屋を探るなんて有り得ない。なら、

(こっちから喋っちゃうまでよ)ハールは思った。手紙にインタリオを通し首輪にくくりつける。<親愛なるメリンダへ>

 格好付けた手紙なんて、書けなかったけど。でもいいか。思い出しふっと苦笑してしまう。裏切ることには変わり無いもんね?<突然ごめん。さぞかしビックリしたでしょうけど――>

<あたし実は隣国の第三王子なのよ(ミもフタもないとはこのことだ)。これでもね。色々あって、この屋敷にお世話になってたけど、そろそろ行かなきゃならなくて>

 手紙の文面を思い起こしハールは笑った。メリンダ、どんな顔をするかしら?騙された、と思う?それとも困惑するだろうか。それとも――

<怒らないで、とは言いません。嘘ついてたのは事実だし。でも、これだけは覚えておいて。二人の仲を本当に応援してるし心からメリンダが好きです。勿論友達としてね。もし、まだ少しでも――この手紙を読んで、私の事を友達と思って貰えるなら、こうして下さい。この手紙を燃やして、お館様と貴方のレリオットにこう伝えて。『ハール様のお部屋で見付けました。彼はアルタイルの王子です』って>

 あとは何とでも彼等がしてくれるわ。ハールは腰を上げた。<また、会えるといいな。そのときがあればどうか、直接謝らせて下さい。最後に、メリンダのお茶美味しかった、ありがとう。貴方の友『ハール』より>

 窓から空を仰ぐ。そのとき声がした。ハール!大奥様だ。「ハール!ちょっと頼まれて頂戴――」

 ラリマーがついてこようとする。め、頭を撫でお座りさせると、ハールは階下に振り向いた。

 さあ――いよいよだ。変に生温い風が、あおつらえ向きに駆け抜ける。

 この人生最初の大博打の始まりよ。

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