それから三日というもの、ハールはレリオットの情報集めに入った。理由は複数ある。それは、まず革命を成功させるには彼の援けが不可欠であることで――
我が子に殺され、城壁に吊るされ曝された前王エルメンガルド。その知らせを受けハールは絶望する。首謀者が他でもない兄たちと知り激情に駆られるハール。それを、押さえろ、と必死に引き止めるのがレリオットで――
今は時期尚早、彼はそう言うのだ。曰く兄たちはハールの存在を最も警戒していると。既に敵の手に落ちた第四王子の身も懸念されるが――残す所は、最後の一人、唯一の血縁者ハール。前王を嗜虐した罪は例え王子でも重い。民心が離れることを兄たちは何より恐れているはず――
そこに死んだと報じられていたハールが戻ってこればどうなるか?レリオットは必死に説くのだ。(もし貴殿が名乗りを上げれば民たちは貴方に従う。だが兄君はそれを是が非でも阻止するでしょう。下手を打てば多くの命が奪われる――今はどうか収められよ!)と。
そしてレリオットの予想どおり、兄たちはハールの消息を嗅ぎつけ軍を差し向けるのだ。包囲された際名乗りを挙げ、姿を眩ますハールとアリエス。だが関所はとうに封鎖されている。それを護国卿の名のもと通過させてくれるのがレリオットで……
ソマールとアルタイルを結ぶ無数の関所。コノカは思い浮かべた。そして、アルタイルの城下に聳える鉄城門。それはレリオットの援けなくては突破不能だ。迂闊にノコノコ近付こうものなら、剣でメッタ刺しか、魔法で蜂の巣、下手すりゃ竜の餌になって生きたまま真っ二つの裂きイカに……
だがあの調子では到底無理だ。はあ、とハールはお茶を飲みながら溜息を吐いた。トホホな顔で涙を浮かべているハールをメリンダは気にしてくれている。あれ以来、メリンダはどうやらハールに好意的で(そりゃありがたい、ありがたいんだけど)あれこれ世話を焼いてくれているのだ。「ハール様、お茶でもどうです?」呼ばれてハールは大人しくお邪魔した。頼れるのは今や彼女だけ……
「レリオット様の情報?」ポットからお茶を注ぎながら、メリンダは言った。微かに眉を顰めている。「有りますけど、何故です?何故急にそんなことを…」
いやぁ――「ハール」は弱ったように笑った。が、慌てて真顔になる。何でもない、せいぜい仏頂面に付け足すと、「ただ、その……どうやら誤解があると言うか……」
メリンダはまだ顔を顰めている。間が持たなくなって、お茶をひと口飲んだハールは途端にボロを出した。「やだ!これ美味しい!」
でしょー!メリンダは途端に笑顔になった。陶器の『これだけでも持って帰りたい!』と言うような可愛いポットを出してみせる。「新種のお茶なんですのよ!薔薇とカモミールがたっぷり入ってて」「可愛い~!!」
「………」コホン、とハールは咳払いした。もう今更、彼の(もとい彼女の)可愛いもの好きは隠すまでもないらしい。メリンダはクッキーを勧めている。「で?一体どういうことなんですの?ハール様」
いやね、ハールは息を吐いた。もう隠す気にもなれず先日のことを告げてやる。不審者呼ばわりされていること、ついでに敵だと宣言されたこと。「あらぁ…」
いいんだけどね別に…ハールは独りごちた。べ、別に良いのよ?別段そこまで推しでもなかったし、嫌われるのは構わない。ただ、問題なのは彼の援け無しでは話が進まないという事で……
金髪の王子のような見た目の男。ハールは思い起こした。確かに美形でルックスがいい。剣の腕といい声のトーンといい、あれに嫌われるのは確かに相当キツいけど……
メリンダがちょっと頬を赤らめている。思い出しているのだ。先日の訪問時の夜会服。護国卿の制服が凛々しくていっそ尊い。「しんどい無理…」「分かる…」
だが薄い本的展開は断固ナシだ。ハールは目を据えた。そういう意味じゃなく、とかく仲間に引き入れねば?メリンダが唇をすぼめた。「ライバル心の可能性は有りませんの?ほら、だってハール様」
途端にハールはきょとんとした。メリンダが腰の剣をちらと見やる。「ハール様、剣の腕は立たれるようですし。先日も奇襲を防ぐだなんて…」
それなのだ。ハールは目をしばたいた。まさか防げるとは思ってなかったけど?いきなり斬りかかってきて、本当なら斬られるか殺されるか確実にしていたのだ。だが勝手に手が動いて彼の剣を見事に受けて。
「レリオット様は、ご存知護国卿と謳われるほどの方ですし」メリンダは目をしばたきながら続けた。「斬撃はこの国一とも言われています。まさかそれを受けるだなんて、正直意外で…」
メリンダは掬い上げるような目付きをした。途端にうっかり慌ててしまう。やだー偶然よ!両手を振り「ていうか絶対手加減してたって!本気だったら今頃とっくに」
言ってから、ハールは口をつぐんだ。そう――その可能性もある?手加減したとはいえ、自分の剣を止めた男。相当腕が立たねば出来ないことで……
「兎角疑われきりで」はあ、とハールは肩を落とした。「……不審はこの際認めるが?確かに素性は知れないし、少々怪しい自覚もある。だが再々見張りに来ることは…」
途端にメリンダがギョッとして椅子を鳴らした。見張り!?窓を向いてしまう。レリオット様が?!「そうなのよー、今朝なんて気付いたら門の外からガン見してきてめっちゃビビって…」
そこまで言ってからハールは口をつぐんだ。メリンダが急にそわそわしはじめている。中腰に窓の外を覗いており、ああ、そうだった。ハールは思った。メリンダはレリオットが好きだったのよね?密かに目で追う意中の人。
ふとハールは動きを止めた。メリンダは(そうですか…)と呟いている。ま、毎朝来ますの?屋敷の近くに?盛んに気にしており、ハールの顔に気が付くと慌てた。「いえそんな妙なことでは!」
閃きとは、突如として訪れるものだ。ハールはじっとメリンダを見つめながら思った。メリンダは赤くなってしまっている。「違いますのよ!そんな、気にしてるとか、そういうのじゃ…!」
ポン。ハールはメリンダの肩を叩いた。メリンダが硬直してしまう。いいのよ、ハールはにっこり笑った。隠さなくても…
そう――だったらこの手がある?
「メリンダ」ハールは前のめりになった。きゅっと両手を捕まえてやる。
「ね、良い案が有るのよ。まあメリンダ次第なんだけど?」
ちょっとお互い協力してみない?
そう言いウインクしてやる。途端にメリンダは口と同じくらい目をまあるく見開いた。
「ぎ、逆スパイ?!私がですか?」
全てを聞き終えるとメリンダは真っ先にそう言った。よほど意外だったのか自分で鼻の頭を指してしまう。「レリオット様を?!」
ざっと言えばこうだ。ハールは笑った。レリオット攻略にはどうも彼女の援けが不可欠になる。なら、こうだ。『いっそのことくっ付けて仲間にしてしまえ作戦!』
レリオットは、どうやら相当勘が鋭いらしい。ハールの違和感にもとうに気付いている。だからこそ、ここ数日市内巡察のふりをして屋敷に足を向けているのだ。ならそれを逆手に取るまで。しょっちゅう覗きに来るならこっちから情報を掴ませてやればいい?
ただしこちらに都合の良い情報を。ハールは笑った。「まず、メリンダ。暫く一人で外をうろついて」
メリンダは目をぐりぐりさせた。ハールはお茶を片手ににっこりした。
「レリオットは、今頃相当気を揉んでる。だって屋敷の中に裏切者のスパイが居るかもしれないんですものね?先日言ってたわ、『貴様の正体を暴く』って。だから屋敷の中の様子を知りたいはず!」
それには使用人の言葉が一番信用できる。ハールはニッとした。「知ってる?どんな場所でも一番の情報通は使用人なの。奥様の下着の数、旦那様の癖と帰宅時刻まで熟知してる。だからメリンダ、あなたが敢えて捕まるのよ」
つ、捕まる?メリンダは片手を頬に当てた。妙な連想をしているらしく赤くなっている。「そう!一人で居たら絶対向こうは接触しようとしてくるはずよ――そうね、こんなとこじゃない?偶然を装って近付いて――『最近屋敷で変わったことはないか』って」
メリンダは前のめりになった。なるほど……で?というような顔をする。「そうね、最初は相手の顔でも見返せばいいわ。どうしてそんなことを……って。そこから後は黙ればいい。勝手に向こうが何かを勘繰る」
沈黙は雄弁な肯定。ハールは笑った。「多分向こうから切り出してくるわ。もしやハールが怪しいのではって。後は適当に合わせればいい。確かに少々変かもって!」
「でもそれだとハール様が――」
まあいいから聞きなさいよ。ハールはニヤニヤした。「向こうは情報を掴みたい――だから、何か有ったら告げてくれ、と言って来るはず。そうね、どうせ毎日顔を出すとかそんなんじゃない?もしくは会う時間を設定してきたりして!」
あとはメリンダ次第よ。ハールはにっこりした。「最初は怪しい、相手がいかにも喜ぶ情報だけ流せばいい。あ、徐々にメイクは忘れないでね?ナチュラルメイクよ。ちょっとずつ、こう、糸を引いていく」
なるほど……メリンダは何かを引っ張る仕草をした。ハールと一緒に手をクイクイやる。完全に危険な会議状態で「こう、じんわりと」「そそジリジリ……」
「日が進んできて、少しは脈有りに思えてきたら、そんなに怪しい方では無さそうですわ、とでも言えばいい。ただの可愛い物好き?とか。最終的に、貴女がある情報を流せば相手は食らいつく」
メリンダは途端にきょとんとした。「ある情報?何か有りますの?」と言う。「まあそんなとこ…」
レリオットは、確か前国王に借りがある。ハールは思い出した。そう、あれはちょこっと話に出てきただけだったけど――彼は元々、アルタイル生まれだ。だが家族が無く遠縁の身内を頼ってここソマールへ流れてきた。通行の手形がなく関所をくぐるのは死罪。幼い頃、関所破りで捕まり殺されかけていたレリオットを、偶然通りかかった前王エルメンガルドが助けるのだ。彼自ら手形の変わりに
そのお陰で彼はソマールで雇われた。隣国とはいえ王家の封蝋を持つ少年に貴族は優しい。そこで教育を受け、武芸を学び、そして今の彼が有る――
だからそれを利用してやればいい。ハールは内心笑った。あれから確かめた。ハールの持ち物と身なりと装備。彼は自分の身元に繋がるものを隠していた。案の定、肩の甲冑の裏側に王家の紋章を刻んだインタリオ(封印つきの指輪)を隠していたのだ。
これが彼の甲冑に隠されていた、そう言わせればいい、メリンダに。彼女が偶然掃除の最中に見付けた事にして?王家の章の刻まれたインタリオ、つまり彼は王子だと!
ふふふふふ、ハールは笑った。薄笑いを浮かべているハールをメリンダは完全に不審がっている。わ…分かりますけれど、呻くように目を上げた。「どうも見えませんわね?そこまでしてハール様に何の得が……」
有るとも。ハールはコホンと咳払いした。とかくお前は従えばいい…言ってからメリンダの目を見る。彼女はますます疑いの眼差しになっており、ああ、コノカは溜息をついた。分かったわよ、じゃあこう言えばどう?
「恋バナ好きなの」言ってやった。「ついでに友達の恋は応援したい主義。分かった?」
メリンダは目をぐりぐりさせた。更に言い足す。「もいっちょ言うと楽しいし…」
女とは実に単純なものである。メリンダはあっさり(それはもうあっさりと)納得してくれた。