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「お帰りなさいませ、お嬢様」

 屋敷に戻ると、メリンダが使用人3しく迎え出てきてお辞儀した。相変らずの質素な街着姿を見て呆れている。「またそのお姿ですか」 はあ、と困惑するような、呆れるような溜息を漏らした。「マクスェル家のご息女ともあろう御方が……」

 そう――ハールは思った。アリエス・ロッド・マクスェルは、伯爵家マクスェル家の令嬢なのだ。父が厳しく敬虔で苛烈なほどに信心深い。娘にこんな使用人まがいの仕事をやらせているのも『全ては神の国に迎え入れられるため』だとかで…

「お風呂をご用意致しております」メリンダは促した。「お館様は、今宵久々に戻られるそうですよ。ドレスにお着替えを」

 途端にアリエスはぐっと顎を引っ込めた。ハールの手前に気付き、慌てて目を上げる。「そ、そうね」早口に言うと微笑んだ。「では、お願い。メリンダ」

「水色のドレスのご用意を――」

 ロイヤルギルティの筋書きではこうだ。稀にしか話さない、身なりは良いが素性不明の男ハールと、何故かそれに優しく接する令嬢アリエス。それをあまり良く思っていないのが侍女のメリンダだ。どうやらお嬢様に付く悪い虫とでも思っているみたいで、まあそれが普通なんでしょうけど……

 ちら、と視線で追い払われてしまう。と、アリエスが振り向いた。

「まあ!とっても綺麗!本当に流行りの色合いね。どう?ハール――」

 へ?ハールは途端に足を止めた。そんな展開筋書きにはなかったのだ。確か原作では、さっさと部屋に引っ込んでしまったハールは、どうにか故郷に戻れないかを画策する。素性を明かさず、一刻も早くこの館を後にしようと。だが、そのとき『今宵のお客』から予期せぬ噂を耳にして……

 祖国で叛逆が起きた、と。そう知らされるのだ。ハールは復習した。「兄たちが結託して父を貶め、王位を奪ったという噂がまことしやかに流れている」と――

 え、えっ?ハールはうっかり慌ててしまった。呼ばれた手前とっさに部屋を覗き込む。そこには、アリエスが真っ白のリボンの付いた水色のドレスを体に当てており――『やだ可愛い!』

 ウソ!凄く素敵!「コノカ」は言った。「あでもちょっと腰のパニエは派手すぎるかな――もうちょっと後ろにズラし……」

 間が空く。………はい?二人が揃ってフリーズしており、「あ゛」

 やっ、た。ハール(コノカ)は――固まった。たまにやってしまうのだ。そう、つい先日まで女だったせいもあって、ついつい可愛いものに過剰反応する癖が!!

 街で可愛いものを見たらウソ何コレ!となってしまったり、ついつい男前に目が行っちゃったり(完全にそっちの人である)気が付いたらお花屋さんでブーケをガン見してたりとか、これでも(ええ、これでもよ!)ボロが出ないよう必死にやってはいるんだけど…!!

「……とでも言うと思ったか」フッ、とコノカは笑った。アリエスが完全にフリーズしている。どうでもいい、言い捨て離れようとする。がメリンダが盛大に吹き出した。

「嫌だわ、ハール様ったら!」持ち前の性格らしく大笑いした。笑ってから慌てて声を引っ込める。「でも確かに的を得てますわね、パニエがちょっと目立ち過ぎ…」

 そ、そう?アリエスが途惑っている。「わ、私は別に何とも…」「縫いましょうか今からでも…」

「ピンは?」

はっ、再びアリエスが硬直する。「え?」「だからね、ピンするのよ。帽子用のピンをこう刺して…」

 言いかけてコノカは言葉を飲み込んだ。ごっきゅん。「…帽子のピンを」せいぜい無愛想に言ってやる。よいしょ、上手く彼女の背中の位置でパニエを留めてしまうと、くるんとアリエスの身体を回した。「いいじゃない!どうです?お嬢様」

 も、もういいや……やってしまってからコノカは思った。ハール様趣味がお宜しいのね、メリンダが感心している。まあ、これでも一時期ドレスデザイナーを目指していたことはあったからで――「ついでに髪飾りはこれなんてどうです?」

派手過ぎない?コノカは思った。だがこれ以上ボロは出せない。シュバッ、別の飾りを指してやる。「あら、確かにこっちの方が良いかも……」

あああああ!コノカは思った。黒太子、仏頂面で不気味にも見える冷徹王子。鉄面皮でイケメンででもホントは優しくて。私の彼のイメージが~~~!!

ついでにと渡された櫛でアリエスの髪をせっせと梳る。この国には無いはずの編み込みにしてしまい「まあ!何て可憐!」「でしょー得意だったのよフィッシュボーン」言ってしまってから(じゃなくて―――!!)

 ……何だか思ったよりも良い人ですわ?部屋を出るときそうメリンダが評しているのが聞こえてきた。そ、そう?アリエスが呻いている。「わ、私は、何というか…」

 そこから後は聞けない。聞きたくもない。不審者確定!!部屋に飛び込むと、ハールは耳を押さえて思いっきり床にしゃがみ込んだのだ。


 その日の晩――

 ハールは間に合わせに盛装させられ部屋で待機していた。昼間はやらかしてしまったが、今夜はビッグ・イベントがある。そう、それは、来賓としてやってきたアスヴェロス卿たちの噂話から偶然祖国の様子を知ることで――

 えーと?コノカは、もといハールは逡巡した。確かお話では最初にアリエスが呼ばれて出て行く。「まあ叔父様!」と。その声を聞いて部屋に佇みながら、画策するのだ。これ以上自分がここに居てはならない、と。平和な家族、穏やかな生活。彼等に不要な影を負わせてはならない――

で、考える。このまま黙って屋敷を出るための算段をするのだ。幸い彼等(マクスェル家の人たち)は彼の素性に気付いていない。だからこそ、戦で傷を負った死に損ないの彼を不憫に思い親切にしてくれている。屋敷を出るとなれば、それなりの理由が要る――だが、そのとき『お客』の会話を漏れ聞いて……

アリエス!階下で奥方が声を張り上げた。伯爵夫人だ。はい!メリンダが代わりに返事する。「アスヴェロス殿がお見えよ!ご挨拶なさい!」

ああ、コノカは思った。ドアの内側にへばりつき涙する。本当は出来るなら私がやりたかったこと。楚々としているようで、意志が強く誇り高い令嬢アリエス。確か鈴の鳴るような声でこう言うのだ。「はい、只今!」と。スカートを摘んで廊下に飛び出して……

だが、そのときドアが遠慮がちに開いた。は、い……低く呻くような声がする。何だか屈辱の極みみたいな物言いで、メリンダが言った。(しゃんとなさいませ!どうなさったのです、もう?)

ずずず、とスカートの裾を引き摺る音がする。あら?そっとドアを空かすと、アリエスがよろけながら廊下に向かい手摺りに捕まるのが見えた。その足取りもまるで酔っ払いか何かみたいだ。「くっ……!」

メリンダが気付きこちらを見る。パッと慌てて扉を閉め、ハールは思った。あら…記憶を確かめる。こんな展開だったっけ?このシーン…

きゃあっ!そのとき声がした。途端にズダダン!と音が響き渡る。メリンダが悲鳴を上げた。「お、お嬢様!!」

刹那、音がした。ドッシャーンと盛大に何かが割れる音がする。玄関に置かれていた大壷だ。とっさに我を忘れて外に飛び出す。「どうしたの!じゃなかった、何だ!」

 廊下に出る。そこでハールは、階段の下で誰かにしがみ付いているアリエスと、粉々になった壷を見た。

「………!」

 う、そ!ハールは――コノカは思った。階段の下で誰かがアリエスを抱きとめている。金色の髪に、燃えるような緋色の目立つ見事な盛装。レリオットじゃないの!

 盟友レリオット。コノカは目を剥いた。確か祖国の事態を知ったあと飛び出そうとしたハールに気付きアリエスは追いすがる。〈何処に行くのです!〉と。そこに、アスヴェロス卿付きの従者として従っていたレリオットが口を出す。(無論祖国へ。貴方の――故郷へだ。そうでしょう?ハール殿)

 そして相手は口にするのだ。途惑うハールに膝をつき頭を垂れて。〝初見にて、気付きました。流れ者じゃない、貴方はハール黒太子だ――〟

 コノカははっとなった。相手がこちらに気付いている。階段の上を見上げており、僅かに顔を顰めており――

 ぎ――ゃあああ!!コノカは後じさった。正確には、階段の手摺りの下に隠れてしまう。護国卿レリオット!!齢二十四才にしてアスヴェロス卿の護衛に任命された凄腕の騎士!ぶっちゃけ好みじゃなかったけど間近で見るとぅぉあああ!!

 頬を押さえてじーんとする。気が付くと、すぐ傍でメリンダも似た顔をしていた。(やばいしんどい…)という顔をしている。そうだった、メリンダは彼が好きだったのだ?思い出す。こっそりと見つめていたりして。(分かるわぁ、推せる……)

「――大丈夫ですか」相手は、そう訊ねた。少し長い襟足の金色の髪。水色の目が美しくハールよりずっと王子らしい容姿だ。「お怪我は?マクスェル嬢」

 まあ!アリエス!婦人が飛び出してきて叫んだ。粉々になった壷としゃがみ込んでいる娘を見て仰天する。「何てこと!怪我はない?!」

「無い――と良いのですが」困ったように男は言った。階段の上を見る。「急に足を滑らせたのです。危なかった…」

「メリンダ!」婦人が叫んだ。はい!メリンダが飛び上がる。あーあ、とばっちりで叱られてしまうのだ。「お前が付いていながら…!」「申し訳ございません!」

 そのときハールは口を開いた。懐からハンカチを取り出す。床に屈み込み「誰だ」呟いてやる。「こんな所に水を零したのは……」

 は?途端にアリエスが振り向いた。婦人が目を剥いている。おおアリエスよ、騒ぎを聞きつけアスヴェロス卿がやってきてアリエスに手を貸した。卿の婦人も一緒に顔を出す。「何ですって?水?」

とっさに階段脇の花瓶にハンカチを浸してやる。婦人が顔を上げ、叫んだ。「――花瓶ね!昼間花瓶を変えたのは誰!」

だがそんなことよりアリエスだ。アリエスは、唇を噛むと姿勢を正した。平気です、下を向き口ごもる。まだ痛むのか顔を顰めており、膝を屈めて一礼した。「申し訳有りませんお母様……」

怪我が無くて幸いだった。アスヴェロス卿がそう言った。仕切り直すようにアリエスの肩を抱き居間に入っていく。これから食事が始まるのだ。気が付くと、メリンダがこちらを見ていた。感謝の顔で涙目になってしまっている。(ハール様ぁあ)と囁いた。(助かりましたわ…)(いーのよ、気にしないで)

親指を立ててやる。びし、向こうも親指を立て返し、そのときふいに再び視線を感じた。

レリオットだ。居間の入り口に佇み、じっとこちらを眺めている。

その顔は、微かに懸念を帯びている。だが途方も無い男前で、また美貌だ。純白のマントに金の飾りが揺れている。無理矢理仏頂面になるとコノカは相手を見返し踵を返した。角を曲がり悶絶する。

手を合わせて拝んでしまう。ああ、好き!!!あんなもんが盟友だなんてもう最高かよと……

思わずニンマリしてしまう。だが、運命は既に異様な方向に進んでいたことを、コノカはこのときまだ知らずにいたのだ。

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