カティア・ローデント公爵令嬢。彼女は俺が生まれたその瞬間にはもう親によって決められていた婚約者だった。物心ついた時には一緒にいることが多く、昔は婚約者というより友人のような関係だったと思う。
いつも何をやっても俺より優れている。それでも可愛らしく優しい彼女が俺は好きだった。初恋は……カティアだったように思う。
いつからだろうか、俺が彼女に嫌悪感を持つようになったのは。嫌悪感とは少し違うかもしれないが、思い返してみればカティアがレモーネの屋敷に花嫁教育として通うようになってからだった気がする。そしてその原因は恐らく母上だ。すべてを母上のせいにするつもりはない。それでもきっかけは母上で間違いないだろう。
母上は彼女を嫌っていた。それは俺が彼女を好きだったからだろうと今なら分かる。
「レオンです。ただいま帰りました。って…あれ?兄上、父上たちはどちらに?」
「ちょうど今王城に行かれたところだ」
レオンは俺の双子の弟だ。俺と違って優秀で隣国へ留学に行っていたがまさかこのタイミングで帰ってくるとはな。
「ああ、兄上の不祥事のことですか。跡取りのことなど、詳しいことは先ほど使用人から聞きました。でもおかしいですね。兄上は正気に戻っているようなのに、どうしてあのような騒ぎを起こしたのですか?というかどうやって正気に戻ったのですか?」
「お前の自由を奪うことになってしまったのは申し訳ないと思っている。俺が正気に戻った理由はカティアだろうな」
ここ十年ほど、俺はずっと心が何かに支配されているような感覚になっていた。気のせいかと思っていたがあれは恐らく母上に洗脳されていたのだろう。散々カティアの悪口を脳に刻み込まれてきたから。幼い俺なら信じ込んでも仕方なかったかもしれない。それでも俺はカティアに最低なことをした。誤っても謝り切れないくらいに。今更都合の良いことを言うなと思われるかもしれないが、俺はカティアが好きだ。俺の初恋はずっと心に残ったままだった。だが正気に戻るのが遅すぎたな、彼女とは婚約破棄になってしまった。
何度も言うが悪いのは俺だ。彼女のことは諦めて同じことを繰り返さないようにしようと決めた。
だがここで一つ気になることがある。それはどうやって俺が正気に戻ったのかということだ。俺の勝手な想像でしかないが……俺が正気に戻ったのはカティアのおかげではないだろうか?彼女が部屋から出ていこうとした時、彼女は一瞬俺の方を振り返った。その時、心の掛かっていた靄が晴れたような感覚になったのだ。彼女が何をしたのかまでは分からないが……
「そうですか。俺は兄上が正気に戻ってくださって嬉しいです。あの方には感謝しかありませんね」
「そうだな。俺も正気に戻ったからと言って今までのことがなかったことになるわけではない。まずは信用を取り戻すことが出来るように努力するつもりだ」
「ええ。頑張って下さい」
頑張ってくださいと告げた時、レオンは俺から隠れるように俯いた。俯く直前、レオンが嬉しそうな、でも泣きそうな顔をしていたのを俺は見てしまった。嫌われているものだと思っていたがよく考えてみれば俺が変わってしまう前は仲が良かったんだ。昔の俺を求めていただけかもしれない。元に戻った俺が褒められるような性格をしているとは限らないが、こうして自分のことを大事に思ってくれている人のためにも早く信用を取り戻したい、と……そう思う。