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断罪劇は二度目ですが、冤罪でしてよ

 紺碧の瞳はまっすぐとルーリエを見つめてくる。

 何か裏があるのではと探るが、目の前の男は心配そうな面持ちのままだ。純粋にこちらを案じるような視線に耐えきれず、パッと視線を逸らしてしまう。


(こ、この様子だと、どうやら「先ほどの壁宣言」も冗談ではなさそうね)


 少し迷ったが、気持ちを吐露することで解決の糸口をつかめるかもしれない。


「お心遣いに感謝します。実は――」


 意を決してこれまでの出来事を端的に説明すると、イグナーツは端正な顔をしかめた。だが口元に手を当てて考えこむ時間は短かった。


「……なるほど。ルーリエ嬢の言い分はわかりました。その話、信じましょう」

「し、信じてくださるのですか……? 自分で言うのもなんですが、とても現実味のない話だと思うのですけれど」

「でも事実なのでしょう? それとも作り話だったのですか?」

「いいえ。嘘はついていません」

「――でしょうね。あなたはカールストン家のご令嬢ですから。平気で嘘をつくような教育は受けていないはずです。代々カールストン家は嘘を殊の外嫌いますから」


 どうやらその話は社交界でも有名らしい。

 事実、ルーリエは幼少の頃から「嘘はいけないこと」だと徹底的に教え込まれてきた。一般常識と思っていたが、我が家は少々特殊だったようだ。

 こほん、と咳払いをしてイグナーツが話を本題に戻す。


「先ほどの話ですが……。突如変わった第一王子殿下や家族の態度、何らかの魔法か呪いが使われた可能性が高い。特にヘレン嬢は要注意人物ですね。幸い、魔法関連は私が得意とする分野です。早速、明日から調査を始めましょう」

「ご協力、感謝いたします。……ところで、以前イグナーツ様とどこかでお会いしたことがありましたか?」

「いえ、今日が初対面です。それが何か?」

「……失礼ながら、古くからの知り合いでもないのに、助けていただく理由がありません。わたくしのような小娘を助けても、イグナーツ様には何のメリットもないのではと」


 むしろ、時間の無駄になるのではないか。

 申し訳なく思っていると、心配は杞憂だというようにイグナーツは首を横に振った。


「別に何も不思議ではないですよ。ここにもあなたに一目惚れした男がいた、ただそれだけなのですから」

「……は……?」

「ただし、条件があります」


 硬い声にぴしりと緊張が走る。

 これは慈善事業ではない。対価を求められるのは当然だろう。


「無事に未来を変えられたら、私の花嫁になってもらいたい」

「…………。わたくしは未来で悪女呼ばわりされていたのですよ。結婚してから後悔することになるかもしれません。それでも求婚してくださると?」

「その悪女という噂も事実無根なのでしょう? ならば何も問題はありません。私は自分の直感を信じます。今までは恋愛や異性にまったく興味が持てませんでしたが、ルーリエ嬢と出会って新しい感情を知ることができた。恋をするならあなたがいい」


 出会ってすぐに好きや愛していると言われたら信用できないが、この言葉は信じられると思った。何より素直な言葉は胸に響いた。

 息が詰まって返事ができないでいると、イグナーツが凜とした声でたたみかける。


「どうぞお任せください。あなたのことは私が守ります。冤罪という卑劣な真似をしたことを後悔させてやりましょう」

「……わかりました。では冤罪からの死を回避できたとき、わたくしをあなたの妻に」

「契約成立ですね。ルーリエ嬢を当家の花嫁として迎えられる日が待ち遠しいです」


 イグナーツはさらりとルーリエのローズピンクの髪を一房持ち上げ、そこに唇を落とす。直接、唇と唇が触れあったわけではない。だが無性に羞恥心がこみ上げてきて動揺してしまう。頬に熱が集まるのがわかる。

 経験値の差は明らかだった。それもそのはず、イグナーツは今年二十五歳の若き伯爵。社交界に身を置いている年数は言わずもがな、魔法伯として名を馳せるほどの功績も挙げている。

 しかもイグナーツは最年少で魔法省長官になった実力者。クライン魔法伯といえば、ひたむきに仕事に打ち込み、国王の信頼も得てきた人物だ。老若男女を虜にする美貌を持ちながら、これまで浮いた話もない。

 そんな男に求婚された。今さらながら、その事実に心臓が高鳴る。


「あ……あの……そんなに見つめないでくださる?」


 思わず逃げ腰になると、イグナーツは紳士的な距離を保ちながら悪びれもなく言う。


「どうしてです? 恥じらうあなたも大変可愛いですよ」

「わ、わたくしたちはまだ婚約もしていないはずですが……!?」

「ふむ。確かにそうですね。本格的に口説くのは婚約してからにしましょうか」


 紺碧の双眸に見つめられ、視線がそらせない。

 心臓が脈打つ。芽吹いたばかりの恋心はきっと大きくなる。

 もう後戻りはできない、そんな予感がした。


 ◆◆◆


 そして、運命の日がやって来た。

 二度目の断罪は前回と同じく、社交界シーズンの始まりに行われる王族主催の舞踏会だった。


「稀代の悪女、ルーリエ・カールストン! 俺はこの場をもって貴様との婚約を破棄し、ボーデン子爵家令嬢のヘレンを伴侶とすることを誓う」


 婚約者ではない令嬢を横に侍らせたまま、ヨハニスは勝ち誇った顔でルーリエを侮辱した。彼の腕に甘えるようにくっつくヘレンも嫌らしい笑みを浮かべている。これではどちらが悪女かわからない。

 パートナー連れが普通の夜会に一人で出席する時点でも屈辱だが、二度目ともなると何の感慨も湧かない。

 一度目は周囲の様子を窺う余裕はなかったが、今ならわかる。何が起こっているかわからない若い貴族以外は、余興が始まったとばかりに嬉しそうな気配を隠そうともしない。淑女は扇の下に笑みを忍ばせて。紳士は罠にかかった獲物を見つめる視線で。


(この反応、やはり……。オペラの観客気分なのでしょうね。まったく悪趣味だこと)


 公共の場で婚約者を断罪するなど、とても褒められた行為ではない。婚約破棄なら書面上で済む話だし、わざわざ大勢の貴族が集う舞踏会で言う必要はない。

 本来なら、こうなる前に王子の側近が止めるべきだ。

 それが黙認されているということは、それだけルーリエを悪女にしたいのだろう。元婚約者が悪女ならば、婚約破棄に王子の過失はない。しかも被害者のヘレンに同情が集まる。

 家格が釣り合わない子爵令嬢でも王妃にふさわしいと思わせれば、向こうの勝ちだ。恋の障害は大きければ大きいほど美談になる。そこにわかりやすい悪役がいれば完璧だ。

 おそらく、この筋書きをヨハニスに吹き込んだのはヘレンだ。

 他者を貶めるやり方は悪意に満ちている。実にくだらない。

 彼女の台本では悪女であるルーリエは怒り狂う場面だ。ならばと、ルーリエはふっと穏やかな笑みを湛えたまま、右手を自分の頬に添えた。


「まぁ、どちらに悪女がいらっしゃるのでしょうか」

「しらばっくれる気か? 貴様以外にいるわけないだろうッ!」


 ヨハニスの背中越しにイグナーツと視線を交わし、キッパリと否定した。


「申し訳ないのですが、悪女呼ばわりされる覚えがありません。理由をお聞かせ願えますか?」

「ふん、白々しい。散々ヘレンの悪口を言い、誰もいないところで彼女を害してきたというではないか。人目がないところで嫌がらせを繰り返すなど、貴族の風上にも置けん」

「おかしいですわね。わたくしは他の方がいる前でしか、ヘレン様と会話したことはありません。それに話した内容だって、社交界で生き抜くマナーを優しく諭しただけですわ。彼女は養女となってまだ浅い。貴族の一般常識が欠けていらっしゃるようでしたので」


 わざと煽るように言うと、案の定ヨハニスは激高した。


「お前のせいでヘレンは、社交界で肩身の狭いを思いをしていたのだぞ! しかも日常的な嫌がらせに飽き足らず、彼女を殺そうとした! 未遂とはいえ、殺人は重罪だ。未来の王妃を手にかけた罪を死んで償うがいい」

「……証拠はあるのですか? わたくしがやったという証拠が」


 ルーリエの質問を待っていたとばかりに一瞬、ヨハニスの口の端がつり上がる。けれど、すぐに痛ましい顔を作って声を張り上げる。


「彼女の喉元を見るがいい! 縄で絞められた痕がハッキリと残っている。これが動かぬ証拠だ。このような非道な真似をする奴は、ヘレンに悪意を抱いていた貴様以外におるまい。さっさと罪を認めるんだな」


 わざと見せつけるように、ゆったりとした動きで、ヘレンが首元のチョーカーのリボンをはらりと解く。そこには遠目にわかるほど、痛々しい赤いあざがあった。

 だが前回と違うのは、この断罪劇で糾弾されるのはルーリエではない。

 イグナーツの協力でヘレンには監視がつけられていた。首のあざは、ヘレンの自作自演だ。正気の沙汰とは思えないが、彼女は自分で自分の首を絞めたという報告を受けている。


「…………」

「だんまりか。……まぁいい、証拠は他にもあるからな」

「あら。まだあるのですか? あまり期待はしておりませんが、次は何が出てくるのでしょうか」

「その余裕ぶった顔を続けられるのも今のうちだ。おい、あれを!」


 ヨハニスの一声で、彼の側近がさっと現れる。銀製のお盆には、束というには少なすぎる枚数の羊皮紙が載せられていた。


「……この書類は?」

「嘆願書だ。多くの者が、悪女であるお前を裁くべきだと署名している」


 死ぬ前に見たときは数えきれないほどの枚数があったはずだが、今は数枚しかない。

 見えないところで、イグナーツがいろいろ手を回してくれたおかげだろう。ここに署名した者たちは皆、ヨハニスの取り巻きだけだ。

 署名した時点で、ルーリエを悪女として裁くことに同意したも同じなのだから、彼らの未来に悪影響が出ても問題ないだろう。これなら罪悪感を覚えずに済みそうだ。

 ルーリエは読み終えた書類をバサッと放り投げた。


「多くの者……ですか。こちらに名を連ねているのは、中流貴族や下級貴族ばかりのようですね。まさか、王族の圧力で脅して書かせたのですか?」

「なっ……我が王家を愚弄するつもりか!?」

「いいえ。ただ事実確認をしたまでです。賢い上級貴族は署名しなかったのだ、ということを」

「ふん、どうだかな。あいにく、その署名は善意から寄せられたものばかりだ。貴様の罪は明白だからな。――誰か! この悪女をひっ捕らえろ!!」


 頃合いを見計らっていたように、ざっと衛兵たちが一斉にホールの真ん中に集結する。ガチャガチャと鎧の音が近づき、ルーリエの背後に立つ。

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