もうすぐ二月十四日。いわゆる、バレンタインデーだ。街中に「好きな人にチョコを贈ろう」というポスターが貼られている。私が学生の頃にはなかった行事だ。その風景を若い乗客も眺めている様子がミラー越しに見えた。
「日本のバレンタインってお菓子会社の商業戦略が見え見えで嫌いっす。運転手さんはどう思うっすか?」
「確かに、イギリスとは違い日本ではチョコレート限定ですからね。向こうではカードや花束も贈るのですが」
若い男性は水を得た魚のように言葉を続ける。
「そうですよね。ロマンチックじゃないっす。それに、告白は男からするものです。一ヶ月後のホワイトデーに返事をするなんて、女性に失礼っす。でも……」
「でも?」
「俺は付き合っている子がいるんです。だから、先にもらって、一ヶ月後にお返しなんて我慢できないです」
どうやら、乗客の悩みはバレンタインの風習にあるらしい。私はなんとか解決できないかと頭を回転させる。そうしているうちに、一つの考えが浮かんできた。
「では、バレンタインデーに彼女へプレゼントしてはいかがでしょうか? イギリスでは、女性からだけではなく、男性から贈るのも普通ですから」
「それはそうですけど。ロマンチックさも欲しいっす」
若い乗客は、私の回答には不服らしい。
「一つ質問ですが、彼女は一人暮らしですか?」
「そうっす」
それならば、と私は提案する。
「匿名で彼女の郵便に手紙を入れてはいかがでしょうか? もちろん、彼女はあなたが贈ったと分かります。でも、ロマンチックさは出るのでは?」
「それ、いいっすね! 運転手さん、天才っす」
別に私が思いついたのではない。イギリスには「匿名で贈る」という文化もあるのだ。それを伝えたまでのこと。
「お客様に喜んでいただけて、嬉しいです」
私はタクシーを走らせる。彼がどのようにバレンタインデーを過ごすのかを想像しながら。