「運転手さんは今年の七夕はどんな願い事をしますか?」
その問いかけは、タクシーの中にふわりとした空気をもたらした。50代の女性が、ややおっとりとした口調で聞いてきた。彼女は季節の移ろいに興味を持っているようで、窓から見える景色とともに、七夕の話題が自然と話題に上った。
「毎年一緒で『健康でいられますように』と願いました。ありきたりですが」と私は答えた。
女性はうなずきながら微笑んだ。「そうですよね。私もそうです」と返事をくれた。
年を重ねると、誰もが同じような願いを抱くものなのだろうと、しみじみと思う。
「この前、ショッピングモールに行ったら、七夕飾りがあったの。『恋人とうまくいきますように』とか、変わったものだと『花粉症にならないように、杉が絶滅しますように』なんてものもあったわ」と女性はころころと笑いながら話す。楽しそうに七夕の風景を振り返るその表情が、なんとも和やかだった。
「でもね」と前置きをしながら、女性は少し困惑した様子で続けた。
「若い男の子が――たぶん高校生だと思うけれど――黒い短冊に白いペンで学力向上をお願いしていたのよ。なんでわざわざ黒の短冊を持参したのか、もやもやするのよ」
黒い短冊? それも持参とは、確かに珍しい。学力向上という願い事自体はよくあるが、黒い短冊というのはなぜか引っかかる。私はその時、あることを思い出した。短冊の色が中国の陰陽五行説という考えに由来しているということを。
「その学生さんはかなり勉強熱心だと思います。おそらく願いは叶うと思いますよ」と私が言うと、女性は少し驚いた顔をした。「どうして?」と聞き返す。
「七夕の短冊の色ですが、一般的には緑・赤・黄・白・紫が使われますよね」と私は説明を続けた。
「実はこれらの色には意味があって、古くは中国の陰陽五行説に基づいているんです。そこで、黒色が登場するんですが、日本の短冊では黒色はあまり使われていません。その代わりに、高貴な色として紫色が使われることが多いんです」
「でも、それだとわざわざ黒色の短冊に書く理由が分からないわ」と女性は首をかしげた。
「そうですね。短冊の色と願い事は実はリンクしているんです。紫色は学業のことを書くと叶いやすいとも言われています。だから、その学生さんが黒色を選んだのは、もしかしたら紫色の代わりに使っていたのかもしれません」と私は答えた。
「なるほど、その学生は紫色に学業向上を書くと叶いやすいことを知っていて、黒色が本来はその色であることも知っていたというわけね」と女性は納得した様子で言った。
「その通りです」と私は微笑みながら言った。「まあ、物知りだからといって勉強が優秀というわけではありませんが、そういった知識を持っているのは素晴らしいことです」
タクシーの車内には穏やかな空気が流れ、女性は感心した様子でうなずきながら、「なるほど、よくわかりました。ありがとう。おかげで少しすっきりしました」と言った。
私は願った。その学生の願いが成就することを、そしてその知識が彼の役に立つことを。助手席のラジオが、軽やかな音楽を流しながら、タクシーは穏やかに次の目的地へと進んでいった。