「ねえ、目的の結婚式場まであとどれくらいでかしら?」
後部座席から、年配の女性が焦った声で私に問いかけてきた。声の調子からして、結婚式が間近に迫っていることは明らかだ。時間に追われる状況で、心中穏やかでいられないのだろう。
「あと15分くらいで到着します」と私は答える。すると彼女は、ホッとしたように肩の力を抜き、窓の外に視線を戻した。だが、その安堵も束の間、彼女はポツリとつぶやいた。
「今日は、時計に振り回されてばかりだわ……」
その言葉に、私は興味を引かれた。「何かあったのですか?」と、彼女の緊張を和らげるために、軽く問いかけてみる。こうした会話が、気を紛らわせることにつながるからだ。
「まずは、目覚まし時計が鳴らなかったのよ」と彼女は苦笑いを浮かべて話し始めた。「いつもなら時間通りに鳴るのに、今日は電池切れでね。大事な日に限ってこういうことが起こるのよ、困ったものね」
私は相槌を打つ。確かに、そんな日はある。特に、大切な日の朝に限って、思いもよらないトラブルが重なることは珍しくない。
「それだけならまだ良かったんだけど……」と彼女は続けた。
「まだ何かあったんですか?」と、私は少し驚いて尋ねる。これ以上何が起こったのだろう。
「ええ、実はね、洗面所の掛け時計もおかしくなったのよ。いつも化粧をしながら時間を確認するんだけど、今日はちらっと見て『まだ余裕がある』って思ったの。でも実際は、時間がギリギリだったのよ」
彼女の言葉に、私はピンと来た。どうやら鏡越しに時計を確認していたらしい。私は少し微笑みながら、「それは大変でしたね。それにしても、大切な日に限って時計に振り回されるとは」と同情を込めて言う。
彼女も苦笑しつつ、「まったく、本当に運が悪いわ」とため息をついた。
「それはこう考えられませんか?」と私は提案する。
「もしかしたら、その掛け時計が遅れていたのでは? 鏡越しに見たとき、逆さまになっているので、余裕があるように感じたのかもしれません」
彼女は一瞬考え込むように見えたが、すぐに納得した表情を浮かべた。
「確かにそうかもしれないわね。家に戻ったら、掛け時計の電池も確認しないと」
一件落着かと思いきや、彼女は急に不安そうな顔をして、「ねえ、本当にあと15分で着くの? この腕時計で計算すると、間に合わない気がするのよ!」と慌てた様子で言った。
再び時計に振り回される彼女の姿に、私は苦笑いを浮かべた。車の時計と自分の腕時計を確認し、時間に問題がないことを確認すると、彼女にこう聞いた。
「その腕時計、もしかして電子機器の近くに置いていませんか?」
「ええ、そうよ。昨日、パソコンのそばに置いていたかもしれないわ」
「それなら、機械の磁場の影響で、腕時計が早まってしまった可能性がありますね。自動巻きの腕時計は、そういった影響を受けやすいですから」
「そうだったの……知らなかったわ」と彼女は驚きつつも、少し安心したようだった。「今日は本当に時計に振り回されっぱなしね。まったく、運がないわ」
私は微笑んで、「大丈夫です。結婚式には間に合いますよ」と答えた。私はそう答えながら思った。大事な日に時計に三度も振り回されるとは、運がないとしか言えないなと。