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春の間にて

「こうなった以上は、我々だけでどうにかするしかあるまい。漁船が来るのは明後日じゃ。まずは、状況整理じゃ。天馬殿、話せるかの? 無理はせんで良いぞ」

 天馬さんはうなずく。



「最初の悲鳴は天馬殿のものじゃな?」



「はい……」



「まずは部屋に入った時、暁殿はどういう状態じゃったかの」喜八郎さんが優しく尋ねる。



「僕は気分転換に色々な間を歩いて周っていたんです。そして『春の間』に入った時……」一呼吸おくと続けた。



「暁さんが寝転がっていたんです。どうしたのか気になって近寄ってゆすったんですが、反応がなくて。てっきり死んでいるのだと思いました……」身震いしながら話した。



「なるほど。思い出したくないことを聞いてすまんかった。じゃが、必要なことじゃ」



「待てよ、それじゃあ一番怪しいのはその小僧になるぞ! 今言ったことを鵜呑みにするのか?」磯部さんが天馬さんを指す。



「確かにそうなるな……オレに恥をかかせやがって!」

 次の瞬間、秋吉さんが天馬さんの頬を叩いた。



「暴力は何も解決しないわ! そこまでにして。それに、この子が部屋に入る前に別人が暁さんを襲った可能性もあるのよ」薫さんは腰に手を当てて怒っている。



「薫さんに同意だな。何があっても暴力はよくない……ただし」指をポキポキと鳴らしながら草次さんが言う。



「相棒に手を出した奴は、何があっても許せねえ」その言葉には凄みがあった。

 さすがに、秋吉さんも磯部さんも黙った。その沈黙を破るように、うめき声があがった。



「暁さんが目を覚ましたようよ。でも、まだ無理はできないわね……しばらく安静にしておかないと」

 由美子さんの言うとおりだった。暁の目はとろんとしていて、まだ視線が定まっていない。だが、これで一安心だ。



「ふむ、意識がはっきりすれば犯人も分かるじゃろう。今のうちに白状したほうが身のためじゃぞ」

 喜八郎さんの問いに対する答えは、沈黙が示していた。



「なるほど。さて、話を戻そうかの。天馬殿の後は、草次殿や諫早殿が到着したわけじゃな?」



「ええ、そうです。それと、さっきから気になっているのですが……」僕はおずおずと言う。



「そこにある辞書、なんでしょうか?」

 みんなの視線がポツンと床に落ちた辞書に注がれる。辞書は開かれており、不自然さを感じた。春の間の中でひと際目を引いた。



「そんなもん、気にする必要はねえ。問題はこの中に犯人がいることだ。いつ何時、そいつが俺たちを襲うか分からねえ。自分の身は自分で守るしかねえってことだ」



「オレは磯部に賛成だ。早く部屋に帰らせてくれ。その方が安全だ」釣部さんが賛同した。



 その時だった。暁がゆっくり起き上がった。



「暁さん、起き上がる必要はないわ。一番楽な姿勢をして。無理しちゃダメよ。」暁を支えながら由美子さんが優しく言う。



「お、俺に……何があったんだ? 頭痛がひどいんだが……」



「暁は誰かに睡眠薬を嗅がされたんだ。由美子さんのおかげで、なんとかなったがな」夏央は心配そうな目で暁を見る。



「さあ、被害者が起きたんだ、さっさと犯人を言え」



「釣部さん、あんまり感心できる発言ではないわね」冬美さんが異をとなえる。



「でも、気にならないと言えば嘘になるわ。どう、話せそう?」冬美さんは暁の顔を覗き込みながら聞く。



「なんとか。で、何を話せばいいんでしょうか……?」暁の声にはいつもの覇気がない。



「『春の間』で暁殿の身に何があったのか、じゃ」



「俺は……この部屋の水墨画が気になって、ふと入ったんだ。それからのことは、はっきり覚えていない。でも、後ろから誰かに羽交い絞めにされたような気がする」

 暁の回答はかなりぼんやりとしたものだった。



「それみたことか! 結局、肝心な犯人を知らないときた。悪いがオレは自分の部屋に帰らせてもらう」秋吉さんは足早に去っていった。



「でも、こういう時って、団体行動のほうが安全じゃなくて? 単独行動は犯人に襲われるリスクが高いわ。ほら、映画とかでよくあるじゃない。単独行動した人から被害にあうって」

 僕も冬美さんと同意見だった。



「冬美さんの言うとおりじゃ。今後は固まって行動すべきじゃろう。異議はあるかの?」

「待ってくれ。団体行動するなら、知り合いと一緒の方が安全だ。俺は由美子と一緒に行動する」

 さすがにこの緊張した状況に疲弊したのか、由美子さんは草次さんの腕を掴んで震えている。



「草次の意見に賛成だな。だろ?」



「うん、そうだと思う」

 夏央の問いかけに僕は答える。



「その方が安心じゃろうて。しかし、身内に犯人がいないとも限らぬ。くれぐれも、そのことを肝に銘じておくのじゃ」喜八郎さんが釘をさす。



 その後、みんなが部屋から出て行き、春の間に残ったのは、僕に夏央、暁に喜八郎さん、そして執事の荒木さんのみになった。



「さて、何から始めるべきかの。荒木殿、館には救護室のようなものはあるかの? 暁殿をゆっくり休養させねばならん」



「ございます。ただ、最低限の設備ですので、もし仮に今回みたいな事件が起きれば――起こらないことを願いますが――白羽様が治療をするのに使えるのかは、自信がございません」荒木さんは額の汗をハンカチで拭う。



「ありがとう。では、暁殿が回復次第、そちらへ運ぼう」



「なあ、爺さん。これって立派な刑事事件だろ? 警察が来るまで、可能な限り現場を保存すべきじゃないか?」夏央が提案する。



「なるほど。そのとおりじゃ。さすが法学部生じゃ。部屋の鍵を閉める前に、念のため重要な証拠は写真でも保存すべきじゃ。諫早殿、頼めるかの?」



「ええ、もちろん。でも、重要な証拠ってそこに転がっている瓶だけですが……」

 僕は睡眠薬の入った瓶を指す。



「そうとも言えまい。例えば、そこに落ちておる辞書じゃ。これが事件に関係があるのか、まださっぱり分らんが、念には念をじゃ」

 僕は喜八郎さんの指示のもと、瓶や辞書の他にも窓際、扉の内側等をスマホで撮影した。



「ここまですれば、十分じゃろうて。後は暁殿が回復次第、救護室へ運び、この部屋を閉鎖して終わりじゃな」

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