家に戻ると、アーウィンとマデリンが整頓していた荷物を車庫の中に仕舞っていた。急に降ってきちゃって参ったわ、と云いながら奥から出てきたマデリンが、Tシャツ姿でずぶ濡れになって立ち尽くしているイーサンを見て目を瞠る。
「イーサン……! 早く家に入りなさい、入って熱いシャワーを浴びて。風邪をひいてしまうわ」
その声を聞いてか、アーウィンも外に出てきた。目が合った。なにか察したのか、なにも云わずただじっと自分を見つめる父に、イーサンは引き結んでいた唇を開き――一度深呼吸をし、云った。
「……ニューヨークへ、一緒に行くよ……」
マデリンが持っていたタオルで髪や顔を拭おうとしたが、イーサンはそれを避けるようにして仰向いた。
頬に雨粒が当たるのを感じながら、独り言のように言葉を紡ぐ。
「カイリーとは別れたよ。……オレオは、近所の誰かにおねがいして。ちゃんと、大切に可愛がってくれる人に。それで、俺がここに残る理由はもうないから――」
降る雨から庇うように両親に抱きしめられ、イーサンは家の中に入った。
シャワーで冷えた躰を温めてスウェットスーツに着替え、イーサンは階下へ下りていった。キッチンを覗くと、ちょうどよかったとマデリンがロブスタービスクのスープを出してくれた。
カウンタースツールに腰掛け、クリームチーズを塗ったブラウンブレッドにハムを挟んだだけの簡単なサンドウィッチと温かいスープで腹を満たすと、なんだかほっと気が緩むのがわかった。
普段、当たり前にいてくれるから気づかないが、実は離れることなどいちばんありえなかったのは、カイリーでもオレオでもなく、母かもしれない。そんなことをふと思い、センチメンタルになっている自分に気づくとイーサンは苦笑した。
ごちそうさま、とマデリンに声をかけ、イーサンは部屋に戻ると、なんだか疲れを感じてベッドに横になり――程無くうとうとと眠ってしまった。
* * *
夕食後。イーサンはあらためて引っ越しの日取りや、ニューヨークで通うことになる学校のことなど、細かいことまでじっくりと話を聞いた。来週の土日にはガレージセールをやり、その後には残ってしまった不用品の処分もするという。
それを聞いてイーサンは、自分の部屋にも幼い頃の玩具など、ガラクタがいっぱいあると云った。アーウィンが、まだ一週間あるからゆっくりまとめればいいと頷く。
そして少し間をおいて、マデリンがイーサンの顔色を窺うように話しだした。
「――でね、オレオのことなんだけど……ケイティにおねがいしようかと思ってるのよ。あそこは犬も猫も飼ってるし、いい人だから」
「いい人なのは知ってるが、先住がいると相性が悪かったりすることもあるんじゃないのか」
「でも、飼ったことのない人だと心配でしょう」
ふたりの話に耳を傾けながらイーサンは、ふとオレオの水入れに目をやり、ダイニングテーブルの周りをきょろきょろと見まわした。
「あれ……オレオは?」
「そういえば朝から見てないわね」
それを聞いてイーサンは眉をひそめた。
「朝から?」
「家の中をごそごそひっくり返していたから、どこかに隠れてるんじゃないか」
甘えん坊なオレオはこんなふうに家族が集っていると、いつも必ず傍にいる。見えるところにいないなんて珍しいなとイーサンはなんとなく気になり、「寝てるのかな、ちょっと見てくる」と、席を立った。
イーサンはキッチンを覗いてみたあと、踵を返してダイニングルームを横切りリビングへ向かった。いつも寝ているソファのクッション、窓の傍のキャビネットの上、庭から出入りする掃き出し窓のカーテンの陰。オレオの姿はリビングには見当たらず、イーサンは廊下を「オレオー?」と呼びかけながら進み、両親の寝室を開けた。
明かりをつけ、ベッドの向こう側まで捜してみたが、ここにもオレオはいなかった。寝室を出て、今度は階段を上がり、自分の部屋のドアを開ける。いない。ゲストルーム兼物置のようになっている隣室にも、バスルームにもどこにも、オレオの姿は見当たらなかった。
階段を駆けおりていき、玄関を開け放つと激しさを増していた雨が風といっしょに吹きこんできた。慌ててドアを閉め、イーサンは思った――こんな天候のなか、外にいるはずがない。いつもなら薄暗くなる頃に、必ず帰ってきている。
「いないのか?」
アーウィンも玄関にやってきた。イーサンは「いない……でも、家の中にいるはずだよ。どこか戸棚の中にでも入っちゃったのかも」と答えながら振り向き、ぐるりと見まわすように視線をさまよわせた。
「荷物を出すのにあちこち開けてたから、知らないあいだに入ってしまって、閉じこめられてるのかもしれないわね」
マデリンもそう云い、三人は手分けしてオレオが入りこみそうな場所を、隈なく捜し始めた。クローゼット、チェストの抽斗、ベッドの下、キッチンの戸棚。そしてまさかと思いながら、洗濯機の中まで――
しかし、三人がそうして一時間もかけて捜し続けても、オレオはみつからなかった。