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第13話 終の棲家は始発駅

「和泉。言い忘れた事がある。それもあって急いで来たんだ」

「言い忘れた事?」

「俺の恋人になってほしい。きちんとは、伝えていなかっただろ?」


 その言葉に、槙永の胸が締め付けられた。頬が自然と紅潮し、思わず涙ぐむ。


「本当に、俺で良いんですか?」

「和泉が良いんだよ」


 青辻が苦笑している。

 慌てて何度も何度も槙永が頷くと、その手首に、そっと青辻が触れた。


「後は連絡先を聞くのも忘れた。教えてくれ、今すぐに」

「は、はい!」


 スマートフォンを取り出して、その場でトークアプリの連絡先を交換する。槙永は体が強張ってしまい、上手く操作が出来なかった。


 だが穏やかな表情で、青辻は待っていてくれた。

 そうして再び歩みを再開し、二人はポツリポツリと雑談を重ねる。


 槙永は外套の首元を押さえながら歩き、社宅の一軒家へと戻ってから、鍵を取り出した。


 隣に青辻が立っていると思うだけで、胸が騒ぐ。嬉しさが込みあげてきて、思わず右手で唇を覆った。頬が熱い。


「和泉」


 社宅に入ってすぐ、後ろから青辻が槙永を抱きしめた。震えだしそうになる体を制し、ゆっくりと槙永が振り返る。


 すると直後、青辻が槙永の顎を持ち上げて、濃厚な口づけをした。角度を変え、何度も何度も、青辻が槙永の唇を貪る。


「すぐにでも、和泉が欲しい」


 そのまま二人は、服を脱がせあいながら、自然とベッドへと移動した。

 事後、槙永はぐったりとしていた。


「悪い。止められなかった」

「……平気……です」


 掠れた声で槙永が答えると、隣に寝そべった青辻が、優しく髪を撫でた。


「少し眠れ。俺は駅に迎えの車が来たらしいから、名残惜しいが帰るよ」


 それを聞いた後、槙永は意識を落とすように眠ってしまった。


 そして朝方一度起きた。明らかに情事後の身体状態を見て、夢ではなかったと確認したが、まだ起きるには早いというのに、その後は寝つけなかった。


 次に眠って全てが夢だったならばと、そう思うと体が震えそうになったからだ。


 翌日は泊まり勤務だったので、始発後に駅へと向かう。引継ぎをしたり、電話番をしたり、フキに餌をあげたり、この日の日勤の澤木におかずを分けてもらったりしながら、ずっと青辻の事が気になっていた。


 休憩時間にスマートフォンを見れば、そこには青辻からの連絡があったから、夢ではないのだと確認出来て、それだけでも舞い上がりそうになった。


「なんだか、前よりも槙永さんは、話しやすくなりましたよね」


 食後のお茶を飲んでいたら、澤木にそんな事を言われた。驚いて顔を上げると、澤木が楽しそうな顔で笑っていた。


「お客様とも雑談してたりするし。柔らかくなったっていうか」


 それは槙永自身は気づいていない変化だった。だが思い返してみれば、最近は町の人の差し入れが少し増えた事もあり、確かに話す機会が増えていた。他者への苦手意識が、少しだけ薄れている。これらは――他人に対する恐怖心の緩和は、青辻のおかげだろうなとすぐに槙永は気がついた。青辻は槙永に、再び人を信じるという気持ちもまた、教えてくれた。


 この日は青辻が姿を現す事は無かったが、一人になった駅員室で、泊まり勤務の仕事の休憩中には、トークアプリでやりとりをした。主に、青辻が引っ越してくるという話の詳細を聞いた。空き家ばかりの土地であるから、家探しには困らないらしい。


 そして仮眠後、シャワーを浴びてから、制服をきっちりと身に纏い、槙永は券売機の電源を入れた。出入口のシャッターと鍵も開ける。


「おはよう」


 すると待ち構えていたように、青辻が顔を出した。


「折角だから、今日は少し撮って来ようと思ってな。貴重な紅葉を」


 不在だった間の距離など感じさせない青辻の言葉に、僅かに槙永が頬を持ち上げる。すると青辻がじっと槙永を見た。


「めったに笑わないから、貴重な表情を見た気分だ」

「そ、そうですか……」

「これからはそばにいて、俺が沢山笑わせてやる。約束する」


 そう述べると、他にひと気の無い待合室で、青辻が槙永を抱き寄せた。腰に腕を回し、もう一方の手で槙永の頬に触れる。


 誰かに目撃されたらと思えば、以前ならば恐慌状態になった自信があったが、この時の槙永は、幸福感の方が強くて、素直に抱きしめられていた。すると槙永の顎を持ち上げて、顔を傾けた青辻が口づける。


「そして毎日、キスがしたい」

「……二人きりの時だけでお願いします」

「了解。それから、その敬語を止めさせたい」

「……努力します」

「そうしてくれ。ただどんな和泉も、俺は好きだ。愛している」


 きっぱりと告げた青辻は、最後に槙永の額にキスをしてから、両腕を解いた。


「明日は休みだろう? シフト的に」

「ええ」

「じゃあ明日は俺に、時間をくれ。早速、家を借りたんだ。明日にはいくつか新しく買った家具が届く。和泉に見せたい」

「俺も……見たいです」


 いちいち青辻の言葉が嬉しくて、槙永は擽ったくなる。そこへフキが来たので、餌をあげるべく、一度槙永は駅員室へと戻った。


 そしてその他の仕事を片づけてから、始発のため、改札に立つ。乗車客は、本日は青辻のみだ。


「お願いします」

「拝見します」


 手渡された切符を受け取り、槙永は頷く。

 その後電車を待つ為、改札を離れて、槙永と共にホームに立った。


「行ってくる。そして、必ず帰ってくる。明日の約束、忘れないでくれよ? 後で、改めて連絡もするけどな」


 ホームに電車が入ってきた。


 槙永は車掌と合流し、清掃作業などを手伝う。その後、それらが完了すると、開いたドアから、早速青辻が電車に乗り込んだ。一度ホームに出て、槙永は青辻の前に立つ。

 そして青辻を見据え、ゆっくりと槙永は頷いた。働き方を思い出した表情筋が、優しい笑顔を形作っている。


 そのまま扉が閉まるまでの間、その場で二人は見つめあっていた。


 発車する頃合いになって、青辻が座席へと向かい歩き始める。槙永は電車から少し距離を取り、車内を進む青辻を見ていた。そして座った青辻が窓から手を振ったので、静かに口角を持ち上げる。共にいられる事が、嬉しくてならない。


 そうして走り出す電車を見送りながら、槙永は新しい日々に想いを馳せた。

 二人にとっての深水駅は、終着駅でもあり、また始発駅でもあった。






 ―― 完 ――




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