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第6話 向かい合って座る



 撮影を続けるという青辻について少しまわり、昨日写真を撮ったという場所にも案内してもらった後、同じ終電に槙永は乗り込んだ。昼食を忘れた事など、何も気にならなかった。その車両には、槙永と青辻の二人しかいなかったが、座席に向かいあって座る。


「今日も良い写真が撮れた」

「お邪魔じゃありませんでしたか?」


 集中しながらファインダーを覗いている時、青辻はいつもとは異なり真剣な表情になるのだと、この日槙永は知った。だが帰路についた現在は、これまでに話した時と同じ、優しい表情を浮かべている。そんな青辻を見ているだけで心拍数が煩くなる現状に、槙永は内心で焦燥感に駆られていた。


 この胸の動悸をもたらす感情が、恋という名前をしていると、槙永はすぐに気づいた。けれどそれは即ち、嫌な過去を思い出す結果でもある。もう二度と、穏やかな日常を失いたくは無い。


「槙永くんが見てくれると分かったからな。いつもより気合いが入って、邪魔というより応援をしてもらっていた気分だった」

「……」

「それに、俺が木の説明をしたりすると、物珍しそうに、じっくりと槙永くんは聞いてくれるしな。樹木や草花に関しては、やっぱりまだまだ槙永くんは都会の人って感じがしたぞ。俺の話を鬱陶しがらない所が」

「そうですか……」

「逆に地元の人達は、独特の名前で呼んだりもするし、俺よりも知識がずっと豊富で耳を傾けてくれない。今日みたいに、撮りながら案内するというのも楽しいなと、俺は久しぶりに思った。槙永くんさえ良かったら、また一緒に来てくれ」


 当初こそ相槌を打つ事にも必死だった槙永だが、青辻は話しやすく、次第に言葉が自然と出てくるようになっていった。


 それもまた、恋心を自覚させる要素であるから、たちが悪い。


 深水駅に到着するまでの間、青辻は笑顔で沢山の事を語った。自然について、写真について、他には写真以外の趣味と仕事、たとえばそれは油絵を描く事やいくつかの会社の経営だと槙永に教えてくれた。


「まぁ、会社関連は、どれも親から引き継いだ、名義だけのものだけどな」


 そう述べて苦笑し、自分の人生をかけた仕事は写真家としての仕事だと青辻が締めくくった頃、電車がホームに入った。二人で電車を降りると、改札にいた澤木が笑顔になった。


「おかえりなさい、二人とも!」

「……たまたま展望台で一緒になって」


 言い訳じみた事を、咄嗟に槙永は口にした。すると青辻が吹き出してから、少し強く、片手で槙永の肩を叩いた。


「たまたまじゃないな。俺の素晴らしい写真を見て、現地に足を運んだんだから、運命の出会いだろう」


 思わず槙永は赤面しそうになったが、自分の気持ちを勘ぐられては困るので、必死に落ち着こうと努力する。


「お二人、仲が良いんですね!」


 澤木がクスクスと笑い、槙永と青辻から切符を受け取った。


 その後駅員室の小窓から待合室を見ていた田辺にも挨拶をし、槙永と青辻は揃って駅を出た。朝焼けは二人で何度か見たが、夕焼けを見たのは初めてだ。


「じゃあ、また。明日、勤務だろう? 槙永くんは。俺は明日も、今日と同じ場所で撮る予定だ。良い写真、沢山収めてくるから期待していてくれ」


 笑顔で手を振り、駅の駐車場へと青辻が歩いていく。軽く会釈を返してから、槙永は歩道を進む事にした。


 久しぶりの恋に、胸を幾度も押さえながら帰宅し、鍵をかけてから、槙永は大きく吐息した。一人きりになった事で、漸く緊張から解放された心地だ。そのまま靴を脱いで室内に入る。キッチンへと向かい、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをコップに注いだ時、自分の手が震えている事に気が付いた。一気に飲み干してから、今度は真っ赤になる。ギュッと目を閉じれば、浮かんでくるのは、本日見た優しい青辻の笑顔や撮影時の真剣な表情ばかりだ。脳裏の全てを、青辻が占めている。ただの片想いであるし、すぐに青辻はこの地を去る。そうは思うのだが、久しぶりの激しい情動の変化に、体も思考も上手くついていかなくて、槙永は泣きたくなった。


 今後誰かに、己が同性愛者であると告げるつもりは微塵も無いし、この気持ちを吐露したいとは考えてもいないが、青辻を想うと胸が疼くようになってしまったのは、認めたくはないが事実だった。


 その後浴室へと向かい、頭から温水をかぶって、シャワーで思考を冷静にしようと試みたが、槙永の胸中は終始煩いままだった。


 明日は日勤であるからと、仕事の準備を整え、ベッドに入りはしたものの、青辻の事ばかり思い浮かんで、中々眠れない。


(また明日と、青辻さんは言っていたな……でも、日勤の時は話すタイミングが無いから、社交辞令だろうな)


 悶々とそんな事を考えてから、槙永は無理矢理目を閉じ、なんとか睡眠時間を確保した。




「おはよう」


 あまりよく眠れなかった翌朝、駅に行くと青辻に声をかけられた。


「あ……おはようございます」


 駅舎の壁に背を預けて、青辻は空を眺めていたらしい。既に駅のシャッターは開いているから、昨日までならば待合室の中にいた頃合いだ。


「はい、これ」


 青辻は微笑しながら、ブラックの缶コーヒーを、槙永に差し出した。咄嗟に受け取ってから、たったそれだけの事なのに舞い上がってしまいそうになる内心を制し、槙永はゆっくりと瞬きをした。


「そろそろ一雨きそうだな」

「天気予報だと、来週は雨続きですね」

「深水は名前の通り、水害が多い土地だからな。何事も無い事を祈ろう」


 その声に、槙永は頷いた。実際、槙永が入社する前には、幾度か深水線も水害の被害に遭ったと資料で見ている。そういった有事の際には、駅舎に客を避難させる事もある。


 地元民は公民館等に避難するのだが、急な豪雨の場合はそうもいかない。垂直避難の際には、駅の二階の倉庫と仮眠室を開放するという決まりがあるほどだ。


 缶コーヒーの温もりを掌で感じてから、一礼して槙永は駅員室へと向かった。青辻ともっと話していたかったし、名残惜しかったが、仕事がある。


「おはようございます」


 昨夜の泊まり勤務だった澤木が、挨拶をしてから大きく欠伸をした。この日もフキへの餌あげ担当は槙永となり、すり寄ってきた猫の駅長の頭を撫でてから、キャットフードを与える。こうして一日が始まった。


 この日は、終電の際、駅員室の小窓から顔を覗かせた青辻が楽しげに笑った。


「今日も良い写真が撮れたぞ」

「そうですか」


 仕事をしない表情筋に、この時ばかりは槙永も感謝をした。気を抜けば、声をかけられただけなのに、赤面してしまいそうになっていたからだ。


 これを境に、日勤の時も、泊まり勤務の日であっても、青辻は槙永に対して声をかけるようになった。親しくなれた事は喜ばしいが、動悸が酷くなるので、槙永は平静を装う事に躍起になった。日増しに、青辻の事が好きになっていく。他者が怖いとあれほど思っていたはずなのに、青辻が自分の心に入って来る事が、決して嫌ではない。


(だからこそ、絶対にこの気持ちは知られたくない)


 もしも青辻に嫌悪され、避けられたら。

 今度こそ、立ち直る事が出来ないだろうと、槙永は感じていた。




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