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第7話 忌まわしき幻影

 ガレージ内のソファーに腰を下ろし、僕は椅子に縛られた茜と対峙する。

 身体に縄が食い込んだ茜の姿は、酷く官能的に感じられた。やはり、彼女を選んで正解だった。改めてそう思う。


 美しく、母性があり、気品があり、慈悲深い。傍から見ていても、僕はそれらを見抜いていた。だから、茜を選んだ。

「さて、捕らえたはいいがどうすべきか。身体の自由を奪うのは容易いが、心を奪うのはそう簡単ではないからね。君の僕への口振りからも、それは理解している」

 身体を拘束された茜は、僕をきつく睨み続けている。その目には恥辱、憎悪が込められており、先ほどに比べて恐怖や怯えの色は伺えなくなっていた。


「当たり前でしょ……あんたなんかに、誰が」

 茜が忌々し気に口を開く。

「ほう、誘拐犯が僕だと分かった途端、随分と強気だね。僕……舐められているのかな」

 隠していた顔を明らかにした後から、茜は怯える様子ではなく、僕を罵り、怒りをぶつけるような態度を表し始めていた。

 既に顔を合わせ、そして目の前で惨めに取り押さえられ、犯罪者として大学から消えた僕の事を、舐めているのか、見下しているのか。 

 どちらにしろ、茜の中には若干の余裕があるように感じられた。


「……あの日以来、私はあなたの事を調べて回った。医学部の友人、教授……色んな人からあなたの情報を仕入れた。あなたが私を調べ上げたのと、同じようにね」

「へぇ、奴らから引き出せる情報だなんて、たかが知れていると思うけど」

 茜には学内に友人も多く、情報を仕入れるにはそこまでの苦労は無かった。

 だが、僕はどうだ。学内に友人はおらず、それどころか僕を認知している人間も医学部内であっても限りなく少ない。最近は特に授業にも顔を出していなかったから、尚更だ。

「ええ、そうね。ロクでもない情報ばかり。皆口を揃えてあなたの悪い噂ばかり私に話してくれた。随分と嫌われていたのね、高城 亮」

 僕の名を口にした茜は、鼻で笑う。知り得た僕の惨めな実態を、嘲笑した。

 受験に失敗し、両親から嫌味と皮肉を散々浴びせられながら入学した三流私大の医学部。

 そしてその医学部内では、その醜悪な外見と陰気な性格で入学早々に毛嫌いされ、爪弾きにされ続けた僕の実態を、茜は既に調べ上げていた。

「ふん……それで、奴らからの無益な情報と、君の矮小な頭で何が分かった?」

「あなたが、ロクでもない屑人間だという事実は簡単に判明したわ。そして、今日その仮説が間違いないことが……証明出来た」

 再び茜は僕に卑下するような視線を浴びせる。

 思い通りにならなかった女を攫い、強引に自分の物にする。その所業だけ見れば、非難されても仕方がない。

 しかし、そんな卑劣な手段を用いて、非難されようとも、僕は茜に対して高尚な目的を達しなければならない。

「高城 亮。医学部二年で、サークルや部活には属していない。授業や試験には殆ど顔も出さず、成績は底辺。友人もおらず、いつも一人で行動。医学部の皆もあなたを不気味に思って近寄りすらしなかったそうね」

 茜の口から出る僕の情報は、何一つ間違いでは無かった。

 それらに加え、僕は強姦未遂、誘拐という手段で茜を手にしようと考えた。

 茜の言う通り、僕は僕自身で高城 亮という人間がロクでもない人間という事実を証明してしまったのだ。それに対し、僕は反論も否定もする気は毛頭無い。

「けれど……人体、人間の体の仕組みや遺体に対しては異常な興味を持っていた……と教授の一人が話してくれたわ。酷く不気味で、気持ちが悪い学生だったと」

「ふん、奴らには到底理解できない事。君も含め、理解してくれだなんて頼む気も無い」


 分からない奴らはそれでいい。嫌いたい奴らはそれでいい。僕は、僕の目的を達することさえできれば、他人からの評価などどうでもいいのだ。

 茜も含め、今は理解する必要など無いのだ。いつか、僕の真意を知る時が来る。

「挙句、女が思い通りにならないからって誘拐? 最低。私はあんたの人形じゃない! 自分の思い通りにならなかったからって、こんな事……恥を知りなさい!」

 般若のような形相で僕を罵る茜。

そんなもの、気にもならない……普段の僕なら気にならないはずだった。


 けれど……茜と何かが、重なった気がして、僕は目を擦ってみる。


「……醜い」

 しかし、何度目を凝らしても、あの茜と重なった幻影は嘘では無かった。

 僕を卑下し、罵詈雑言で僕を責め立てる姿は、過去に僕が眼にしてきた醜い女たちのイメージと一致する。そしてそのイメージが、幻影として茜と重なる。

 過去、僕を拒絶し、卑下してきた女たちの顔が、脳内に充満する。


 ……気分が悪い、気持ちが悪い……僕は耐えきれず、ソファから崩れ落ちる。

「……やめてくれ、君は、君だけは……違う筈なんだ」

 誰にでも優しく、汚れの無いはずの茜。そんな茜が、こんなにも醜い姿で僕を罵っている。

 僕を罵った、過去の女たちと何ら変わりのない姿へ、変貌しようとしている。

「聞いてるの?! 何をされようが、私はあんたの言いなりになんてならない! あんたみたいな卑屈な屑になんて……っ」

「やめてくれ……」

 これ以上、美しい茜を醜く見せるのはやめてくれ。僕はずるずると身体を引きずりながら、捕らわれた茜の方へ近寄る。


「ぐっ……ぅ……ッ」

 そして、美しい茜を取り戻したい一心で、僕は茜の首筋に手を掛け、思い切り絞め始めた。


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