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第2話 純潔の聖処女

 彼女……『吹山 茜』を初めて見たのは大学のある講義の中だった。本来、医学部である僕と体育学部の彼女が講義で一緒になる事はほぼ無いのだが、たまたま全学部共通の必修授業の中で彼女を見つけた。


 彼女は病的に美しかった。陸上部で鍛え上げられた彫刻のような肉体に勉学も優秀。その上、色恋沙汰には一切の興味がないと噂の……まさに穢れを知らない、純潔の聖処女。一目見たとき、僕の脳内に電撃が走った。彼女は『芸術』だ、と。


 それと同時に僕の中で芽生えたのだ、この美しき『芸術』を彼女の美しさを理解する僕自身の手で保全しなければならないという責任感が。


 それから僕は完全に彼女の虜になった。彼女の事は調べられるだけ調べたし、僕自身も彼女を手に入れる為にはどうすべきかを考えた。彼女の全てを分析し、住所などの個人情報から趣味やお気に入りの店が何処かも全て把握した。準備は万全だった。


 そして、準備を整えた僕は彼女……茜に自らの想いを告白をする事にした。


 講義後、部活に向かおうとする茜を呼び止め、校舎裏へと呼び込んだ。そして、僕は彼女に思いを伝えた。緊張など微塵も無かった。何故なら、彼女と僕は結ばれる運命にあるのだとこの時点で既に確信していたからだ。


 だが、それに対し、茜は驚いていた。まぁ、最初は無理もないだろう。何故なら僕と茜が面と向かって話すのはそれが初めてだったからだ。僕は茜を知っていても、茜は僕の事を知らなかったのだ。


「ごめん、なさい……まず、私たち話すのも初めてですよね? というか、何処かでお会いしました……?」

「僕はずっと君を見ていたよ。君が気付いていなかっただけで、ずっとね」


 茜は何故か困ったような、引きつった顔をしていた。彼女の事を知り尽くし、尽くそうとしているこの僕からの申し出を、何故か茜は喜ぼうとはしなかったのだ。

「君の事は何でも知っている。君にとって、僕以上の存在はいない。僕にとっても、君以上の存在はいない、つまり、僕達は互いに求め合っている。優秀な君なら分かるだろう?」

 僕は僕の知り得る茜の全ての情報を次々と羅列していった。住所、趣味、バイト先、出身高校……彼女の事で知らない事など既に無かった。つまり、それが僕の茜への愛の重さを示している。これだけ茜の事を知り、愛を持つ男が僕以外にいるだろうか、いや、いるはずがない。


 だから……僕は茜にとって一番の男のはずであり、結ばれるべきだった。

 けれど、僕の話を聞けば聞くほど茜の表情は徐々に曇って行くばかりだった。 


 それどころか茜の表情は更に変化し、僕に対して畏怖と嫌悪感を示す表情に変化していったのだ。


「……とにかく、お付き合いはできません。部活があるので、もう失礼してもいいでしょうか」

「待ってくれ……君は僕と一緒にいるべきなんだ、どうして分からない? 君は他の馬鹿とは違うはずだ……茜!」

 茜は逃げるように僕の目の前から去ろうとする。

 気が動転しているのか、恥ずかしがっているのか、茜の態度は素直では無かった。しかし、茜自身も分かっているはずなのだ、茜の全てを知る僕と一緒になる事が彼女にとっても幸せである事を。


 僕は茜の白く細い腕を強引に掴み、そのまま押し倒した。

「離して! いやぁ! 誰か! 誰か助けて!」

 茜には恋愛、交際経験が無いと聞いていた。だから、異性から告白を受けて羞恥心を持つのも分かる。素直になれないのも分かる。だが、ここで茜の返答を有耶無耶にするわけにはいかない。だからこそ、茜には可哀想だが強引な手段に出たのだ。


「茜……っ、恥ずかしがる必要はないよ。僕は君の全てを知っている。君の本当の気持ちも……だから、だから、隠す必要はないんだ……っ、僕が!」

 強引に迫れば、茜も素直になると思っていた。だが、僕が茜を押さえつける力を強めれば強めるほど、茜からの抵抗は激しくなる。

「……はな、して!」

 茜が悲鳴に近い声で叫ぶと同時に、僕の頬に鈍い感触が叩きこまれた。

それは茜の拳だった。茜の必死の抵抗で僕はあっけなく吹き飛び、そのまま校舎の壁に叩きつけられる。

 女に殴られるのは慣れていた。だが、この瞬間が一番痛かった事を覚えている。


「いい加減にして……私は、あなたなんか……」

 茜の言葉を最後まで聞き取れなかった。

 だが、とてつもなく心に痛みを伴った事を覚えている。きっと、茜は僕を否定したのだ。

 騒ぎを聞きつけ、駆けつけた野次馬たちに拘束され、僕は無理矢理に茜から引き離される。

 その最中、僕は無意識の内に涙を流していた。野次馬たちが僕を口汚く罵ろうが、僕にとっては取るに足らない些細な事だ。


 けれど、拘束される僕を見る茜の目。不快感を露にし、怯えきった彼女の目と僕の目が合った時、僕は耐えがたい苦痛に苛まれた。

 不本意とはいえ、彼女を傷付けてしまった。その責任を一身に感じ、僕は自身に対する怒りとで涙を流したのだ。

「ごめん、ごめんね……茜。けれど、きっと君も分かってくれるはずだ。君は、僕と……」

 そして、怒りと同時に茜という存在を何としてでも保全しなければならないという責任感は、より一層……僕の中で強まった。

 優秀な彼女の事だから、言葉だけでも十分に僕の事を理解してもらえると思っていた。けれど、彼女は残念ながら、僕が思うほど頭が良くないのかもしれない。


 だから、仕方がない。心苦しい、今日のように手荒な真似になってしまう事は避けられない。そんな手段でしか君を保全できない僕の無力さを、彼女を許してくれるだろうか。



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