繰り返される差別、そして降りかかる悲劇。鶴の心は完全に壊れてしまった。
鶴の計画は鈴音様の祟りを演出し、村人に一方的な恐怖を与える事。
そして、最終的には村の大半を殺害し、この村を滅ぼす事。
俺が鶴に与えられた任務は、祟りの演出のために犠牲となる村人の選別だった。鶴は村を離れており現状の村人の情報をほとんど知らないため、俺が鶴の出した条件に見合う村人を調達する。
鶴の出した人選の条件は、心に大きな傷を負っている者。精神的に摩耗している方が、鶴の『誤催眠』の効果がより鮮明に表れるというのだ。
心に傷を負った者の傷口に鶴が誤催眠をかける。そこまでは理解できたが、それからどうやって……殺すのかまでは教えてくれなかった。
そして、俺が鶴に提案した一人目の生贄……笛吹 清子。戦争で夫と一人息子を亡くした、哀れな中年女。特に息子の死に方はひどかったらしい。軍事関係の人間だった祖父・源氏がまだまともだった頃、その死因を秘密裏に聞いた事がある。笛吹の息子は地雷で爆死し、結局その息子の薬指の第一関節だけが遺体として母親の元に帰ってきたらしい。
戦争で夫と息子を亡くし、彼女の心には大きな穴が開いた。そして、彼女はその穴を埋めるために……俺の祖父と同じく鈴音様への異常な信仰を始めた。
どうやら鈴音様の力があれば夫や息子の魂は救われると祖父に唆されたのがきっかけらしい。その日から彼女はその言葉に縋るように鈴音様を崇め、称えた。
村でも厄介者に見られていた彼女は孤立し、更に鈴音様への信仰にのめり込んでいった。
鶴はこの女に目を付けた。戦争によって家族を失い、弱った心。更に鈴音様の信仰にも積極的で、他人との関わりも薄い。鶴の異能を活かすには十分な獲物だった。
*
夕暮れ時、道の隅で私は近所の主婦たちと会話をしていた。
「ねぇ、この前のアレ……結局事故って事で片づけたって。今朝駐在さんが言ってたわ」
「結局、あれは工藤さん所の源治さんの仕業だったのよね?」
「源治さん、終戦後から急におかしくなったのよ。戦争で多くの仲間を失って、更に日本が負けたもんだから」
話題はもちろん先日の『事故』……いや、『事件』についてだ。
あれは明らかに事件だった。だが、事件が明らかになれば俗世間の好機の目にこの鈴音村は晒されてしまう……それを危惧し、事件は事故として内々に片づけられたようだ。
「まぁ、でも殺された片方の娘は白羽の所……ですよね? 裏切者が戻って来て早々に殺されたもんだから、もしかしたら本当の祟りなのかもって期待したんですけど……はは」
私……笛吹 静子は白羽の名前を強調して口にする。
正直、祟りだろうが何でもいい。村を捨てたあの一家の娘が、晒し首になっていたことがたまらなく気分が良い。
「え、ええ。そうね……笛吹さん、鈴音様の信仰には熱心だから……」
私の言葉に、まるで思っていないような反応をする二人の主婦。この二人も、私をあの工藤と同じような目で見る。哀れむような、悲しい目。
村人たちは白羽の人間が死んだことを悲しむ様子など無い。むしろ、裏切者に罰が当たったくらいで、気分が良いくらいだ。
「まぁ、工藤さんのお孫さんには同情するけど……あんなイカれジジィを放っておくのも困るわよねぇ」
工藤 源氏は現在、形上は村の診療所に入院しているが、実際には入院ではなく監禁だ。治る見込みもないのだから、治療もしない。ただ、ベッドに縛り付けているだけ。
工藤の家もそれで納得したというのだから、他の村人に反対する理由は無かった。
結局、その日は日が沈む寸前まで白羽の話題だった。私以外の二人は家族の元へ帰り、これから食事を用意し、家族と団らんを楽しむのだろう。
だが、私にはそれがない。家族の団らんなど、私にはもう無いのだ。
家に帰り、戸を開けても誰もいない。出迎えてくれる夫も、子もいないのだ。二人とも戦争で私の前から消えて行った。夫は未だに行方不明、息子の遺体は薬指だけが発見された。
出兵の日、私は夜通しで編んだお手製の巾着を渡して送り出した。けれど、二人は帰ってこなかった。
「……」
仏壇に黙って手を合わせながら、白羽家の家族を思い出す。
私の夫や息子が村を守るために戦う中、奴らを簡単にこの村を捨て、逃げた。
私の家族だけではない。皆、村を守りたい一心で団結し、皆戦った。だが、奴らは命が惜しくてその義務を全うしなかった。
そんな裏切者が、終戦後にのこのこと村に帰って来た。許せるわけがない。誰がこの村を守ってきたと思っているんだ……これが村人の総意だ。
「……あなたたちのお蔭で、村は今日も平和でしたよ?」
仏壇の前で手を合わせる。こうして毎日、仏壇に報告をすることが私の日課だった。
私にとって神聖な時間……だが、それを打ち砕くように戸が激しく叩かれる。
苛立ちを覚えながらも私は戸に手を掛け、客人の前に出る。
だが、その客人は私の予想するような人物では無かった。
「こんばんは、笛吹のおばさん」
「……白羽の、裏切者」
目の前に立っていたのは、白羽 鶴だった。
だが、以前までの印象とはだいぶ異なっていた。なんというか、表情が明るい。
そして、その笑みには狂気的な何かを感じた。
「突然ですか……あなた、鈴音様の存在を信じていらっしゃいますか?」
白羽 鶴は丁寧だが、圧力のある声で言った。
何を言い出すかと思えば、妹の晒し首を目の当たりにして気でも触れたのだろうか。
「ええ、もちろん。鈴音様への信仰を継続すれば、私も、夫も、息子も皆が救われるのです」
「いいえ、それはあなたの思い込みです。鈴音様も万能ではないのです」
白羽 鶴は私の言葉を遮るかのように反論してきた。
「なんで……あなたにそんなことが」
「分かりますとも。だって私は、鈴音様の御言葉の通りに動いているのですから」
この娘、本当に気が狂っているのか。
不気味さと共に少し興味がわいた。妹は死に、姉は狂った。何と愉快な話だろう。
もう少し意地悪をしてやりたい、そんな気持ちに逆らえず私は娘を家に上げた。
まるで、私と同じような不幸を背負っている彼女に、興味が湧いた。
部屋に上げてやった後も、娘はずっと話し続けていた。
私は半分聞き流していたが、どうもただのホラ話には聞こえなかった。
「鈴音様は今、この村にいらっしゃっています。その証拠に、昨晩は凄惨な事件が起こったでしょう? あれは、鈴音様があの老人を乗っ取り、直々に起こした祟りなのですよ」
「鈴音様が村を貶めるような事をするわけがないでしょう。あなた……妹さんがあんな目に遭って、同情はしますが……神の名を騙るような真似は止めなさい」
私は低い声で脅す。だが、白羽の娘は怯えるどころか、薄ら笑いを浮かべたままだ。
「敗戦後も未だに古い、愚かな価値観に捕らわれ、村人たちが村を腐らせている。その証拠に、未だに外部から孤立して復興も遅れている。鈴音様はあなた方に大層呆れています。これをきっかけに、村が新しく生まれ変わってほしいという鈴音様の愛情でもあります」
娘はスラスラと言葉を吐き出す。その様子を見れば、娘が適当に受け答えをしているわけではないことは明白だった。
まるで、本当に鈴音様の声を代弁しているかのようだ。
「しかし、それと同時に鈴音様は悔いておられるのです。この村を愛する者たち全てを救えなかったことを。日本全土を蝕む戦火に対し、鈴音様は無力だった。こんな小さな村に祀られた矮小な彼女では、到底戦争を止めることなど叶いませんでした」
娘は悲しそうに目を伏せる。
「そして、その戦争であなたは家族を失い、日々孤独に苦しんでいる。そんなあなたを、鈴音様は救おうとされています。」
「馬鹿なことを……いい加減になさい! それ以上鈴音様を辱めるようなことは……」
私は娘の頬を力いっぱい殴る。
神の名を騙る、愚かな娘。そんな人間を殴りつけるのに躊躇いなど無かった。
「疑っていらっしゃるのですか? まぁ、無理もありません。けれど、鈴音様はあなたの息子さんの最期を見届けられています」
しかし、娘は薄ら笑いを浮かべたまま、その表情を崩さなかった。娘は立ち上がり、仏壇の前に正座をして一礼する。
「息子さん、帰って来た時には肉片だったそうですね。正確には……左手の、薬指の第一関節から上だけがあなたの『息子』として帰って来た」
その瞬間、私は娘を二度見する。
なぜ、そんなことをこの娘が知っている? 誰にも話したことなど無かったのに。それを知っているのは出兵していたごく一部の人間だけ。息子が死んだこと自体は周囲に勘付かれていただろう。だが、息子の死体の話など誰にも話していない。
葬式もせず、墓にも入れずに指の骨は私の服の内側にしまい、ずっと持ち歩いてきたのだ。
実際、あの戦場にいた人間の一部しか知り得ないはずの情報を、何故この娘が把握している?
「さぞ無念だったでしょう。戦争のための道具として、最愛の息子が無残にも肉の破片となったのですから。それに加えて、あなたは夫も」
帰って来た指の、それも関節までこの娘は知っている。偶然ではあり得ない。それこそ神でなければ、見通すことなどできない。
私の心は、息子の死を言い当てられた事に加え、目の前の少女の放つ、神聖な空気感に揺らぎ始めた。
「なぜ、なぜ……お前がそのようなことを……なぜ!」
「なぜ……ですか。簡単な事です、私はこの人形……鈴音様の御神体が見通した真実を代弁しているだけなのですから」
そして、その手に抱かれた人形。古びているが、何処か生気を帯びているような不気味な人形。
私は、ずっと昔。戦争が起こるずっと昔にこの人形を見たことがある。神社に祀られていた、決して触れることのゆるされなかった神聖な人形。
「お気づきになりましたか? これは過去にこの村に祀られていた鈴音様の御神体……『骨人形』です。この人形には全てが見えているのです、あなたの全てが」
「なぜ、なぜ……お前がそのようなものを!」
人形はその昔、村から突然消えた。そして、それから戦争がはじまり、村に災いが降りかかった。
骨人形……鈴音様の御神体が村を離れたことにより、全ての災いが降りかかったはず。
なのに、何故その骨人形をこの娘が持っている?
「なぜ? 簡単な事です。鈴音様に指名を課せられたのです。村を救え、と。村を捨て、村の穢れから救われた私にこそ、この村を救う力があると」
私の中の疑念は、薄まりつつあった。この娘、本当に……。
揺れ動いていた私の心は、骨人形を目の当たりにしたことにより更に大きく揺さぶられた。
目の前の骨人形にそっと触れる。それは、寸分の狂いもない、確かに骨人形であった。
生きているかのような精巧な造形、そして……中でカラカラと音を奏でる、鈴音様の遺骨。
「さぞ辛かったでしょう。表では息子の死を悲しむこともできず、勇敢な死であったと虚勢を張る。親であるあなたにとって、これがどれだけ辛かっただろう」
娘は優しく私を抱きかかえ、言う。
その温かさは、少女のものとは思えなかった。この娘は、息子の死を言い当てただけではなく、私の心の叫びすら言い当てたのだ。
私は、無意識に涙を流していた。村の者たちが私の心を理解せず、厄介者扱いしてきた中、この娘……いや、鈴音様は理解してくださった。
私は確信した。目の前の少女は……確かに鈴音様の御意思を継いでいると。
「鈴音様はこう仰っています。戦争を止める力もなければ、人を蘇らせる力もない。だが、あなたを器として、息子の命を流し込むことはできる」
「それは……」
私は、娘に縋っていた。
たったこれだけの事で、この少女を神の使いだと信じ込むのはどうかしている。
けれど、縋るしかなかった。救われる可能性があるのなら、それに賭けようと。
真実かどうかではなく、真実であってほしい。私は目の前の少女の神秘的な何かに縋るしかなかった。
「これは戦場で灰となった息子さんの骨です。見てください、この無数の針のような骨の欠片を。息子さんの肉と骨はそれほどまでの威力を受けて……」
娘はどこからか木箱を取り出し、私の目の前に置く。
その木箱の中には、針の様な骨の欠片で満たされていた。そして、その中には遺骨と共に私が息子に持たせたはずの古びたお手製の巾着が入っていた。
「これは、息子の……息子の亡骸なのですか? けれど、息子は」
だが、息子の死体指以外は見つからなかったはず。
「鈴音様が黄泉の国から取り寄せたのです。けれど、魂と血肉を取り戻すには母親であるあなたの力が必要なのです。彼は爆発で身体を粉々にされ、戦場の業火に焼かれ、息絶えた。そんな彼をあなたの身体を器として、宿す。つまり、あなたは死に、息子はあなたの身体に宿る。そのためには、あなたには覚悟が必要です」
もう、娘の言葉など耳に入らなかった。
目の前の骨の山が、息子であると聞かされ、私は疑う余地も無く息子との再会に涙を流していた。
「息子の亡骸を、一滴残らず飲み干す覚悟です。息子さんの痛み、苦しみの全てで喉を潤し、腹に収める事ができるのなら……」
私は骨の山からひとかけらを持ち、それを口にする。
針を飲み込んだような、鋭い痛みと血の味が口の中に広がる。
「痛い……痛い、痛い……こんなもの、飲み込んでしまったら……」
目の前の骨の山。これを全部飲み込めば、どれだけの痛み、苦しみが待っているだろう。
「息子さんの痛みはこんなものではありませんでした。戦場で、たった一人であなたの息子は死んだのです。あなたは母親として、この痛みに耐え、息子を黄泉の国から救い出すのでしょう? それとも、あなたの母親としての覚悟はその程度なのでしょうか?」
口の中は血の味。喉の奥は鋭く痛む。
けれど、私は……母親として、息子を……息子を救い出さなければならない。それが責任でもあり、罪滅ぼし。
私は狂ったように次々と骨を口の中に押し込める。激痛と、吐き気と……そして喜び。
そんな感情に支配されて、私は喉が裂けるその瞬間まで、息子の亡骸を食し続けた。