その日の夜、私は眠れなかった。
妹が殺された。妹の見開いた目を思い出すと眠ることなどできない。痛かっただろうに、苦しかっただろうに……私は何もできなかった。
そして犯人である工藤 源氏はお咎めも無く、生き永らえている。
そんな理不尽な現実と、そうするように計らったこの鈴音村……どちらも狂っている。
私は怒りと自身も無力さを嘆く自己嫌悪に苛まれ、眠ることなどできなかったのだ。
するとその時、一階の台所の辺りから言い争うような、激しい声が響いてくる。
幸雄さんと誰か……叔母さんではない。もっと大人数の声の塊。
最初は気には留めなかったが、すぐに私は思いとどまる。台所には冷蔵庫がある。その冷蔵庫の中には……雪の首がある。
私は何か直感的に危機感のようなものを感じ、階段を駆けて一階へ下り、そして目の前の光景に絶句した。
「何……何、してるんですか」
「つ、鶴ちゃん……これは」
目の前には五人ほどの男たちと、倒れた幸雄さんがいた。
そして、五人のうちの大男が……雪の髪の毛を右手に鷲掴みにし、首をぶら下げていた。
「何してるんですか! 雪を、雪を何でこんな!」
私は咄嗟に大男に掴みかかり、雪を取り返そうとする。
だが、大男は軽く私をあしらい、私も幸雄さんと同じように床に伏した。
「いやぁ、幸雄の奴が最期は家族だけで見送らせてあげたいだなんて言い出すんでな。ちょっと手荒な真似だったが……悪く思うなよ、幸雄」
私は理解した。この男たちは、雪の首を奪いに来たのだ。
そして抵抗した幸雄さんを暴力でねじ伏せ、強引に奪った。
「気が触れてそのまま首を持って外にでも逃げられたら一大事だからな。こうして村の代表者の目の前で灰になるまで焼いちまえば証拠も残らない」
この男たちは、万が一私が雪の首と共に村から逃げ出す事を懸念していたのだ。
私が外に出れば、間違えなく事件の情報が表に知られる。それを恐れているのだ。
「そんなに、そんなにこの村が大切なんですか……こんな事をしてまで、守る価値にある村なんですか?!」
「ああ、村を捨てたお前には分からんだろうがな。俺たちはこの村に誇りを持ってる。だから戦争でも戦えたし、守ることもできた」
この男たちは狂っている。この村を守るという、一種の呪いのようなものに侵されているのではないか。
そう思うくらいに、この男たちは異常だ。
すると男たちは家の庭の方に揃って移動をし、地面に雪の首を放り投げる。そして、その上から滝の様に灯油を浴びせ、マッチで火を放つ。
「や、やめ……っ」
私の言葉が声帯から吐き出される前に、雪の頭部は炎に包まれた。
「それにしても子供の頭だっていうのに時間がかかるな……おい和子さん、家から灯油持ってきてくれ、火の勢いを強めたい」
男の残酷な要求に、叔母さんは黙って従う。すぐに新たな灯油を倉庫から運んできた。
私と幸雄さんは他の男たちに羽交い絞めにされながら、妹の頭部が灰になるまでの過程を、目を閉じることも許されずに目の当たりにした。
こんな地獄のような所業が、この村で行なわれているのだ。
今、舌を噛み切れば私も死ねるのだろうか……そんな事を一瞬だけ考えてしまう。
それからどれくらいの時間が経ったのだろう。男たちがぞろぞろと、叔母さんに挨拶をしてから庭を後にする。
庭に取り残されたのは、私と幸雄さんと……そして灰になった妹の頭部だけだった。
どうやら私は途中で気を失っていたようだ。目の前の光景の残酷さに、私は懸命な判断をしたのだと思う。
「すまないっ……本当にすまなかった……雪ちゃんを、雪ちゃんの安らかの最期すら守らなかった……っ」
目が覚めた途端、顔に青あざを作った幸雄さんが震えた声でそう言う。
別に幸雄さんに怒りを感じはしなかった。
ただ、私はこの村の狂気と残忍さに恐怖と、それ以上の憎しみを覚え、黙って涙を流す事しかできなかった。
翌朝、すぐに私は賢の家を訪ねた。昨晩の出来事を機に、私は覚悟したのだ。それを賢に伝えるため、理解してもらうため、そして……協力させるために。
賢はすぐに家から出てきた。眠れなかったようで、目元には隈が出来ていた。
昨晩、妹を殺された私たちがまともな精神でいられるはずがない。
「……結局、事故で片付くんだね」
雪だった灰を手ですくいながら、私は呟く。
もはや私の涙は枯れ、今は乾ききった瞳で忌々しい鈴音神社を眺めていた。
「……鶴っ……謝って許してももらおうなんて思ってない、けど……けど、本当に……すまなかった……っ」
「……」
賢は私の前に膝を着き、土下座をした。額を地面に擦りつけ、剥がれるくらいに爪を地面に立てる。
だが、こんな真似に意味など無い。雪と静は死んだのだ。賢が何をしようと、彼女たちは生き返らないし、私たちの心が癒えるわけでもない。
「俺の……家族がしでかした事だ、もちろん俺にも責任がある。お前が望むなら……お前が俺に望むのなら、俺は!」
「……」
賢の姿など、私の瞳には映っていなかった。その左目の義眼にさえ、輝きは宿っていない。
謝罪の言葉などいくら羅列しても、死んだ者は帰って来ないのだ。いや、何をしたところで帰って来ないのだ。そんな無意味な行為に、感情を向けられる気分ではなかった。
私が茫然と立ち尽くし、賢が土下座をしたままの光景が、どのくらい続いただろう。
「もう、いいよ。賢が謝ったって死人は生き返らないんだから」
賢は何も言わない。
「謝って、それで私の心が晴れると思った? ううん、違うよね。賢が謝って楽になりたいだけだよね」
「俺には、こうすることしか」
私は賢に畳みかける。賢の精神により圧力をかけ、痛めつける。
そして、私は土下座する賢を引っ張り上げ、目と目を合わせる。
「あるよ、賢にもできる事。正確にはこれしかないかな。賢が人殺しの孫として、責任を全うする方法。祟りをこの村に起こそうと思うの。賢のおじいさん……源氏さんは祟りを恐れて二人を殺したんでしょう? だから、逆に私たちが祟りを起こせば分かるんじゃないかなぁ、自分のしたことの無意味さが」
それはあまりにも唐突で、衝撃的な言葉だった。
だあ、それは妄言などではなく、本気の言葉だと分かった。それは、鶴の瞳には先ほどまで失われていた光と温度が、確実に宿っていたからだ。
「私が賢に望むこと、私と一緒に祟りをこの村に祟りを起こすの。そして、この村……掃き溜めみたいな、くそったれな鈴音村へ……くそったれな手段で私と共に復讐をする」
鶴はその腕の中の骨人形を力強く抱き、神社に背を向ける。
「……復讐だなんて、そんなことをしても」
「ええ、誰も生き返らない。けれど、少なくとも私の心は晴れる。もしかしたら、雪や静ちゃん……そして賢の心もね」
鶴は薄ら笑いを浮かべていた。ひどく不気味で、感情の感じられない機械的な笑み。
「さっきの賢と同じだよ。自分が楽になりたいから、やるの。おかしいかな? 私がこの村を滅茶苦茶にしてやりたいから、復讐する。いいじゃない、この村の連中が散々好き勝手やって来たんだもの、私だって一つくらいわがまま言いたいわ」
鶴は不思議と楽しそうだった。これから村に起こる事を考えると、愉快で仕方ない。そう言いだしそうなくらいだ。
「疎開先で、宣教師のお婆さんが聖書を読んでくれたの。そこに、印象的な言葉があった。『復讐するは我にあり』。人に罰を与えるのは、人ではなく神だという戒めの言葉。人間には本来、他人を裁く権利なんて無いのよ。どんな理由があってもね」
「俺たちだって、その一員だろ。俺たちは……神じゃない」
俺はようやく口を開いた。
復讐なんてするべきじゃない。そう言いたかったのに、鶴の楽しそうな顔が一変して、俺まで殺されてしまいそうに思えて、言う事が出来なかった。
「私たちじゃない。鈴音様にはその権利があるでしょう? 私の左目で生き続けている鈴音様には」
鶴の左目の輝きが増した気がした。まるで、鶴の意思に鈴音様が同調しているようにも見えた。
「きっと運命だった。私が鈴音様によって肉の器に選ばれ、そして鈴音様と共にこの鈴音村を滅す。鈴音様が導いた、運命ね。鈴音様はきっと、自らの無念を私に払わすために『誤催眠』の異能を私に授けた。鈴音様と私の心を晴らすためにも、復讐しなければならない」
「けれど、やっぱり……人を感情に任せて殺せば、それはもう人じゃない、獣だ」
人に人を裁く権利など無い。
聖書の言う通りだ。俺たちはただ、神が罰を与えるのを願って、妹たちの死を受け入れながら生きていくしかないんだ。
俺たちまでが、祖父のような獣に成り下がる必要など無い。
「ああ、賢には人殺しは頼まないから安心して。人殺しの孫まで人殺しになったら、蛙の子は蛙だって馬鹿にされちゃうじゃない」
だが、鶴は笑えない冗談で俺をからかう。
鶴は本気だ。今目の前で不敵に笑う鶴は俺の知っていた鶴じゃない。
本当に、鈴音様が鶴に憑依しているようだった。
「何人かを……そう、戦争で心を壊したような人の方が良いわ。そういう都合の人を賢が選んで、私が殺すの。まるで鈴音様が村に罰を与えているような、祟りのような陰惨な殺人を起こすの。そして、最後は」
鶴は俺の方に向き直り、満面の笑みで言い放った。
「この村を、滅ぼす。私がもう一度、『鈴音三十人殺し』をもう一度思い出させてあげる。断るなんて言わないよね? 人殺しのお孫さん」
俺は、鶴の全てを見通すような目で見つめられ、首を縦に振る事しかできなかった。
「私は、獣に成り下がってでも復讐を遂げる」