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第2話 少女の秘密

 俺……工藤 賢は数年ぶりに幼馴染の白羽 鶴と会い、一緒に下校した。

 あいつは戦争から生き残るため、家族と共にこの村から疎開した。

 村では、あいつとその家族は村を捨てた裏切者とされ、激しく非難されていた。きっとこれからもそれは続く。

 この村の人間の大半は戦争で命が危うくなろうが、この土地に留まり、守ることを選んだ。結果的にそのまま命を落とした人間も多かったが、彼らはこの土地で生まれ、死ぬことに誇りを持っていたのだ。

 俺の母親も、その一人だ。俺は今でもその選択が正しい事だ何て思えなかった。

 村のために死ぬことが正義で、自分と家族を守るために疎開することが悪だなんて、おかしいじゃないか。


 だから、俺はこの村が嫌いだ。


「ただいま……」

 家の戸を開け、俺はそのまま玄関に腰を下ろす。

 今日の帰り道は、少し特別だった。なぜなら……鶴がいたのだから。もう彼女には会えないと思っていた。

 この村に戻ってくるとは思わなかったし、戦争で命を落としている可能性だってあった。

 けれど、俺たちは再び出会うことができた。

 運命……と言ったら少しくさいかもしれないが、それに近いものを感じた。だからこそ、俺はその運命に従って鶴を守りたい。そんな思いが強くなっていた。

「おう賢、静から聞いたぞ。女の子と一緒に歩いてたんだって?」

「帰り道見ちゃったんだ、女の子と歩いてたところ」

 俺の帰宅を嗅ぎつけ、親父と妹が居間から顔を出す。

 居間を覗き込む限り、祖父はまだ鈴音神社から帰宅していないようだ。

 祖父が帰宅するのは夜遅いことが多かった。だが、それを誰も咎めない。もう、諦めているからだ。今さら何を言ったところで、祖父が言う事を聞くわけがない。

 祖父は病気なのだと、家族内では共通認識のような形になっていた。

「馬鹿、そんなんじゃないって。あれは鶴だよ、昔ほら、近所に住んでた」

「あぁ……白羽のとこの」

 白羽の名を聞き、親父の顔が曇る。

 大半の村人の反応はこうだろう。村では白羽の名前は禁句に近い。

「えっ、鶴ちゃん帰って来たの?! なんだ、それを早く言ってよ! 私も明日鶴ちゃんと帰ろーっと」

 それに対し、妹の静は目を輝かせながら俺に迫る。

 大人たちに比べ、子供に差別意識はあまり芽生えていない。けれど、最近では大人たちから子供へその意識が伝わりつつある。

 学校の連中も、大半が親からそういう意識を植え付けられたんだろう。それがこの閉鎖的な村の恐ろしさでもあった。

「静」

 親父が静を制止する。普段は温厚な親父も、村のしきたりや決まりごとに関する事には口うるさかった。

「……悪いことは言わん、白羽の人間とは関わるな」

 親父の顔は険しかった。きっと、親父自身が白羽家を毛嫌いしているわけではない。俺たちが白羽家と親密になることで、俺たちにまで村八分が及ぶことを危惧しているのだろう。

 そんなことは分かっていた。けれど、俺は……

「親父……白羽の家は何も悪いことをしたわけじゃないだろ? 戦争から、家族を守るためにこの村から移ったんだ。家族を守りたいっていうその気持ち、親父にも分かるだろ?」

 俺は聞き分けの無い子供のようだった。温厚な親父にそのことが分からないわけがない。

 親父が間違っているわけでもない。ただ、賢い選択をしているだけなのだ。

 だが、親父にその不満をぶつけずにはいられなかった。

「ああ、分かるさ。彼らは生き残るための最善の方法をとった。この村に残っていたら、鶴ちゃんもその妹さんも助からなかったかもしれない」

「なら……」

 親父の選択は賢い。なら、俺の選択は馬鹿だ。

 けれど、俺は馬鹿だと分かっていても白羽家が村八分のような目に遭うことを黙認できなかった。俺は、俺だけは他の村人とは違う……鶴の味方になってやらないと、あいつは本当に一人になってしまう。おせっかいだとは分かっていても、俺は責任感を感じていた。

「だがな、村のみんなは許せないんだよ。この鈴音村を捨てたことを。村に残ったものは皆、自分たちの家族と同時にこの鈴音村も守ろうとした。そして、村を守り切った。そんな中、戦争が終わって白羽の人間がのこのこ帰って来て、受け入れられるか?」

 俺には分からない。村を守って、その先に何が在る?

 この村に執着する意味など、無いではないか。住みたい場所に住み、生きる権利など誰にだってあるはずだ。

 ましてや、こんな土地を守るために危険を晒す理由が俺には理解できなかった。

「……村を捨てて、逃げていたら……お袋は死ななかったかもしれない」

 親父の言い分は、村人としては何も間違っていない。反論の余地もない。

 だからこそ、こうして死人を話題に出す様な卑怯な手段をとるしかなかった。

「ああ、そうかもしれない。けれど、母さんはこの村を守ることを望んだ。この村の人間にとって、この村全員が家族なんだ」

 親父は悲しそうに笑う。その表情を見て、俺はお袋の話題を出したことを悔いる。

「俺は、分からないよ。鈴音村をそうまでして守る理由が」

「村の土地が重要なんじゃない。この村で育まれた歴史、思い出を守る事に皆誇りを持っている。まぁ……お前の言う通り、それに固執過ぎている部分もあるのは事実だろうがな」

 親父はそう言って俺の肩を叩き、居間へ戻って行った。

 ……命より重い物なんて、あるものか。俺の考えは変わらなかった。

 皆、恐れているだけなんだ。新しいもの、世界を見ることを。閉鎖的な空間の中で、古いものに縛られ続けている方が楽だから、それに縋っているだけなんだ。


 やっぱり俺は……みんなが命を懸けて守ろうとしたこの鈴音村が……嫌いだ。


 その日の夜、俺は喉に渇きを覚えて目を覚ました。

 今夜は不快感を覚えるほどに蒸し暑かった。

「……あちィ」

 布団から出て、汗をぬぐいながら木製の階段を下る。

 足を踏み出すたびにぎいぎいと気が軋む。鈴音橋と同じように、この家の木も腐りかけているのかもしれない。

 そんな腐りかけの木の喘ぎで気付くのが遅れたが、居間の方で話声が聞こえた。

 擦れた、居間にも消えてしまいそうな声。

「だから……今こそ行うべきなのです。今行わければ、また村に災いが」

 その声は間違えなく祖父の声だった。今日も夜中まで帰ってくる気配がなかったが、今になって帰って来たのだろうか。

 最近では痴呆が進み、深夜徘徊も珍しくない。俺たち家族も手を焼いているが、具体的な対策も考えつかないまま祖父を野放しにしているのが現状だ。

 つまり、もう諦めていると言っても過言ではない。

「ええ、それは問題ないでしょう。適任がいますので……だから問題ないと言っているでしょう。村のみんなが協力すれば、子供一人や二人くらい……ねぇ? とりあえず一人はうちの孫にやらせますんで」

 誰かと話をしているのかと思いきや、どうやら仏壇に話しかけているようだった。

痴呆が進んでとうとう相手もいないのに独り言か……。家族とはいえ、もはや哀れとしか思えない。

 だが、子供がどうのこうのという内容が引っ掛った。一体何の話をしている? 俺が静かに今へ近づき、聞き耳を立てた瞬間だった。

「……賢、お前こんな時間に何しとる」

 心臓が縮み上がった。痴呆は進んでいても、祖父のこういう部分は衰えていなかった。

 流石は元軍人といったところか。

「いや、飲み物を取りに」

「……早く寝ろ」

 そう言い残し、祖父は足早に自室へと戻って行った。

 俺は祖父の言葉に何か不気味さを感じながらも、黙って自室へと戻った。


 これが、悪夢の始まりとも知らずに。


 一方、私、白羽 鶴も夏の蒸し暑さに目を覚まし、自室から夜空を見上げていた。

 こんな廃れた村からでも、夜空は平等に美しい。今は敵国の戦闘機もいない、美しい空。

 そんな夜空を見ながら、私は今後について考えていた。

 雪が学校に通えるようになった時、妹をどう守ろうか。私がいくら悪く言われ、軽蔑されようが構わない。ただ、幼い妹にそんな仕打ちは残酷すぎる。

 ただ、妹をこのまま家に縛り付けておくわけにもいかない。雪自身も学校をずっと楽しみにしている。通わせたくないのが本心だが、いつまでも今の状態を続けるわけにもいかない。

「……ふぅ」

 具体的な対策も思いつかないまま、私は黙ってコップに口をつけ、中の液体で喉を潤す。

「甘い」

 本来は甘くはないはずの液体。ただ、私は『誤認』していた。いや、誤認するように仕向けた。

 左目の、義眼が埋まっている部分に痒みに似た疼きを感じる。

 この紛い物の目が、そう『誤認』させているのだ。

「……ん~」

「雪、どうしたの。寝てなきゃだめだよ」

「お腹減った……」

 その時、同じ部屋で布団を並べて寝ていた雪が眼を擦りながら布団から這い出てくる。

 妹もまた、この夏の蒸し暑さに眠りを妨げられていた。

「しょうがないなぁ、こっちおいで」

 雪は私の言葉通りにゆっくりとこちらへ向かってくる。

「ゆっくり、お姉ちゃんの目を見て」

 そして私は雪の目を、その左目の義眼で覗き込む。正確には何も見えてはいないが、この行為には意味がある。

 雪は確かに私の義眼に意識を向け、そのまま私から古びたおはじきを受け取る。

「……甘い、おいしい」

「うん、美味しいでしょ。でもみんなには内緒だよ」

 こんな貧しい村で、大量の飴なんて手に入るわけがなかった。

 けれど、私なら飴の紛い物を生み出す事ができる。

「お姉ちゃんはすごいなぁ、いつもおいしいもの持ってて。神様みたい」

 雪の言葉に心を痛める。

「……早く寝なさい。体に障るよ」

 私は神様の様に物をゼロから創造できるわけではない。

 私にできるのは、せいぜい物を別の物に誤認させることくらい。


 神様ではなく、詐欺師かペテン師が良いところだ。


 翌日、学校が終わり私と賢は一緒に下校する。

 私と一緒にいると賢まで村八分の対象になるのではないかと心配になったが、賢にそれを伝えると呆れ顔で頭を叩かれた。

 賢はいつも通り、私の横で相槌をうっているだけだが、表しようのない安心感があった。

 賢がいてくれれば、村八分なんて私にとって大きな問題じゃなかった。ただ、雪もそうだとは限らない。幼い妹にこの村はこの上なく生き辛い。親戚を辿り、生きるために仕方がなかったとはいえ、私は雪への罪悪感を拭いきれなかった。

「お姉ちゃーん!」

 その時、道の向こう側から雪の声がする。いや、雪は家であの意地の悪い叔母に小言を言われながらも世話を受けているはずだ。つまり外に雪がいるはずがないのだ。

「お、雪ちゃん! 久しぶりだな、背伸びたんじゃないか」

 しかし、何度見ても砂利道を駆けてこちらに向かってきたのは紛れもなく妹の雪だった。

「あ、賢お兄ちゃんだ!」

「久しぶりだね、雪ちゃん。すっかり大きくなって」

 賢は雪には昔から優しいというか、甘かった。多分、賢自身にも同じくらいの妹がいるせいだろう。名前は……静ちゃんだったか。

 雪は家にいるときに比べても表情が随分と明るかった。久しぶりに外に出た影響だろうか。

「雪、何してるの? こんなところで」

「お姉ちゃんのこと、迎えに来たの!」

「……叔母さんは、どうしたの」

「……黙って出てきちゃった」

 やっぱり。後で叔母に何と弁明すべきだろうか。雪の身など叔母は案じてはいないだろうが、それでも普段以上に皮肉を言われるに違いない。

 叔母の事だから、裏切者が堂々と外を出歩くなとでも言うのだろう。叔母は周りの目を異常に気にするような人なのだ。だから私も左目には常に眼帯をするように言われている。

「雪、こんな暑い日に一人で外に出て、何かあったらどうするの。雪は普通の子より体が弱いんだよ、分かるでしょ?」

「……けど」

「けどじゃない。お姉ちゃん、雪が心配だから言ってるの。勝手に外に出ちゃだめだよ」

 雪は悲しそうに俯いてしまった。

 私だって雪を怒りたくなんてない。むしろ自分自身に怒りを感じる。こんな幼い子をただ、ずっと家に縛り付けておくことしかできない事への不甲斐なさ。

 もう戦争は終わっているのに、いつまで妹を苦しませなければならないのだろう。

 私と雪の様子を、賢は少し心配そうな顔で見ていた。

「……この子、学校楽しみにしてるの。早くいっぱい友達を作りたいって」

「そうか、……けど、学校は」

 賢は黙って俯く。いくら賢が味方に付いてくれても限度がある。それに、雪は私の様に周囲との関係性を割り切ることはできないだろう。

 雪に友達ができるはずがない。そんな残酷な現実を知っていながら私はそれを雪に伝える術を知らなかった。

 ただ、体調を言い訳に雪を家に縛りつけておく事でしか、妹を守れない。

「私たち……何がいけなかったのかな。普通に学校に行って、友達を作って……日常を送る権利すらない悪人なのかな」

 賢にそんなことを聞いても、何の解決にもならないのは分かっていた。けれど、この理不尽な現実を、賢に否定してもらいたかった。

 だが、賢は黙ったまま私と雪を見つめ、拳を固く握っていた。賢自身も自分の無力さに怒りを覚えているような様子だった。

「私、この村……嫌いだよ」

 夏の生温い風が吹いた。

 こんなにも気候が良くて、自然が美しい村を好きになれない。それは、住んでいる人間とその閉鎖的な空間に満ちた負の空気感が、それらを台無しにしているから。

「鶴、俺は……」

「お姉ちゃん、お腹空いた!」

 賢は何か言葉にしようとしたが、それを雪が遮る。

 私と賢と雪、三人が同時に目を見合わせる。その様子が何だがおかしくて、全員が同時に笑い出す。

 けれど、こんな村でも……この三人なら、悪くないかもしれない。そんなことを一瞬だけ考えてしまった。

「駄目よ。もう夕飯があるんだから。それに……」

 私は賢の方に視線を送る。

「……なんだよ、俺が一緒になって菓子をねだるとでも思ってるのか。そんなことしないからあるなら出してやればいいさ」

 そういうわけではないのだが、第三者に見られることに問題があるのだ。

 姉が妹に菓子をやる、そんな事でも、私たちの場合は少し事情が違う。

「……いや、その……理解、出来ないと思うんだ、きっと」

「はぁ?」

 私の歯切れの悪い反応に、賢は不思議そうに首を振る。

 それもそうだ。ただ菓子をやるのにここまで躊躇する必要がない。

 だが、知られてしまっていいのだろうか。賢とはいえ、知られてしまっていいのだろうか。

 私の、妹に対する悪行を。

 この前の骨人形の件の時を思い出す。賢に知られて、嫌われないだろうか。気味が悪いと思われないだろうか。そんなことを懸念してしまう。

「……鶴? 何だよ、なんか不都合でもあるのか?」

「いや……」

 どうするべきだろう。ここで打ち明けてしまった方が楽になれるのは明白だ。けれど……拒絶される恐怖もある。

 だが……賢なら、賢なら理解してくれるのではないか、いや……理解してほしい。

 それは、私の欲求だった。

「……ほら、一つだけだからね。あと、いつも通りちゃんと家に着く前に吐き出すんだよ」

「うんっ!」

 私は妹の口に、それを一粒押し込んだ。それが歯に当たり、からんという音が響く。

 その光景を見た賢は、すぐに表情を一変させる。

「おいっ! それって」

 賢は押し込められたそれを見て、私の腕を掴む。

 当然と言えば当然の反応だ。なんせ、私が雪の口に押し込んだのは……古びた『おはじき』だったから。

「ん? おいしーよ?」

 けれど、雪は甘い飴でも舐めるかのようにしてそれを口の中で転がしている。

 何の疑いも無く、そのおはじきを美味しそうに味わっている。

「……事情は後で説明するから、とにかく雪の前では黙ってて」

 私は静かに賢へ耳打ちし、賢と雪の手を引いて砂利道を急いだ。


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