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第52話「食用になってからおいでっ!」



 それは、よく晴れた8月の初頭。

 エルヴィス盟主が聖堂を訪れた日から数日たった、ある日の朝。



 ボルドー通り50067・アパートメント「ティキンコロニ」301号室。一人暮らしの1LDK。労働者向け賃貸住宅だ。


 その一室でぬくぬくとベッドの中で寝返りを打つ女性が一人。

 彼女の名前はミリア・リリ・マキシマム。

 本作の女性主人公である。



「──────っ…………」



 吸い込む息。

 ベッドルームに差し込む光。


 部屋の隅に置かれた机。

 埃をかぶった分厚い魔術書。

 古ぼけた姿見と、”かけるだけクローゼット”に掛かったシルクメイル産のドレスワンピ。


 出窓を覆うカーテンの隙間から、差し込む光の帯に、ふわりふわりと毛埃が舞う。



「んん……」



 瞼の向こうの光に、ミリアは眩しそうに顔を歪めてブランケットを被った。寝返りを打つたびに安っぽいベッドが”ギッ”と音を立てるが、耳には入らない。


 8月の朝。

 穏やかな時間。


 朝の光が差し込む部屋に、────すぅ────っ……と深く、吸い込んだ寝息が響く。


 ちゅんちゅん、ぴちちっ……!

 外からするのは鳥の声。

 どこかから匂ってくるトーストしたパンの匂い。



「…………うん」



 ベッドの中で相槌を一つ。

 瞳を閉じて、ころんと枕に頭を預ける。

 ちゅん……、ぴちちちっ。



「……………………うん」


 鳥に小さくお返事。

 ちゅんっ、……ちゅん。



「──────ん。」





 きゅるるるるる! ぴゅるるるるる!

 ちゅんちゅん、ぴちちちちち! 

 ほっほー! ほっほー! ほろっほー! 

 クルッポクルッポー!


「────…………ぅるっさいトリっ!」

 ────ざあっ! ばさばさばさっ!



 窓の外で繰り広げられていた小鳥の井戸端会議に耐え切れず、半分キレぎみにカーテンを開け放ち、ぼさぼさ頭のまま空をびしっ! と指をさすミリア!



「────食用になってからおいでっ! 生きてる鳥には興味ないですっ!」



 きっぱりはっきり、虚空に向かって言い切る。

 ……念のため言っておくが、これが、本作のヒロイン女主人公『ミリア・リリ・マキシマム』。何度もいうがヒロインである。



 しかし。

 お世辞にも『ヒロイン』にはふさわしくない顔つきで、ぼさぼさの髪をカリカリ掻くミリアは、朝が得意な方ではなかった。



 どこかの盟主のようにストイックに走ったりしないし、何もなければ特別早起きをすることなど無い。休みの日は出来うる限りの惰眠を貪り、ひどい時は昼過ぎにようやく動き出すこともあるタイプだ。


 そして、仕事のある日は『それなりの時間に起きて、それなりに身支度をする』。ごく普通の一般人である。


 『その性格と切り返し方と、出身国』においては普通に入らないのだが。



 ベッドの上。ぐしゃぐしゃーっと掻いた頭もそのまま、カーテンを開けた窓を背景に、大きく伸びを一つ。



 寝起きの彼女を包むのは、白く柔らかな素材のワンピースだ。


 透け感のあるシフォン生地で作られた『部屋着ドレス』で、ミューズ・モスリンと呼ばれている。


 赤ん坊のベビードレスを大人のサイズにし、透け感と色っぽさを強調するそれは、ここ数年『女の子の部屋着』として爆発的な人気を誇っていた。



 可愛い上に、被るだけでお手軽ということで、ひとりで過ごす部屋着にはもってこいなのである。


 しかし。

 そんな『可愛らしいミューズ・モスリン』がもたらす雰囲気を、壊すように



「────あ────あぁぁぁぁあ~~……まあ、目覚ましってことでちょうど良いか〜」



 大きな大きなあくびと共に、おもいっきりを伸びをして独り言。


 男性を魅了するランジェリーとしても売られている『ミューズ・モスリン』でもカバーできぬ色気のなさだ。


 もちろんミリアに買われたそれは、その役割をこなしたことは一度もない。



「…………ねむ」



 だるだるとした寝ぼけまなこがとらえるのは、チェストの上に置かれた時計。



 時刻は7時50分。

 勤務は9時から。

 ビスティまでは、ここから歩いて20分という距離にある。



 ────わっふ……

 …………だるだる…………

「…………ぁ──────……」



 かったるそうに伸びをして。

 あくびで出た涙もそのまま、ベッドサイドに置いたサンダルに足をつっかけ、そして始める『朝のルーティン』。



 沸かしておいた水で顔を洗い、歯を磨いて保湿液をつける。ぱちぱちと頬に馴染ませながら部屋を横切り、出窓に置いた植木鉢から、実ったミニトマトを2、3個むしる。


 のたのたとキッチンに向かい、トマトを洗いカゴに入ったパンを”むんず!”とひと掴み。丸いころりとしたパンに向かって、右手の中指と薬指をぴたりとつけて────結ぶ・・



「『Bakeベイク! film wrapフィルラップ!」


 しゅるん! ぱっ!


 声に反応して、空気の球がパンを包み込み、赤い熱線が走り抜け、途端、中のパンがじりじりと音を立てはじめた。


 …………じりじりじりじり…………!

 じ──────っ……!

(…………はあああああああ~~~っ……!)



 徐々にオレンジ、赤と変化していく熱の色を見ながら、”ちょうどいい焼き加減”を狙って、ぎゅぎゅっと右手の力を調節して────


 ぼんっ! ぷすっ!

 …………しゅううううう…………



「……あ。やっべ、また焦がした……どーも調節難しいよね〜」



 一瞬にして業火の処刑場と化し”ぼてっ!” と音を立てて落ちたパンに、苦々しく独り言。丸いパンの表面は、見事に真っ黒に仕上がっていた。


 ミリアは、決して料理が下手というわけではない。きちんと調理道具を使い、きちんとかまどを使えば美味いものを作ることができるのだが……横着するとこれである。



「あーあ。……まあ、別に焦げたやつでも食べるからいいんですけど~」



 焦がしたパンにぶつぶつ言いつつ、ジャムを塗ってミルクを注ぎ、そして丸椅子に腰かけパンを頬張りはじめる、本作のヒロイン。


 齧ったパンは焦げ臭く、ジャムを塗っても口の中に広がるのは──苦味だった。



「……にがっ……まあ、これぐらいならイケる、うん」



 呟きながら咀嚼する。

 こくんと飲み込み、トマトを口の中へぽい。


 嚙み潰した途端、採れたての実が口の中で弾け、独特の青臭さとトマトの果肉を感じながらもう一度、焦げたパンを頬張り──平たい目で空を眺めて呟くのだ。




「…………ん〜。やーっぱ外でも魔法使っとかないと、どんどん下手くそになってくな〜。もっと頻度上げないとだめかな〜? でもここ、マジェラじゃないしな〜。使う場所がな~外でやるわけにいかないしな~家の中はねぇ〜、危ないしね〜〜〜でも、マジェラでローブ着るぐらいなら、魔法捨てるじゃん〜〜?」



 響く大きな独り言。

 こくんとミルクを口にする。 


 彼女の生活は質素だった。

 そのキッチンには何枚かの皿しかなく、フライパンも鍋もひとつずつ。


 近年はパンを上手に焼く生活魔具も出てきているようだが、ミリアの生活にはそのような魔具など必要ない。


 洗濯は魔法でなんとかなるし、パンを焼くことだってできる。

 …………焦がすのだが。



「──しかし、生活魔具を買うお金はありません。なので使わねばならぬのです。生きていくには魔法が必要なのです……!」



 ──と、突如すわっ! と背を弓なりに伸ばし、ぴたりとくっついた中指と薬指も綺麗に。


 掌を宙に向けながら、虚空に向かって話しかけるミリアは次の瞬間、芝居ががったセリフと表情を『すんっ』と背を丸め、ガリっと焦げに噛みつき、やさぐれモードにシフトすると



「────ま、普通に火ぃつけて、フライパンで焼けって話なんだけど。そしたらこんなに焦げないし、上手くできるんだけど。朝っぱらからフライパン使いたくないじゃん? めんどくさいじゃん? ね? スフィー?」



 めんどくさそうに肩をすくめながら、相棒のスフィーに話しかける……のだが……



「────って。スフィー店だった……。超独り言だった……」



 ガックリと肩を落とした。

 途端虚しさが彼女の中に吹き荒れる。


 こんな彼女だが、別に少女人形趣味というわけではなかった。

 なんとなくバッグに入るサイズのスフィーを『連れて行ってあげている』感覚で連れ回しているだけで、お人形さんが好きで好きでたまらないわけではない。


 いわば話し相手の代わりだ。

 従って、スフィーを忘れた日は、こうしてむなしい独り言を虚空に散らかすことになる。


 ────まあ、スフィーがいても立派な独り言なのだが。



 ──一人暮らしも5年。

 年と共に増えていく独り言。

 そして、得意になっていく『一人芝居』。

 スフィーに語り掛ける率も上がる。


 しかしそれも、彼女はあまり気にならなかった。彼女はもとより空想に浸るのが好きなのである。


 簡易的な食事を全て飲み込んで、彼女はさっと立ち上がり──足が向かったのはミリアのお気に入りの場所だった。



(────さって、と!)



 パンを頬張りミルクを飲み干し、ミリアは立ち上がる。


 足が向かうはクローゼット。

 手が求めるのは、華やかで素朴な『町娘の服』。



「────きょーは、なーに着よっかな〜♪」



 綺麗に掛け並べた服を前に、ご機嫌に口角を上げた。


 そこは、彼女の大好きな場所。 

 買ったもの・初めて作ったワンピースドレス・お気に入りの巻きスカートが並ぶ場所。


 実家のクローゼットとはわけが違う。


 色鮮やかで、『着たい』欲を刺激してくる素晴らしさ。それらを選べる『楽しさ』に、毎朝心が満たされる。


 こんな気持ちは……この国で暮らすまで知らなかった。


 白くやわらかな『モスリン・ミューズの部屋着』を脱ぎ、ハンガーに釣るして。

 手に取ったのは薄い麻の長袖インナーに、ふんわりとしたシルエットが出るハイウエストのスカート。


 それを、手慣れた様子で綺麗に身につけ、上からコルセットベルトできちんと固定し、ビスティから拝借したリボン一本、引き抜く。


 胸元まであるブラウンダークの髪を高い位置でまとめ上げ、軽くメイクを施し、脇に飾った小さなポストカードの『オリビアとリック』を一瞥し──微笑んだ。



 リボンで髪をまとめ、飾ることも。

 クローゼットに華やかな色が待つことも。

 推しを眺めることも、彼女にとっては「手に入れた幸福」だ。



「うん! よし!」



 ────シルクメイル地方・ノースブルク諸侯同盟内・ウエストエッジ。

 それが、彼女の働く街。


 4階建てのアパートメントの3階から、速足で階段を駆け下り外に出る。

 赤茶けた屋根に、白く綺麗な壁の家々を全身で感じて。



「────んんんっ! 夏だなーっ! きもちーわーっ!」



 燦々と降り注ぐ、爽やかで柔らかな8月の光に大きく伸びをし、歩き出した。



「おー! ドラゴン飛んでる! きもちよさそー!」



 その、ハニーブラウンの瞳に、竜が飛ぶ晴れやかな青空を映して。




✳︎✳︎




 しかし、それが地獄のはじまりだった。



「ミリアちゃんミリアちゃん! このドレスリメイクできるかしらっ?」


「ねぇー? ビスティさん? これ〜、アレンジできない?」


「太っちゃったの! ウエスト直せるわよね!?」


「このドレスにはコサージュがひつよぉなのぉ〜! おかーさまぁ、買って買ってぇ〜??」



 ────この街では、たまにこういう、入れ食い状態の時期が来る。


 この街に暮らして5年も経てば、事の原因がなんなのか、手にとるようにわかるのだが……今度の『入れ食い』は、ミリアにとって、笑って済ませられるものでは無かった。


 オーダーを聞き、提案し、受注する彼女に、客らは口を揃えて言うのである。



 『出来上がりはこの日までに!』

 『エルヴィス様が舞踏会を開かれるの!』






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