「聞いてほしいのだけど。私、今度ドニスに行くことになったわ」
ネム連邦・国際円卓報告会。
今まさに帰ろうと支度をし始めたエルヴィス盟主とリチャードの動きを止めるように、白銀の髪・赤の瞳を持つ皇女・キャロラインは話し出した。
その張りのある声にエルヴィスは、ぴくんと一回、興味の無さそうに眉を跳ね上げ問い返す。
「…………『2週間』? …………国賓訪問か?」
「そう。招かれたの」
「…………へえ、ドニスに」
キャロルの言葉に、エルヴィスは若干こうべを垂れながら相槌を打った。その声色に『へえ。以上の何物でもない』という色をのせて。
────ドニス。
キャロライン皇女が治める『セント・リクリシア』の南東に位置する小さな国だ。ノースブルク諸侯同盟とは特に目ぼしい国交もしておらず、国の認知をしている程度。
リクリシアもそう国交を深めていたわけではない。
リクリシアの王──つまりキャロラインの父が亡くなってからはいまだ国交もなく、今回が初めての国賓訪問となる。
(ふぅん……ドニスね……先の大戦でも特に目立った支援もせず、小さくなっていたあの国だよな? 軍事力はほとんど持っていない、国力のないところだ)
訪れたことはないその国の情報を、知りうる限りで頭の中に並べるエルヴィスに、キャロラインはコーヒーの入った品のあるカップを片手に一口。赤き瞳を開いて言う。
「現国王が誕生日に生前退位されるらしいの。王子と王女が集められて、盛大な式典を開くそうよ」
「…………へえ。誕生日」
「ドニスの王っつったら〜、もう70超えてなかったか〜?」
円卓を囲み、拳で頬杖をつくエルヴィスの隣、後ろ頭に両手を当てて、宙を仰ぐのはリチャードだ。その呑気な声を一蹴するように、キャロラインは瞳でリチャードを射抜くと、張りのある声で答える。
「そう。あそこは20人も王子と皇女がいるのよ。」
「…………は〜〜…………20人……」
「…………20人…………」
聞いて、二人は驚嘆の声を漏らした。
リチャードとエルヴィス、尊敬と怪訝な顔つきが円卓を囲む。
エルヴィスはドニスという国を訪れたことはないが、王城にずらりと並ぶ『20人もの王家の子』を想像し、辟易とした息が出る。
『一昔前の貴族ならありがちな家族形態』だが、正直、彼の感性からしたら『一夫多妻』・『20人もの子供』など、考えられることではなかった。
”──1人を愛し、求めるのも、あってはならないと、思っているのに。”
「…………」
『愛し、育んでいく』。『育てて後を繋ぐ』。
求めてはならないそれらに、エルヴィスはじっとりとした息を呆れと辟易に乗せ、盟友たちに漏らす。
「……20人、ね……よその国のことをとやかく言うわけじゃないけど、元気なものだな。……それじゃあ相続争いも凄そうだ」
「だ〜よなあ」
「継承はどうするんだろうな? 目星はついているのか?」
「わからないわ。けれど、第一王子が継ぐのではないかしら?」
「────ん~、体力はあるのかぁ? あそこの第一王子は、もう50を回るはずだぞ〜?」
「…………王が務まるのか? 俺でも公務が続くと疲れも溜まるのに」
「…………同感ね」
よそさまの国の『事情』に『──はっ、』と短く息をつくキャロルのそれが、合図だったかのように。エルヴィスは表情を変えることなく目を配らせ、ため息混じりに言い募る。
「…………70を超えるまで『現役』というのも、立派と言えば立派なものだけど? 周りとしては
「まーして……、子どもが20人って。王子・王女同士、命を狙う……なんてこともあるかもしれないよな〜? 子沢山も考えものってワケだ☆」
「……私たちとしては……考えられないわね…………」
「…………だな」
「……ほんとな〜」
「…………」
そして落ちる沈黙。
花園の中、黙り込む三人。
そして『その気配を察知して』、リチャードは静かに席を立った。
──この気配・この流れ・この感じ。
リチャードには『これ』に、何度も覚えがあった。
「──どこへ行く? リチャード?」
「ん? あぁ、少しばかりトイレへね。一息入れさせてくれ〜」
『先の会話』が読めるリチャードが、飄々とした、抜けるような声色で花園の奥へ消え行く中──残された盟主と皇女は、さらに沈黙を深めていた。
決して顔など合わせない。
互いに見つめるのは『資料』だが、脳に浮かぶのは『子どもの数』と『継承問題』だ。
固く、
「…………キャロライン。君 の と こ ろ も 君 だ け だ よ な?」
「そうね? 貴方のところもそうでしょう? エルヴィス」
「────ああ」
互いにつっけんどんに言い返す。
空気は最悪だ。
格調高いテーブルの上、指を組んで黙るキャロライン王女。
25歳恋人なし・一人っ子。
拳で頬杖をつき、光を浴びる花を眺めるエルヴィス盟主。
26歳恋人なし・一人っ子。
そう。相手がいないのである。
そして互いに、『お年頃』『適齢期』。
どちらも周りから『プレッシャー』をかけられまくっている。当然、自然と流れるのは──『お前はどうなんだ』『余計なお世話だ』という空気だ。
じりじりと殺気立ちたる場を散らすように、エルヴィスの先制攻撃がキャロラインを突く!
「────キ ャ ロ ラ イ ン 皇女」
「私に言わないで頂戴。」
ぴしゃん! と返えされ、びきっ! っと立つ青筋。
これもいつものことだった。
エリックは彫刻のような表情をにーっこりと微笑ませ、隠し切れぬ圧力を押し出しながら、拳の頬杖をつくと、
「…………キャロライン様?
「見たわよ」
「────それで?」
「無理ね、あれでは結婚できない」
「……何度目だと思ってるんだ」
「何度目かしら?」
「──あれだってウチがどれだけ必死で集めたか、わかってるのか?」
「言ったでしょう、筋肉のない男は無いと」
「君の目に適うような男を用意しろって?」
「そうね? 最低でも鎧の上からでもわかるぐらいじゃないと」
(…………ならそういう大会でも開け……!)
断固として譲らないキャロラインの主張に思わず毒づいた。
本来、ノースブルクの盟主であるエルヴィスが、隣国の皇女の見合いの面倒など見る義理などないのだが……彼女の父に頼みこまれてしまったのだ。
隣国の王の頼みとあれば断るわけにもいかず……何度か縁談の支援をした。
しかし、エルヴィスが領内からかき集めた『選りすぐりのエリート』を、彼女はパラ見でオール却下したのである。
彼は、能力・財力・人柄などすべて考慮したうえで厳選したのだが、キャロラインは『筋肉が足りない』と悩みもせずにポイをしたのだ。イライラも募るというものである。
しかしそんなエルヴィスに、キャロライン皇女は姿勢を正して書類を揃えながら、ツンとした声色で言い放つ。
「中途半端な筋肉はいらないわ。それでいて、頭の切れる人がいいの。そうでなければ絶対に嫌よ。貴方も連盟の次期国王はふさわしい人がいいでしょう?」
「……筋肉で国を治めるわけじゃないと思うけど?」
「……それでも第一条件なのよ。どこかにいないかしら? 素敵な胸筋を持つ男性は……」
「────…………」
はぁ~、と悩まし気に
「────そういえば、君。昔そこの聖騎士像を『素敵』だと拝んでいたよな? 君の求める筋肉量は知らないけれど、あの聖騎士像にでも求婚したらいいじゃないか」
「────────エルヴィス。貴方。連邦会議にでもかけられたいの?」
「────ああ、それは失礼いたしました」
「…………っ」
怒気を放つキャロラインに、嫌味たっぷりの声が帰る。はっきり言って最悪を煮込んだような空気の中、──「それ」は高らかに響いた。
『まあ、キャロル様とエルヴィス様よ……!』
『またご一緒されているわ……! 仲がよろしいのね……!』
「………………」
「………………」
『本当にお美しい……!』
『何をお話しされているのかしら?』
『きっと愛を語らっていらっしゃるのよ!』
『きゃあーっ!』
『………………』
────途端死に絶えていく二人の顔。
表情が完全に絶命した皇女と盟主を差し置いて、好き放題響く噂話に、キャロラインは険しい顔つきで黙り込み、エルヴィスはげっそりとした息を吐く。
────いい迷惑である。
お互い牽制しあってギスギスなのに。
語っているのは政策会議で、愛もくそもあるものか。
しかし。
『ねえねぇ! エルヴィス様のお相手って』
『次期国王ってやっぱり……!』
『──しーっ! まだ発表になってないのよ……!』
「………………」
「………………」
『………………』
廊下の屋根を伝って響き聞こえたその会話に、複雑を押し込めた顔で黙りこみ────
「────なあ。……
「ありえないとは言っているわ。……けれど、おさまらないのよ」
イライラから一転。
心底うんざりと言うエルヴィスに、キャロライン・フォンティーヌ・リクリシアも痛烈な顔で瞼を閉じた。
そう。最近は
確かに『美男美女』。
側から見たら『お似合い』なのかもしれないが、鬱陶しいことこの上ない。
──────はあ…………
五月蠅い取り巻きを視界の隅から消し去り、エルヴィスは今日何度目かのため息を落としすと、うんざりをそのままキャロルに口を開く。
「……皇女と噂になるこっちの身にもなってほしいんだけど?」
「それはこちらも同じよ。貴方と噂になるなんていい迷惑だわ」
「なら解決策はどのようにお考えですか、キャロラインさま?」
「………どちらかが先に結婚するしかないのではないかしら? 相手を見つければ、周りも騒がないでしょう」
「────なら、あなたに期待していますよ? キャロライン・フォンティーヌ・リクリシア皇女?
「…………っ!」
力一杯目一杯。
『 そ っ ち が 先 に 行 け 』という圧と棘が詰まりまくったエルヴィスの声に、キャロラインの瞳に怒りが灯る。
「……貴方。お相手は?」
「居ない」
「貴方に好かれたい令嬢もたくさんいると聞くわ?」
「だろうな」
「随分舞踏会を開いていないわね?」
「……ああ、やりますやります」
「…………綺麗な子も多く招くのでしょう?」
「そうですね?」
「いい出会いあるかもしれないわね?」
「そうですね。……ああ……
皇 女 様 も
パ ー テ ィ ー を
開 か れ て は?
『男性ならいくらでも』来ますよ?
皇 女 様 ?」
「…………っ!」
「………………」
ちゅんっ……ぴちちっ……
ぴちちちちちっ……………………
王家の中庭。
夏に咲き誇る花々が見守る中。
もはや会話も生まれぬ二人の沈黙を、小鳥のさえずりがカバーして────……
(……盟主としては評価するけれど。この男と結婚しようなんて、絶対に思えないわ……! 女神のような人じゃないと無理よ!)
(…………結婚、ね…………──俺には、縁遠い話だ)
(…………おお、コワァ……ほんっと仲悪いよなぁ……これでよく戦争にならないもんだぜ……)
テーブルを囲む皇女と盟主。
草葉の陰で身をすくめる王子。
各自各々、それぞれに、憮然と呟いて。
はぁ──────……
深い深いため息をこぼしたのであった。
※
それは、よく晴れた8月の初頭。
エルヴィス盟主が聖堂を訪れた日から数日経った、ある日の朝。
「…………ん……………………」
ぬくぬくとベッドの中で寝返りを打つ女性が一人。彼女の名前はミリア・リリ・マキシマム。
自室のベッドの中、まどろみを味わう彼女は、まだ知らない。この日を境に、自身が地獄を見ることを。