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第50話「エルヴィス絶対なにかあったって」




  ────はじめは、ほんの些細な違和感だった。



 『上の頭の硬さは、どうにもならないのかしら』と愚痴をこぼすキャロライン皇女に、盟主エルヴィスはこう述べた。



 『自分が信じてきた感覚や常識が通用しなくなると、人間は守りに走る』

 『実際、そういう場面に遭遇すると、どうしていいかわからなくなることもある』

 『経験や常識が通じないと、まともに混乱することもある』



 彼の口から、淀みなくさらさらと出たそれは、エルヴィスと幾度となくディベートを重ね、悩みを共にしてきたリチャード王子には不思議に映った。



 先月までのエルヴィス盟主ならば、『……本当にな。あそこの世代がどうにかならないと、うんぬんかんぬん』と愚痴と皮肉を合わせたような文言をこぼしていたはずである。



 しかしそれが、変わった。

 そして先ほどから。

 マジェラのカードを手の内で眺めながら、僅かに変わっていった、エルヴィスの”雰囲気”。


 その、凛としていて冷ややかな空気から漂う、ほのかな柔らかさ。

 口元に浮かべているように見えた笑み。



 基本的に冷静・冷淡としていて、資料に不備があれば忌憚ない意見を述べるし、人一倍暑がりだというのに今も貴族のベストすら脱がない堅物の、その”変化”に。


 リチャード王子は、声をかけずにはいられなかった。



「…………なあエルヴィスー。おまえさん、最近何かあっただろ」

「え」



 資料を片手に聞くリチャード王子の前。

 エルヴィス盟主はぴたりと固まり動きを止めた。


 一拍二拍。

 彼は、その黒く青い瞳でリチャードを射ると、そのまま視線を外すことなく、物申す。



「────いや、なんで? 特に何もないけど」

「そーかー?? なんだか表情が柔らかくなった気がしたんだがなあ。なあ、キャロル?」

「私に聞かないで頂戴」

「…………」



 同意を求められ、ぴしゃっと遮断するように答えるキャロラインとリチャードのやりとりを前に、エルヴィスはゆっくりとまばたきをしたのみ。

 しかしリチャードは構わず言葉を続ける。



「エルヴィスといえば『聖騎士長!』って感じだが……今日は違う気がしたんだけどなあ〜」

「そうかしら? 私には彼の様子が変わったようには思えないけれど。……実際、若いシスターも怖がっていたわ」


「それは……、悪かったな? 元々こういう顔だよ。特に凄んでもいない」

「貴方、容姿はいいものね。迫力があるのではないかしら?」

「…………それはどうも」



 キャロライン皇女の『事実を述べた言葉』に、エルヴィスは澄し顔で相槌だけを打った。


 『かっこいい』とか『綺麗』とか。

 容姿をほめられ、普通なら照れたり謙遜するはずのところを、黒髪くせ毛の盟主は『些細な事』といわんばかりに息を吐き、言葉を続ける。



「まあ、外面は、な。ここでも笑顔は作っていると思うけど?」

「『迫力しかないヤツ』、な~」


「そんなことないだろ」

「…………貴方、若い侍女には怖がられているわよ? もっと柔らかくしたほうがいいわ」


「…………ああ、悪かった。キャロライン、君に言われたくはないけど」

「────なにかしら?」

「…………」

(おー、こわあ。)



 鋼鉄の皇女キャロラインと、陶器の盟主エルヴィスのあいだ、瞬間的にビリつく空気にリチャードが背を丸めた。



 ……この二人、お互い様なのである。

 どちらも威厳と威圧は凄いが、やたらと愛想を振りまく性分ではない。



 スパイとして副業をしている分エルヴィスのほうが愛想は使えるが、キャロルに至っては『鉄仮面に塩とスパイスを練りこみ歩いている』ようなものだ。



 そんなキャロルに『愛想をよくした方がいい』など言われる筋合いがないのは、リチャードでもわかる。




 聖堂の花園・一瞬にしてひりつく空気。

 キャロルのツンとした威厳に密やかな苛立ちを滲ませるエルヴィスだったが、しかし彼は瞬時に切り替えた。



 (構っていられない)と判断した。

 キャロルはビジネスパートナー。

 喧嘩をする相手ではない。


 僅かに残る苛立ちを散らす様に、煩わしさを宿した瞳で文字を追いかけ、──ふと。


 手が止まった。

 思い出してしまったのだ。

 スネークの言葉。

 ……いや、”ミリアの言葉”を。


 ────脳の中。鮮やかによみがえる『ミリアの評価』。

 すまし顔のスネークが語る。



『彼女はあなたのことを大層褒めていましてね。いい笑顔をされていました。”かっこいい”・”面白い”・”一緒にいて楽しい”と』



 今受けたものとは、まるで──正反対だ。

(────「かっこいい」は、まあ……わかるとして……『楽しい』……、『面白い』……か)



 『スネークフィルター』を通して伝えられた、もはや出まかせのような褒め言葉を繰り返す。



 彼の人生、今まで『格好良い』という言葉は多く受けてきた。

 しかし、『面白い』は、今まであっただろうか?

 『楽しい』は、どうだろうか?



 今もキャロラインに『怖い』と言われたばかりだが、彼女ミリアは自分を『楽しい人だ』と言う────。



 エルヴィスの頭の中、自分の前では決してその素振りを見せないミリアが、スネークの前で『あのおにーさんと一緒にいるの楽しいです!』『面白いんですよ~!』と、にこやかに言う顔が頭をよぎり、



 ────”一瞬”。





(────いや。情報源はあのスネークだぞ。そういう情報・・・・・・は、真に受けるべきじゃない)



 『一瞬』。

 心の中に芽生えたとっかかりのようなものを瞬時に振り払った。

 そもそも情報源が怪しいのだ。

 エルヴィスは自らを諫めながらトントンと資料を整えると、



(…………『何かを企んでいる』・もしくは『楽しんでいる』と考えた方が自然だ。

 第一、彼女は俺にそんな感情を抱いては)

「────で。エルヴィス? おまえさん、なにかあっただろ?」

「………………なんで?」



 思考の途中。

 タイミングを見計らったようにかけられた言葉に、ゆっくり目を閉じ・声に『怪訝と苛立ち』を滲ませ・一蹴いっしゅうした。



 いくら相手が『協定関係の王子』であっても、詮索されるのは好きじゃない。スネークを相手にしている時ほど棘はないが、『嫌なものは嫌』である。


 声から温度をかき消して。動揺を隠すように・揺らぐ気持ちを固めるように。すぐさま皮肉の笑みで表情をかたどり、エルヴィスは頬杖をつくと、



「────……ああ。強いて言うなら『依頼のおかげで目が回りそう』……かな」

「そうそうそれそれ! 依頼!」



 煽り口調のそれに、返ってきたのは勢いのある返事。エルヴィスの次弾(これ以上言うのなら、どう返そうか)が突如どこかに消えていく。


 勢いのある路線変更だが、しかしまだミリアに比べたら可愛らしい。

 視界にやや『くらり』とした眩暈を覚えながらも態勢を保つエルヴィスに、リチャード王子は前のめりで迫ると、



「それを聞きたかったんだよエルヴィス! 毛皮の件、どうなってる?」

「──『毛皮』って、なんの話かしら?」


「……ああ、キャロル、ちょっとな〜! エルヴィスも見ただろ? あんな値段ありえない! 商人に言われて、『おかしいだろ!?』って凄んじゃったもんな〜」



 食いつくキャロルを軽く流すリチャードに、眉根を寄せるのはエルヴィスだ。



「…………”凄んじゃった”って。 君が? その商人に同情するよ」

「おいおい。オレは、おまえさんみたいにプレッシャーかけないぞー?」

「…………」



 『おまえさんとは違うんだがー?』を詰め込まれ、黙るエルヴィスのその前で。リチャードは彼の『冷静呆れモード』を歯牙にもかけず、言葉を続けた。



「高い原因もな? 商人に聞いても『わかりません』だけでなあ。『わからないじゃなくて、調べろ』って言おうかと思ったんだが、下手に動き回られても迷惑だろ?」


「────それで盟主に?」

「そそ、うちのスパイおまえさんに。よろしくな!」



 ………………はぁ………………

 まるっきり他人事のように、腕を上げつつ言うリチャードに息をついた。

 頼んでいることが『重い』のに、その頼みかたが釣り合っていないのである。 


 金はもらっている。

 仕事だと割り切ってもいる。

 ──それが、この国のため──産業のためになることもわかっている。


 ────しかし。



「…………投げ方が雑すぎるんだけど?」

「あれぐらいゆる~いほうがイイだろ~?」


「────ハ、冗談にもほどがあるな。あの文面を読むこっちの身にもなってくれ」

「苦労したんだぜぇ? じじいっぽい雰囲気出すの」


「……そんなところに力を注ぐな」

「…………ねえ。何の話なのよ?」


「あ~~~、まあ、その?」

「……………………」



 自分たちだけで会話を進める男性陣に、キャロラインは鋭い目つきで声を投げたが、男二人は明確に答えない。


 トントンコンコンと書類を揃えるキャロルを尻目に、リチャードは誤魔化すように紙をめくり、エルヴィスは怪訝と言わんばかりに息をついた。



 ああ、皺が寄っていく。

 盟主の眉間に密集していく。

 今の状況にイロイロ言いたいことはあるが胸の中にしまい込む。

 そのツケが眉間に寄っていく。



 『ねえ、おにーさん? 眉間のしわ~、跡がつくよ? まだ若いのに……』

(──……ああ……また、”ミリア”だ。……まあ、彼女はそう言ってきそうだけど)



 脳内ミリアに憐れみを込められ、抵抗するように眉間を伸ばした。


 正直「勝手に出てこないで欲しかった」。

 彼女に言っても無駄どころか、どんな顔をされるかわかったものじゃないが、ことあるごとに出現されても困る。


 エルヴィスのそんな葛藤など知る由もなく、いけしゃあしゃあと珈琲を口にするリチャードと、黙りこくって資料を眺めるキャロル。そんなキャロルをしり目に、エルヴィは強めの語気で、リチャード王子に声を投げた。



「────で。君の依頼の件だけど。とりあえずまだ全容すら把握できていないから、少し時間をくれないか?」

「ど〜れぐらいで調べがつきそうだ〜? あんまり遅いとウチも困るんだよ。ラグマット業が悲鳴あげちまう」


「………さあ、どうだろうな? 一応、冬までにはケリをつけるつもりで動いては居るけど…………なにしろ、数が数だからな……ウエストエッジ う ち だけで、どれだけ服飾関係の店や問屋があると思ってるんだよ。……見当をつけるだけでも、一苦労だ」


「期待してるぞっ、エルヴィス!」

「…………報酬は弾んでもらうからな?」


「おう、任せろ? アルツェン・ビルドの国庫を動かしてやるよ☆」

(…………国庫は動かすなよ)



 山のような『言いたいこと』を我慢して。陽気に軽く言うリチャードに、エルヴィスはそっと資料を手に取った。


 投げる視線で確認するのは太陽の位置。

 そろそろ閉幕かと推察するエルヴィスの視界の隅で、黙りこくっていたキャロルが──口を開いた。




「聞いてほしいのだけど。私、今度ドニスに行くことになったわ」

『────ドニス?』



 キャロライン皇女の口から出た名前に、エルヴィスとリチャードは、オウム返しに問い返したのであった。



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