────『誰かの顔が頭にチラつく』 なんて経験は、今まであまり味わったことがない事柄だった。
思い出そうとして思い浮かべることはある。
やりこめようとして仮説を立てることもある。
しかし──『この前』・『あの日』から、妙にチラつく
(…………気が散ってる。自覚がある。……なにやってるんだ)
自分を
今は三国連盟会議の最中だ。
集中しなければならない時にこんなこと、弛んでいるにもほどがある。
(────まったく、どうかしてるぞ。連想遊戯? 馬鹿言え。遊んでいる場合じゃないんだ)
一人、眉間に皺を集結させながら資料をぺらり。飛び込んできた『マジェラ』の文字に、また眉を寄せ愚痴をこぼす。
(少し前まで『マジェラ』と言われたら、頭に浮かぶのは『仕入れ』や『魔具のこと』ばかりだったのに。今は──くそ……! )
思い浮かんでいるのは服飾工房の女の顔。
──ああ、本当にどうかしている。こんな時に女のことを考えるなんて、色情魔のようで居心地が悪い。
しかしそんな自己嫌悪を散らす様に、脳内のミリアは訝し気に問いを投げるのだ。
『この国の人、どうしてこうなの?』
『なんか決まりでもあるのかと思った』
──それは《男女間の空気》について話した時の『彼女の意見』。
不思議そうな顔。理解できないといったニュアンス。
マジェラのお国柄や、その出生率・婚姻率までは知る由もなかったが、男女差もなく・婚姻率も高い国で育った彼女からすれば・この国は、異常に映ったのだろう。
『決まりでもあるのかと思った』という意見が出るほどには。
(────なるほど? マジェラの実態はわからないけど……、彼女が『男女の空気に違和感』を覚えたのも、当たり前なんだな)
と、胸の内でつぶやくエルヴィスの隣、リチャードが思い出したかのように声を張る。
「────ああ〜、そうそう。マジェラと言えばだな、エルヴィス、キャロル」
(今度はなんだ?)
声賭けに、エルヴィスが砂糖入りの珈琲を口に含む中、金髪の王子リチャードはパチンと指を鳴らし、側近の執事にそれを促すと、差し出された黒い箱を受け取り……二人に述べた。
「この前『これ』もらったんだよ」
「…………小さな……本?」
テーブルにそれを滑らせるリチャード。
エルヴィスは深く腰掛けた姿勢そのまま目を丸めた。
現れたのは、手のひらサイズの黒い平箱。
箱なのか小さな本なのか、ぱっと見ただけでは判断が難しい
黒く厚みのある表面。
銀の箔押しで描かれた模様。
その姿かたちから、にじみ出る『高級感』。
そして、その箱に捺された『銀の紋様』──。
「…………それ、魔法陣だな」
「やっぱりそーか。さっすが、
「……まあ。魔具には大体、この刻印があるから。見ればわかる」
陽気に目を見開くリチャードに、『当然だ』といわんばかりに言い返した。
魔具にはどんなものにも刻印がある。
円と直線で描かれた
魔具取り引きの中で、そこを問いただすものはあまりいなかったようだが、彼は『エルヴィス・ディン・オリオン』。細かいことでも気になったら質問する性分なのである。
差し出された箱を手に取り見つめ始める彼。
その目つき、『まるで検閲』。
まずは、外箱から。
固く厚めの表紙蓋、予想を裏切らないしっかりとした作り。
その見事な
「……ずいぶんと
「いんや、
「
首を振られて繰り返す。
まさか、そんな返しが来るとは思わなかった。
確かにカードと言われたらそのサイズだが、しかし外箱がやけに仰々しい。
「…………へえ。てっきり、小さな本かと思った」
「な? 芸術品さながらだろ? ちょっと見てみろって」
言いながら、リチャードはカードを一枚引き出し、エルヴィスに見せると、眉をくねらせて、
「色々な模様があって、それを揃えて遊ぶんだと思うんだが……遊び方がわからなくてなぁ。」
「…………ふーん……?」
釣られてカードを手にするも、彼は警戒を滲ませた。
『魔具』が一般的に危険ではないモノだと認識してはいるものの、それでも得体のしれない魔法道具であることに変わりない。
確かめるエルヴィスと、無言で見つめるキャロラインを前に、しかしリチャードは構わずカードを次々に捲るのだ。
「ほら、みろよ。これは、水だろ? これは……炎? ……これは……、嵐みたいだな? なんか、頭のマークもあるな?」
「……あら。模様が同じものもあるのね……トランプみたいなものかしら?」
「か~もしれないなー?」
……ぴくっ。
間延びした相槌に、エルヴィスの手が止まった。
言い方が怪しい。
まるで「そのものを理解していないような言い方」に、エルヴィスは目つきも鋭く問いただす。
「……まて、リチャード。『かもしれない』って、説明はなかったのか?」
「ん、なかった」
「…………聴かなかったのか?」
「ちょうど留守だったんだよなあ、オレ」
「…………」
お気楽~に、『だったんだよなぁ〜』と、のけぞり後ろ頭を両手で支えつつ、臆面もなく言うリチャードに、エルヴィスは黙り込んだ。
(──
『魔具』が『魔法が込められているが、非魔術師でも使える道具』だと解ってはいるが、それでも元々は軍用武器だったのだ。それを説明もなしにこんなところに持ってくるなという気分で有った。
エルヴィスの唇の裏から、今まさに『いや、それでも使い方ぐらい聞くよな? 暴発したらどうするつもりだったんだよ』が出そうになった、その時。リチャードはカードをエルヴィスに向かって差し出すと、ニカッ☆ と微笑み彼に言う。
「おまえさんにやるよ。マジェラ専門だろ?」
「…………『マジェラ専門』って……うちは『魔具の取り扱いをしている』だけだ」
「じゃあ、キャロル。おまえさんはどうだ?」
「──要らないわ。そういったものを集める趣味はないの」
「じゃあエルヴィスだな!」
「…………なんで俺に」
「魔具専門だろー? エルヴィスがあってる!」
「いいじゃない。エルヴィス? 貴方のところの、ヴァルター……だったかしら? 彼と遊戯を楽しんだら? たまには執事と遊ぶのも息抜きになるのではないかしら」
「…………」
リチャードをフォローするようなキャロルに、エルヴィスは困惑を滲ませた。
一家の主として、執事やメイドと交流を図るのも『勤め』だが、どうにも気分は進まない。
キャロルの言う『ヴァルター』は、確かに優秀な側近である。
強面で、体格もいい。
父の代からオリオン家を支え、白髪をたたえながらも常に気を張っている男だ。
昔は遊んでもらった記憶がないこともないが──
「…………あいつは…………、まあ。そうかもしれないけど」
そう、言葉を濁し、エルヴィスはキャロライン皇女の言葉をため息交じりに躱し、息をついた。すました瞼の裏で考えるのは──『ヴァルターの思惑』である。
(────……ヴァルターは……あいつは『オリオンの忠実な側近』だ。俺というより、『ウチ』だろ)
──そう。『家』だ。
執事としての責務を果たすヴァルターの『生きざま』は尊敬に値するが、『盟主である自分と「息抜き」ができるかどうか』と言ったら疑問である。
『盟主の息子であり、現盟主である自分』と『家に仕える執事』では、その立場も気構えも、まったく違うのだから。
エルヴィスは冷めた眼差しで『カード』に手を伸ばした。一枚一枚、手触りもよく気持ちのいいカードだが、自分の周りで『これで遊ぶ相手』など────
(……ミリアは? ミリアもこれで遊んだのだろうか)
ふと浮かぶ『異国出身の相棒』の顔。腕相撲を挑み、顔を真っ赤にしながら完膚なきまでに負けた彼女なら──自分と遠慮なく戦ってくれるかもしれない。
自分と戦い、負けて悔しそうにするミリアの顔が目に浮かび──くすっと、内心、笑いが漏れこぼれた。
(…………ふっ! ……負けず嫌いなミリアのことだ。きっとこのカード遊びも、負けるたびに何度も勝負を挑ん)
「………………なあ~。エルヴィスぅ」
「?」
おもむろに届いた、リチャードの声。
その『聞きたいんだが』と言わんばかりのトーンにエルヴィスが目を上げた時。
リチャードの新緑の眼差しがこちらを射抜き、そして彼は問いを投げたのだ。
「……やっぱりおまえさん……最近、なーにかあっただろ?」
「…………え。」