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第7話 今すぐ消えてなくなりたい





 男は、自分に自信があった。



 身体能力はもちろんのこと、容姿にも絶対的な自信を持っていた。

 彼が微笑みコナをかければ、女はうっとりと彼に身を委ね酔い始める。むしろ、黙っていても寄ってくる。



 容姿端麗、文武両道。

 スタイルだって抜群にいい彼に、うっとりとしない女など今までいなかった。


 ──────しかし。




「……………ぃぁく、だ…………!」

「なにー?」

「なんでも」




 カウンター外。

 窓際に置かれたソファーの上。



 ガラスの向こう側、外の閉まった店舗を背景に、足組みしながら毒づいて、ぶっきらぼうに答えるのは黒髪の青年”エリック”だ。



 カウンターの向こう側で背の高い丸椅子に腰掛け、何食わぬ顔で針を通す服飾工房の女・ミリアの顔も見られない。



 彼女を見るたび思い出す。

 先ほどの────”盛大な勘違い”。




(…………最悪だ。赤っ恥もいいところだ。

 コルセットを解きながら言うセリフじゃないだろ、

 ……は────っ……!)





 今にも飛び出そうなため息を喉の奥で潰すエリックの中、蘇るのは彼女の微笑みと『脱いで』。





 徐々にほどけていくコルセットベルト。


 誘うような視線、物言い。


 耳から本能を刺激する甘い声。


 完全に勘違いをする態度・雰囲気────





 ────を醸し出していたくせに『ボタン取れてる』と来たもんだ。



 完全に硬直する自分の前で、ミリアは

 『だってコルセット苦しいじゃん。仕事の邪魔』

 と、さも当然の様に言い放ち、ストールでウエストをきっっっちりと締め上げ、ベストを回収していったのである。






 ああ、勘違い。

 そして、すぐには帰れない。

 ベストはまだまだ返らない。


 その居心地の悪さと言ったらない。



 完璧に誤解した自分が恥ずかしい。

 しかしあれは無理もない。

 あんなところでコルセットベルトを外すな。



(~~~~~~~ーっ…………!)



 恥ずかしさと自己正当と。

 内部葛藤を繰り返すエリックを気に留める気配もなく、ミリアは



 ────慣れた手つきで、ボタンに針を通している。




(────…………ボタンが付いたらすぐに帰る)




 いまだ、沸々と湧き出す羞恥を表情筋で閉じ込めながら、ふうっと息も短く横目でちらり。

 エリックは頬杖で口元を隠したまま、ぶっきらぼうに声を投げた。




「…………まだなのか」


「ボタンは終わってる~けど、」

「けど、ナニ」


「裏地が破れそうになってるから、ついでに補強してる~」

「……………………」



 さらっと言われて言葉に詰まる。

 …………確かに、そこは気になっていたところだったからだ。



 彼の中、一刻も早く帰りたい気持ちと、そのまま任せてしまいたい気持ちが混じりあい────……


 一瞬の間のあとで。

 彼の脳が拾い上げたのは、次の言葉だった。




「………………そこ。

 気になってたんだ。直る?」

「もち!」



 問いかけに戻ってきたのは軽快な声。

 彼女はふふんと一つ笑い、緩やかに首をかしげると、



「……まあ~「助けてくれたお礼」に?

 ……ほらー、荷物まで持ってもらっちゃったしねー」


 縫い合わせる指は止めずに、軽い口調で言う。




「…………、いや、別にそれは」

「ああ、別途サービスしたらいい? 

 うぅーん、それは困るなあ~」



 困惑の自分に戻ってきたのは軽~い言葉。

 言ってもいないことまで言い、自己完結するミリアの手の動きは軽やかだ。



「……こちらも商売なのでっ。

 サービスばっかりしてたら、あっという間に干上がっちゃうもん」



 『ふふふん』と冗談交じりの言葉に、エリックはこっそり息をつく。



 そして、眺める彼女の手元から、ざらりと周りを見渡して、



(────まあ

 こういうところに勤めているぐらいなんだから、これぐらい……、ん?)



 そこまで考えて。ふと。

 思い浮かんだ疑問は、エリックの意識をすり抜けて、素直に滑り出していた。



「…………君は、”縫製師”?」

「ううん、わたしはスタイリスト。

 着付け師ともいうよね」



 何気ない質問に、テンポよく返ってくる返事。

 彼女はベストの裏地に糸を通しながら、言葉をつづける。




「ドレスって、一人で着れるわけじゃないからね。

 家で着せてくれる人がいないお客様もいるわけ。


 あとは、提案もするよ。

 この店は『お客様に似合う服』を提案して、作るところなの。


 この街ここって、ファッションの聖地じゃん?

 バリエーションもあるでしょ?



 流行りはあるけど、それでも種類が多いから

 『似合う洋服がわからない』

 『どんな色を合わせたらいいのかわからない』

 『どれを着たらいいかわからない』って人も多くて」



 言うミリアは饒舌に、顔を上げて話をつづける。




「そんな人たちに好みを聞いて、

 似合う色や形を提案して、

 ”爪の先から頭の先まで

 さいっこうに似合うスタイルを提案する”

 それが、わたしの仕事。


 …………さすがにヘアメイクはできないけどっ。

 あと、メイクもっ」



「……てっきり針子かと思ったけど」

「ああ、買い物のこと?

 買い物や買い付けにも行ったりするの。

 さっきは、足りない布とか買ってきた。


 ここの棚、布や糸で綺麗でしょ?

 インテリア兼在庫ストック棚にしてるの。

 後ろで布使っちゃって歯抜けになるとみっともないのよ~」




 困ったように言いながら、ミリアは肩をすくめながら糸を引く。

 滑らかな手元で『スッ』と小さく、糸が通る音がする。




「──で、まあ

 お直しとか、小物づくりもやってるわけで。

 わたし、受付窓口だから。

 これぐらいはできるようになるよね~職人さんたちは忙しいから」




 彼女は手元の糸をすぅ──っと引き上げ、小さなハサミに手を伸ばした。

 その手元、”プツっ”と切れる糸の様子、”ことり”と置かれる小さなハサミ。



 仕上がりを察して立ち上がるエリックを前に、彼女は軽くボタンを指で引っ張ると、続けて、布地を返して、もう一度。



 縫い目を撫でて仕上がりを確認し────

 こくりと頷き、ベストを差し出し、顔を上げた。





「────はい、完成。

 ボタン、割れてたから新しいの着けといた」


「…………割れてた?」

「うん、もうね~、限界ギリギリって感じでついてたから、交換しちゃった」


「…………悪いな、ありがとう」

「いえいえ、お安い御用ですとも」



 答えてミリアは首を振る。

 彼女にとっては本当に簡単な事なのだろう。




 カチャカチャと音を立てながら道具をしまう彼女を横目に、エリックはベストの内側に目をやった。

 破れかけていた箇所は、色を合わせた糸できちんと縫い付けてある。




「…………縫い目、綺麗だな」



 その仕事に、自然と漏れる感嘆の言葉。

 返ってきたのは、陽気な笑い声だった。




「そりゃーねっ、うちの職人には負けるけどっ」

「薄くなっていたのには気づいたんだけど……

 なかなか、手が回らなくて。

 ……こんなに綺麗に直るとは 思わなかったよ」



「裏だし、薄くなってるところを中に織り込んで縫っただけだよ。

 本当なら 一本一本、糸を絡めて紡いで差し上げたいところではあるんだけど……

 時間かかるんだ、あれ」

「……いや、十分だ」



 カウンター越し、肩をすくめる彼女に小さく首を振る。


 「そっか」と小さく笑うミリアの前、エリックは何気なく辺りを伺うと、




「…………店はいつもこんな様子なのか?

 さっきから、人が全然来ないけど」



 いいながら、二人そろって目を向けるのは、窓の外。


 外にひろがる、穏やかな初夏の午後。

 窓の外、テントの影も色濃く石畳の上に映えている。



 行き交う人もまばらな通りを窓ガラスの外に、次に見るのは壁掛け時計だ。

 この店と同じように年季の入った掛け時計の針は、彼がここを訪れてから、ゆうに小一時間以上経っていることを示していた。




 顔の表層に、微細な心配を浮かべるエリックに、しかし彼女はけらけらと笑うと、





「まーねーっ。

 …………モーテル通りにいくつも新しい工房ができたでしょ? 若い人はそっちに流れちゃうよね~。ウチみたいに、旧街道に建つ店なんか大体こんなもんだよ~」



「……大丈夫なのか?」

「それはご心配なく~。

 愛され続けて50年。ビスティーは、お客様の満足にお答えします♡」




 答えながら右で作るブイサイン。

 閑散としている店など全く気にもしていない様子に、エリックが(呑気なもんだな)と、わずかに笑みを浮かべそうになった──その時。





「────と、言うわけで」

「ん?」

「──500メイル。頂戴しまーす♡」

「はっ?」



 声も高らかに。

 ぺろっと出した手の指を、ちょいちょい動かしながら言い放つ彼女に、間の抜けた声を上げた。



 一瞬。

 彼の中でめぐるのは『お礼』の一言である。


 それらを瞬時に顔面の表層にのせ、エリックは戸惑いの目を向けると、



「…………え。金をとるのか……!?」

「当たり前でしょ、ただでやるわけないじゃん」


「いや……待って。

 君、さっき「お礼」って言ってなかった?」

「それはボタン代ですねぇ~。

 糸代と技術代は別料金です」



「…………ちゃっかりしてるな…………」




 勝手にやっておいてこの言い分。

 『当然でしょ』とにじみ出るその態度に、こうべを垂れつつ舌を巻く。



 別に、金を払いたくないわけではないが、なんとなく『してやられた感』が否めない。



 内心(ああ、さっきから調子が狂いっぱなしだ)と苦々しく呟く彼の前、ミリアは左の方から大きめの台帳をひっぱりながら口を開けると、



「言っておくけど、これでも大特価!

 あ、お金ないならツケておくよ? お名前は?」

「…………いや、金ぐらいあるよ」



 台帳にガラスのつけペンの先をぐっと押し当てるミリアに、静かに首を振る。




 その表情は今も『やられた』感が否めないが、仮にもサービスを受けている。

 これを踏み倒すほど金に困っちゃいないし、踏み倒すなんてエリックのプライドが許さなかった。





 ────それに。



(この女にこれ以上、つべこべ言うのも面倒だ)



 この女、ああいえばこう言うし、言葉の切り返しだけはとても素早い。下手に言い返して話が長くなるよりも、ちゃっちゃと払って早く引き揚げたかった。



 ────気分は乗らないが。




(────……払えば終わる)



 そう、自身に言い聞かせ、小さく息を吐きながら、財布から紙幣を引き抜く。




 「はぁい、どうも♡」

 ぺらりと渡された紙幣を受け取った彼女はご満悦だ。




 ……彼はいまだに、悪徳商法にでも引っかかったような気分なのだが。



「…………」



 ひらりひらりと紙幣を下に仕舞い込む彼女に、息をついた。



 なんとも居心地が悪かった。

 声を張り上げた自分もそうだし、勘違いをした自分もそうだし。




(…………ああ、こんなはずじゃなかったのに)

 と、エリックがくるりと身を翻そうとした、その時。





「で、お名前は?」

「…………いや、今払っただろ?」



 彼女の声かけに、思わず振り向き言い返した。



 『ツケ』ではないのなら、名前の記入など必要ないはずだ。

これ以上彼女に用はないし、名を名乗る義理もない。

 しかし縫製店のミリアは、先ほど開いた台帳を指でトントンと指しながら、ハチミツ色の瞳を向けて言うのである。




「お直しリストに書かなきゃなの。

 ほら、ここ。書いて?」


「…………ああ。はいはい。

 …………なら、先に言ってくれないか? 

 いきなり言われても混乱するんだけど」

「”お直しリストに記載が必要ですので、お客様のお名前をお書きください”」



 眉をひそめ愚痴りながらペンを手にするエリックに、丁寧な文言を並べるミリア。その言い方にはきちんとトゲが混ざっている。

 彼女の返し方に湧いて出た、僅かな苛立ちをぐぐっとペンの先に込め、つっけんどんをそのままに、エリックは口をあけ、





「…………………………住所は」

「ツケじゃないから必要ないよ~」




 今までの記載を目視で確認し、念のための質問を頭で受けながら、よそよそしい返しも溜息で流して、彼は台帳にペンを走らせて──



「…………『エリック・マーティン』さん」


「………………、なに? 

 そんなにじっと見て」

「…………いや? 別に何も?」




 台帳をじっ……と見つめ呟く彼女に

 エリックは眉間にシワを寄せて問いかけてみるが──彼女は静かに首を振っただけ。



 (スペルでも間違えたか……?)とエリックが不思議そうに確認しようとした、その時。



 ──ぎっ……、ぎいぃぃい……っ



『──?』




 彼の背後。

 しばらく沈黙していた入り口の扉が、ぎぃっと軋んだ音を立て『彼女』は、よたよたと姿を現した。





「……こんにちわぁ」

「──あぁ! ロべールさん!」












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