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第5話 縫製工房 ビスティー




 総合服飾工房オール・ドレッサービスティーの中。

 ミリアは、青年『エリック』に背を向けて、心の中でポッソリと呟いた。





(……お金持ってなさそうだもんなー

 あれはきっと労働ニュート階級だな~……)




 目の前にそそり立つ『糸の壁』に向かって息をこぼす。

 『金にならない』と判断をつけた瞬間、商売人はとてもシビアだ。



 しかし、口には出せない。

 流石に出せない。

 彼女もそこまで馬鹿じゃない。

 出会ってすぐの人物に対して『金持ってなさそうだね!』などと、相手が相手なら殺されてもおかしくないのだ。


 だかしかし。

 ミリアがそう思うのには理由がある。



 彼女は、着付け師だ。


 客の体格や雰囲気、好みなどを聞き出し、総合的に提案するファッションプランナー。

 毎日、布状態のものからアクセサリー小物まで取り扱っている、いわば『服飾のプロ』である。



 毎日見ているのだから、行き交う人々の服や道具などから、大体の身分位の見当ぐらいつけられる。

 むしろ、付けられなければ話にならなかった。



 まあ、一口に身分と言っても様々ではあるのだが、金から浮き彫りになるその「格差」は、身だしなみにこそ如実に出る世の中である。



 助けてくれた人間にこう思うのは、失礼に値するのだが────

 ミリアの目から見て、彼は間違っても金を持っているような恰好はしていなかった。






 シンプルな襟シャツに、ありふれたベスト。

 履いている黒のパンツも、その辺りで買える。



 いわば『浮かないスタイル』。

 高貴な人々が身につけるものは一切ない。





 腰に巻き付けた革のベルトと、そこにぶら下がる短剣を納めた鞘は…………まあそれなりのつくりだが、これはどれも同じようなものである。




 どこにも『金持ち』──

 ロイヤル階級クラスやアッパー階級クラスの要素は見つからなかったのである。




 ────しかし、靴だけ。

 靴だけが引っかかった。



 どう見ても本革。

 手入れもされている。

 おそらく仕立ては一級品だろう。



 外目から見ても仕立ての違いが明らかにわかる上、何よりその紐穴に『アイレット』という補強金属とフックまでついている。

 この、アイレットとフックが『また』。

 高級品の証なのだ。



 ミリアの目測、それは『普通に買っても十数万メイルはくだらない』。

 なので密かに『金持ちの息子か何かかな』と思いもした、のだが。



(────金持ちの息子が『こういうところに来たことない』ってことはないわなあ……)



 首を捻って却下する。

 目の前にそびえたつ、巻き糸の壁に新しい糸を加えながら、唇を平たく潰してそう思う。



(この国で? 貴族の息子が? 

 工房に来たことない?

 ないないない、そんなのありえない)


 心の中で、好き放題首を振る。


 それも、そのはず。 

 彼らが暮らす『シルクメイル地方・ノースブルク諸侯同盟領』はファッションの国だ。



 中でも『ここ』。

 オリオン盟主が治める『ウエストエッジ』は、聖地の隣にあり『女神のクローゼット』と呼ばれている。



 『女神のクローゼット』に仕立て上げたのは、稀代のモデル『ココ・ジュリア』。

 国交と文明の発達の中誕生した、ファッションの広告塔がその発展を促してきた。



 ジュリアの功績はとても華々しく、戦後落ち込みがちであった服飾業界に花を添え、流行をもたらし、国中にドレスや服の花を咲かせた。




 要するに、『選りすぐりのファッションのメッカ』なのである。

 よほどの貧乏人でない限り、民は皆 それなりの装いをして歩いているのが普通だ。





 近年の流行りは、男性服は『紳士かつ動きやすく』、女性服に至っては『エレガントかつ可愛らしく』。



 女性はふんわりとしたワンピースドレスやスカートを身にまとい、男は襟シャツにパンツという──まさにエリックが身に着ている恰好をしている男性が多い。




 それでも質は様々で、安物はそれなりだし、高いものは見ればわかる。

 特に金持ちは装飾や刺しゅう・裏地などにこだわり、上質なものを身に着け、金をかけるのだ。




 ──そのため、見る人間が見れば、一発でわかる。


 『こいつ金持ってるな』と。


 そんなファッションの聖地なのだから、縫製工房やスタイルショップと民は、わりと密接な関係にあるのだが──……




(……確かに~

 うちみたいな総合服飾工房オール・ドレッサーは来たこと無いだろうけど。

 ……「紳士服工房テーラーはあるだろ紳士服工房テーラーは」って思うんだけどな~)





 パンパンの布棚を整理しながら、ミリアの疑問は止まらない。


 彼の様子からして、こういう工房に入ったことがないのはおそらく本当だろう。でなければあんな風に、圧倒されたような顔つきはできない。




 だからこそ不思議だった。


 それなりの家庭なら、成人した時に服を仕立てるはずなのに。

 そしてその辺の小金持ちなら、男性も女性も、店に来ては普段着をセミオーダーで仕立てていくのに。




 彼は言った。

 『工房に入ったことがない』──と。


 そんなことは『考えられない』。

 『ちょっとありえない』。


 紳士服のテーラーと、ドレスショップでは多少の違いはあれど、どこも似たようなものなのに。





(………普通、小さなころに連れてこられるとか、親の用事でタイやリボンを取りに行くとかあったりするじゃん? ボタンの付け替えを頼みに来るとか、リサイズだとか、来る機会ならいろいろあると思うんだけどなあ……?)





「…………うーん……」


 “普通に暮らしていて”、“このような店を利用することがない”というと────?




(……アッパークラスの貴族か、ロイヤルクラスの王族か……

 それともどうしようもない貧乏人か。

 ……そのどっちかしかない、と思うんだけど)




 呟きながら、彼の様子をちらり。

 気づかれないように伺った顔は、今は棚に飾られたコサージュに向けられていて、こちらの視線には気づいていない。





(────貴族アッパー……?

 ……王族ロイヤルぅ……?

 …………ってことはないでしょ。

 天下のお上様がこぉんなところ歩いてるわけがないし、ああいう人にはお付きがいるし)



 横顔を盗み見て、さっと視線を棚に戻し、抱えた布で綺麗なグラデーションを作っていく。 





(……仮にアパロヤだったとして……、


 いやいや、こんな失礼なアッパーロイヤルいる?

 ソッコー付き合いに亀裂入りそうじゃない?


 うーん、まあ、居ないってこともないかあ)




 頭の中。

 よぎる『今まで対応した貴族をはじめとするアッパークラスの皆様』。




(……いや~でもなあ。

 アッパーって感じがしないんだよな~、あの人。

 アッパー特有の『ボンボン感』が感じられないんだもの。)




 振り向き様、ちらりと盗み見る彼の顔。

 トルソーのワンピースを眺める青年の表情は、今はとても綺麗なのだが……それより先ほどのイライラ顔の方が印象に深かった。




(そもそも、

 アパロヤ様は商店街で喧嘩の制裁なんかしないよね?

 『喧嘩を止める』って発想がなさそうだよね? 


 仮にお付きの方がいなくても、見て見ぬふりをするとか『野蛮なクズめ』『嫌だわぁ……』って立ち去るじゃん。



 ……か~と言って、

 貧乏人にも見えないんだよね~

 服はともかく、靴はどう見てもイイヤツだし)



 ぶつぶつ。

 ぽそぽそ。

 手を動かしつつ回る頭。




(ん~…………じゃあ、あれか?



 頑張って働いて、靴だけ良いやつ買いました系かな?

 あー! それなら納得~! 

 カッコつけっぽいしー!

 まだ全然若そうだもんね、22歳ぐらい?

 あるある、そういう時期あるあるぅ。

 きっとお給料貯めて買った系だ、あのブ~ツ~!)




 愉快に勝手に想像し、勝手に自己完結。

 他人様に迷惑をかけない範囲でのそれは、ミリアの得意技だった。




(……あとはそうだなあ~。

 もしかしたら、どこかのお家に仕える使用人なのかもしれないな? 容姿はいいみたいだし、お屋敷のあるじさんが気に入りそうな感じだもんね。


 あ、あれだ わーかった!

『あまりにみすぼらしい格好はさせられない』って、家主さんが服を支給してくれてるーとか!

 あぁー! それありかもー!

 きっとそれー! わたしあったま)

「…………なあ」

「────はいっ!」




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