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第4話 入ったことのない場所


 ミリアは、へこんでいた。



「……どうしたんだよ、さっきから黙って」

「…………いや…………なんて言うか、反省だよねって思って……」


「反省?」

「……お兄さんの言う通りだなーって思ったっていうか」



 青い空に白い雲。ふんわりと鼻をくすぐる焼きたてのパンの匂い。

 隣を歩くエリックに肩を落としながらも行く露店通りは、昼を過ぎた今・すっかりと歩きやすくなっていた。


 彼から荷物を取り返すことをあきらめて、エリックと肩を並べて歩く彼女は、口をとがらせしょぼんとした顔でため息をひとつ。

 ふつふつ湧き出るのは反省の気持ちだ。



「……はぁー……いくら鬱陶しかったっていっても、力では確実に勝てない相手に、あんな風にさ~……。わたしとしては『買い物帰りなんです~』って伝えたかっただけなんだけど、どーも伝わらなかったらしい……」



 語尾も小さく悩ましげに、ハニーブラウンの瞳をまぶたの中で迷わせながら、胸の前で組んだ指をもどかしそうに揉む彼女。


 そんなミリアにエリックはまた、ため息をひとつ。

 素直な嫌味といを投げる。



「……あれでそのつもりだったのか? どう見ても煽ってるようにしか見えなかったけど?」


「煽っているつもりはなかった! ……しかし、どーも……」

「”煽ってる”だろ? 怒らせてるんだから」

「…………ぐうの音も出ない~……」



 呟く彼女は困り顔だ。

 『はぁ、』と小さくため息をつき、前を見つめたまま肩をすくめてドヨンとしたオーラを放っている。


 そんな彼女に(……へえ、自覚はあるのか)とこっそり見直す先で、ミリアはひょいっと肩をすくめエリックを見上げると、眉を寄せて言うのだ。



「……だって、こんな経験あんまりなかったんだもん。普段めったに声なんかかけられないし、かけられたとしても『お姉さんこれいかが?』とか、『新しいの出たよ』とか、『幸せですか?』とか、そんなんばっかりで」



 困った調子でペラペラと続け、そこで息をつく。



「……ああいうのって、笑って手でも振っておけば振り切れるし、……それと同じかと思ったんだよね〜」


「…………呆れた。同じなわけないだろ? 君の周りは相当のんきな環境だったんだな?」

「………………言ってることいちいち失礼なんですけど…………」

「…………君も、相当だと思うけど」

『………………』



 ボソッと言われてぽそっと返す二人。

 呆れとジト目。

 嫌味に嫌味。


 歩むペースはそのまま。

 決して「穏やか」とは言えない空気が二人の後ろで、焦点の壁に貼られた『目元を隠した男女のモデル』がにこやかにほほ笑んでいる。



「……おおっと!」



 そんな沈黙を壊すかのようにあいだを駆け抜けた子どもに、ミリアは半身を逸らして2、3歩よろめき、「珍しーなー」と呟いた。



 あまり見ない光景に、視線で子どもを追いかける彼女の傍ら、エリックは荷物を見つめて話題を投げる。



「……というか、布って結構重いんだな」

「あら、あんまり馴染みなかった? この街の人じゃないの?」

「……いや、この街の人間、だけど」



 問われ、答える。

 ミリアからどうしてそんな言葉が出たのか分からぬ彼が、一瞬一迷いためらった時。



「──っていうかあの男、臭かったよね〜……なーんか変な匂いしなかった?」

「……え?」



 いきなりすぎる話題変更に、小さく抜けた声を上げるエリック。

 しかし、彼女はおかまいなしに人差し指の甲で鼻を抑えながら、ぷいっと前を向くのである。


 その不愉快そうな横顔に、エリックは無理やりその匂いを思い出すように宙を仰ぐと、記憶をたどり言葉を繋いだ。



「……ああ、まあ。いい匂い……ではなかったかな。籠るような、甘いような……不快になる匂いがした」

「新しい香水とかかな?」

「……うーん……」



 ぽん、と返ってきたミリアの言葉に首を捻る。

 彼の知る限り、『香水』はあんなに臭くない。



「……どうだろう。『香水』って感じじゃなかった気がするけど」

「流行ってるの?」


「…………俺に聞くなよ…………さすがに、香水の流行りはわからないから」



 間髪いれず聞かれ、呆れ声で返していた。

 反応がいいことは悪いことではないが『少し考えてからものを言え』と、胸の内で思うのだが──『とりあえずさておき』。



 胸の内で(それを言う義理もないか)と片付けて、彼はため息混じりに首を捻ると、



「…………まあ、匂いなんてものは本当に好き好きがあるから……あながち「無い」とは言い切れないよな」

「それね。人の好みなんて千差万別だもんね~。あ、こっちこっち。ここ、左」




 言われ、淀みなく動いていた足を止める。


 声に引っ張られるように目をやれば、ミリアは、店と店の間、細身の大人の肩幅ぐらいしかない通路を指している。



 ──── 一瞬、エリックも怯むその狭さ。

 『え、ここ?』と小さく声を漏らす中、しかしミリアはお構いなしだ。


 得意げな顔で通路をふさぐように置かれた植木鉢をまたぎ、すたすたと路地の中へ。荷物を持ち逃げされる可能性など微塵も考えていないらしい。


 遠のく彼女に一拍・二拍の遅れをとって、エリックも路地に足を踏み入れた。



 壁と壁の間。

 見上げる空はとても狭く、ただの店の壁が──まるで、切り立った谷のようで。底を歩いているような気分だった。



「……こんなに狭い路地を抜けるのか?」

「近道なんだ、ここ。ソコいつも水たまりあるから気を付けて~」



 いぶかし気な言葉を歯牙にもかけず。ミリアは水たまりの説明なんぞもしながら、すたすたと路地を抜け──……



「……ありがとね? あそこ、わたしの職場」

 ちょいちょい、と小さな動きで正面の店を指し示す。



 細い彼女の指の先。

 石造りの壁に、木製の扉。

 向かって左側の窓ガラスの奥には、色鮮やかなドレスとワンピース。


 入口付近の観葉植物に『ぴんぴん』とちょっかいを出すミリアの半歩後ろで、エリックは気持ちばかりに張り出したテントの下────吊るされたプレートを読み上げる。



「…………『総合服飾工房オール・ドレッサー Vstyビスティー』……」


「ただいま〜」



 (…………こんな店があったのか)と見上げるエリックを横目に、彼女がドアを押し開けて──



 ”ぎっ。”っと扉が軋む音。わずかに見えるカウンター。

 ミリアの背中越し、開いたドアの隅から光が差し込み、彼が目にしたのは『おびたただしい数の糸』。


 あるいは巻かれ、あるいは積まれた色とりどりの布。ふわりと鼻に入り込む新品特有のこんもりとした匂い。ガラスケースに入った指輪やタイピン、コサージュやバッグ。


 動く彼女に空気が揺れて、閉まりかけている扉の隙間から差し込む光の帯に、毛埃が舞う。


 年季の入ったカウンターは、今もつるんと艶やかに。相反する様に、彼女が踏みしめた床が”ギッ”と軋んで音を立てる。



「……………………」



 言葉もなく見回していた。

 見たことがない世界だった。



 ペン立てに刺された大きなハサミ、採寸用のスケール。何に使うのかはわからないが、印が刻まれている紙、とても小さなクッションに無数に刺さる針、奥に見える重りのようなもの────まさに工房。



「ようこそ、総合服飾工房オール・ドレッサー Vstyビスティーへ」



 呆けるエリックに、ミリアはひとつ。

 肩越しに微笑み出迎えたのであった。











 広がるのは、色鮮やかな糸と布の壁。ごたごたと置かれた道具の数々。



「…………」



 総合服飾工房・ビスティーの中。見慣れぬ光景に目を泳がせるエリックを置き去りに、ミリアはスタスタとカウンターを回りこみ、何食わぬ顔で言う。



「…………お兄さん、ここにおいていただけると有り難いです〜」



 間延びした、やんわりとした口調で言われ、エリックは我に返った。

 彼女がぽんぽんと叩くのは、カウンター横に併設された、広めの台だ。さも当然のように、『ここ』と言わんばかりに待っている。


 言われて『ああ、』と短く答えながら、そこに着くまで2、3歩。エリックは、素早く瞳を走らせた。


 ────店の構造を 把握するために。


 見える範囲で扉は四つ。

 入り口がひとつ、左手に扉が二つ、右の奥にも扉が一つ。

 店内は決して広くない。

 奥に靴や帽子の並んだショーケース。

 カウンターは高め。大人の胸ぐらいの高さ。

 飛び越えようと思えば飛び越えられる。


 カウンターの右奥の扉にある扉は奥につながっているようだが──



(────左の二つの扉は?)



 店内を縦に仕切る壁に、2つ。カウンター内と客側で、こしらえの違う扉が、こちらを向いて静かに佇んでいる。



(……店のつくりから、あれが勝手口ってことはないと思うけど)



 などと呟きながら、彼女に言われるがまま、カウンター右奥の「大きな台」に荷物を置いた。



 彼が荷物を置いた台には、大きく刻まれた十字の線。見慣れぬ台に、エリックは思わず口を開いていた。



「…………これは?」

「これ? ああ、カット台。布を切ったりするのに使う台だよ」

「…………へぇ……」


 問いかけに返ってきたごく普通のトーンに、小さく答える。

 大きなカット台は、布を広げても十分な広さの中心に、まずはおおきく十字にひとつ。そして升目状に細かく、薄くラインが掘られている。


 そんな、年季の入った台とカウンターの境目は、少々ごたついていた。

 隅に積まれた鉄製の重りのようなもの・作業動線を無視してカウンターにドンと置かれた『布をかぶった何か』。背景にはドレスや衣装が並んでる。


 総合服飾工房オール・ドレッサーというだけはある。道具の数も衣装の種類も、桁違いだ。


 初めて入った『未知の空間』に、おのずと、エリックの口から言葉は漏れ出していた。



「…………ここ、君の店なのか?」

「まさか! わたしはここの従業員。オーナーは……奥にいるんじゃないかな?」



 問いかけに、ミリアは簡単に肩をすくめて答えると、カウンターの最奥。右奥のドアの前あたりに腹を乗せて、身を乗り出し手を伸ばす。


 指先がドアノブを弾いて、ふんわりと開く扉の隙間に『オーーナーー? 帰ったよー!』と、大きな声を流し込んだ。


 『はぁーい』

 彼女の声かけをうけて、扉の向こうから戻ってきたのは穏やかな女性の遠い声。印象からして、おそらく初老の女性だろう。


 オーナーの声を聞いて『よし』と小さく頷き、指先でドアを閉める彼女の前、エリックはもう一度。様子を伺うように、問いかける。



「………………他に従業員は?」

「バックヤードに何人か。針子さんがいるよ。みんな職人さんでしゃべるの苦手だから、窓口はわたし」 



 言いながら、ミリアは深い茶色の髪を後ろでひとつに縛り上げ、台に置かれた荷物を広げてひょいひょいと拾いはじめた。


 彼女の手の先。

 慣れた手つきで回収された糸が、カウンター背後にそびえ立つ『糸が並ぶ棚』に並べられ、背景と化す。折り畳まれた布は一度広げられ、くるくると巻かれ、あっという間に 立ち並ぶ布柱ぬのばしらに同化し壁になる。


 そんな様子をカウンター上から見下ろすのは、仕立てなおしのメニューと料金が刻まれた『お品書き』だ。素材の木目もきれいに、堂々と店を飾っている。



「………………」

「────ねえ、どうしたの? さっきから口数少ないね?」


「…………あ。…………そうだな」



 手元をカラにした彼女に、振り向き様に聞かれ、エリックは少し視線を惑わせ── 一瞬・考え・そして・答える。



「……こういう店には、来たことがなくて。ちょっと圧倒された……かな」

「ふーん?」



 『圧倒された自分をごまかすように』、うなじを掻くエリックに対し、ミリアは軽く相槌をひとつ。どことなく居心地の悪そうな彼に、ミリアはカウンターに前のめりで頬杖をつくと、



「……来たことないんだ?」

「…………ああ、まあね」

「…………ふ────ん……」



 追い討ちで投げた質問への反応に、ゆっくりと頷きながら相槌を打った。


 口元はあくまでも『にこやかな笑顔』。

 漂わせる雰囲気は『そうなんだ〜』。

 しかし、頷く動きに合わせてゆっくりと。

 ミリアは、彼の頭の先からつま先までを流し見て────…………


 一秒。


 あるところだけを静止・凝視すると、サッと目を逸らし、スッと背筋を伸ばして指を組み、グーっと思いっきり伸びあがりながら『言う』。



「──ま、男の人にはあんまり馴染みがないかもね〜。男性モノの紳士服やコートなんかはテーラーでの取り扱いになるし、そもそも男性向けの総合服飾工房オール・ドレッサーが無いよね」



 言いながら、肩をすくめて店内を一望。

 彼女は軽めの空気のまま、言葉をつづけた。



「……うち一応、男性モノも揃えてて、タイピンやネクタイ、お兄さんが着てるようなベストや襟シャツの扱いもあるんだけど……、さっぱり出ないしね〜」



 言いながら、「んんーっ」と、気持ちよさそうにうなり首をぐるっと回した彼女は、カウンター下の引き出しから商品を抜き出すと、すっと彼の元へと滑らせ頬杖をつき、にこりと微笑むのだ。



「ねね、おにいさん♡ うちのタイピン、いかがですか?  お安くしておきますよ〜?」

「……結構だ。間に合ってるよ」

「……それは残念っ」



 静かな返答に、わざとらしく肩をすくめるミリア。


 もちろん、これっぽっちも『残念』とは思っていない。

 『軽いジャブ』というやつである。


 彼の返答に『だよね〜』という雰囲気そのまま、冗談っぽく微笑んで、タイピンをしまい込こみ、くるんと、流れるように作業台に置かれた巻き糸をいくつか抱えると、エリックに背を向けて────



(……お金持ってなさそうだもんなー……あれはきっと労働ニュート階級だな~……)



 ぼっそりと。

 勝手に。

 貧乏認定した。






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