────びしいいいいいっ!
「な ん か 臭 い し まじで無理!」
「──……さっきから好き勝手言いやがってぇぇぇぇ!」
刹那、怒号と緊張が場を走り抜けた。ミリアが慌てて目を向けた先、振り上げられた大きな腕に息が止まる。
「────わッ……!?」
(────殴られる!)
走り抜ける危機感。
反射的に上がる腕。
瞬時に覚悟した痛みに耐えうるべく、ミリアは全身を固めて”瞬間”を待ったが────訪れたのは、奇妙な静寂。
何が起こったのか恐る恐る目を上げるミリアの視界いっぱいに飛び込んできたのは、振り下ろした腕をしっかりと握りしめる、エリックの姿だった。
「──……さっきから好き勝手言いやがってぇぇぇぇ!」
刹那、怒号と緊張が場を貫いた。
ミリアが慌てて目を向けた先、振り上げられた大きな腕。迫りくる怒りと衝撃。
「────わッ……!?」
(────殴られる!)
走り抜ける危機感。反射的に守る頭。
瞬時に覚悟した痛みに耐えうるべく、ミリアは全身を固めて”瞬間”を待ったが────訪れたのは、奇妙な静寂だった。
「…………?」
何も起らない違和感に、ミリアがそろりとそろりと目を上げた先。
視界いっぱいに飛び込んできたのは、振り下ろした腕をしっかりと握りしめる、エリックの姿。
「──………言ったはずだ。『同意のうえで』と。……どうして彼女の方に手が出た? 言ってみろ」
「……こっ、……てめっ、この……っ!」
「──……ノースブルク諸侯同盟・オリオン領・条例・第18条5項。”力弱きものに暴力を振るってはならない”……。お前のような
先ほどとは比べ物にならないエリックの剣幕に、ミリアがこくんと喉を鳴らす中。驚き恐れを放つモブナンパとエリックの空気は張りつめていく。
「……な、なんだ、おまえ……!?」
「………俺のことはどうでもいい。……街から出ていけ。貴様のようなクズは、この街に必要ない」
「……っうっるせぇんだよっ、なんだお前さっきからっ、シャシャリ出てきて人をコケにしやがってっ、馬鹿にしてんじゃねえよっ!このッ!!若造がああああああ!」
怒声とともにナンパ男が強引に腕を振り下そうとした瞬間!
流れるように脇を抜けて、その腕をぐりんとひねり上げた!
「……いでだだだだっ!」
「────まだ続けるか?」
────どすっ!
「グっ……!!?」
「────それとも……この腕……、このまま圧し折ってみせようか」
屑の呻き声など塵にも満たない。
冷ややかな殺意も込めて、囁き・流し込むは冷徹な怒り。
「────……覚えておくんだな? この街で暴れた奴がどんな末路を辿るのか」
ようやく姿を見せ始めた巡視の兵士を視界の隅に、トドメの一言を流し込んだのであった。
★
「………………、はあ……」
彼は、辟易としていた。
ノースブルク諸侯同盟・西の端・ウエストエッジのとある一画。
げんなりとした表情でうなじをガリガリと掻くこの男。
今の名を『エリック・マーティン』。この物語の男主人公だ。
彼は内省の最中にあった。
『騒ぎ立てるな』と言っておいて、結果騒ぎのど真ん中。
自己嫌悪というか、調子が狂うというか。
いつもはこうじゃない。
もっと穏便に・かつスマートにことを運べていたのに。
『どうして穏便に済ませられなかったのか』と、胸元をパタパタと煽りながら考えるエリックの中。即座に『彼女が”ああ”だったからじゃないか?』なんて答えがちらつく、その隣で。
「…………は、はぁ~~~~~~…………っ」
身体中の詰まっていた息を全て吐き出す勢いで、濃いブラウンの髪の女──ミリア・リリ・マキシマムの、安堵の息がそこに響いた。
その、堰を切ったように流れ出た声に、エリックが思わず視線を向ければ、絡まれていた彼女は驚きとドキドキが混じったような顔でこちらを見詰めている。
「おにーさん、迫力すっごいね、息飲んじゃった」
言う彼女の、その容姿。
胸まで伸びたダークブラウンの髪。
はちみつ色の瞳も柔らかく、纏うその服『まちむすめ仕様』。
サイズ感は『一般の成人女性』。
特別小さくも、大きくもない。
『普通の体つき』である。
首に下げている皮の紐の先についているのは、おそらくネックレスのチャームなのだろうが、今は服の中に仕舞われていて見ることができない。
見た目だけ印象は『おとなしそで大人っぽい』。
穏やかで、ふんわりとした雰囲気の女性──なのだが。
この女、靴をぶん投げるのである。
大人しそうなんて印象は微塵もなかった。
改めて、助けた女の身なり格好を一瞥するエリックの前。
彼女は、自分のしていた行為には何も触れず、誤魔化すように『えへらっ』と笑うではないか。
ぴくんと跳ね上げる眉。
(……『息飲んじゃった』じゃないんだけど?)
「…………”凄いね”じゃないだろ? 君があんな風に煽らなけらば、」
「──そう。それは、そうだと実感した。あれは良くない。よくないぞ自分…………も少しうまい切り抜け方を覚えようと思う〜」
『この跳ね返り女に説教を』と、まずはジャブ程度に発した言葉を、みなまで言わせず。
真面目な顔で数回頷いて、腕を組み、右手で口元を隠しながら、ぽつぽつと独り言のように呟きはじめるミリア。
その『まるで情報を整理するかのような』『どこかを見つめてうんうんと頷く様子』と『切り替えの速さ』に、一瞬戸惑うエリックだが、
「……本当に、わかってるのか?」
念を押して、問いかける。
「わかってますとも、よろしくなかった」
しかし彼女は間髪入れず頷き、至極まじめな顔つきで答えるのだ。
「………………」
その切り返しに、エリックは、喉の奥で小さく唸った。
……エリックもかなり頭の回転が早い方なのだが、どうも彼女の切り替わりについていけない。
動揺に包まれるエリックをほっといて、今も彼女は、うんうんと頷き自身の考えを整理している様子。
『マイペース』・『自分軸』を絵にかいたような印象も受けるが、しかし『頑固者』というほどの強さも感じない。
(……随分とおかしな女だ)と眉間を寄せるエリックの前、彼女は『くわ!』と顔を上げると、
「────でも! まあとりあえず!」
────パンッ!
「…………助かった~! ありがとう!」
明るい声で微笑むミリア。
その笑顔や仕草が醸し出す雰囲気は、やはり、先程ぎゃーぎゃーと煩かった女性と同一人物のものだとは思えない。
はきはきとしながらも穏やかな声色で、贈られる『ありがとう』のしぐさ。
両手は重ね、胸に当て、まっすぐと相手を見る。この国の『感謝の印』だ。
そんな”まっすぐ”に充てられて、エリックは素早く目を反らし、「……ああ、いや」。間に合わせの相槌でごまかしていた。
なんというか『肩透かし』だ。
…………今だって、てっきり、言い返してくるかと思ったがそうでもない。
『当たり前だし! 早く助けなさいよ!』と言うかとも思ったが、それも違った。
予想ができない動きに戸惑うエリックをよそにミリアは、『はっ!』っと何かに気づいたように目を丸くしてその場に座り込むと、流れるように散乱した荷物に手を伸ばし──
「あああああ、荷物が……!もー、人のもん落としたなら拾ってってよ、もぉ~~~!!」
────『超大きな独り言』とともに、散らばった道具を拾い出す。
その手元に転がる・分厚く巻かれた布、芯に巻かれた色とりどりの糸、細かく散らばったボタンに、鉄製の平たく丸い入れ物。
騒ぎで破れた紙袋はあきらめて、持っていた麻袋にぎゅうぎゅう詰め込むミリアの元から、コロコロと。鉄ごしらえの平たく丸い入れ物が転がり、石畳の上を行く。
────それがコツン……と小さく、彼の靴のつま先を打った時。
エリックは、手を伸ばして拾い上げていた。
「…………なあ、これ、君のだろ?」
「…………あ! うん、それ『糊』! ありがと〜!」
渡す彼に、勢いよく振り向き『糊』のケースを手に取るミリアは、笑顔で『あぁよかった、これも高いんだよね~、なくしたらショックだった~』など言いつつ、両手でそれを包み込んでいる。
そんな切り替えの速さに
(────……さっきあんな思いをしたのに、随分肝の据わった女だな……)
無意識の内に呟いていた。
見守る彼女はご機嫌で、先ほどの騒ぎを気にもしていないように取れたのである。
そして、『なんとなく』。
エリックも自然とそこにしゃがんで、散らばったものに手を伸ばし、
(──ボタン・布、針……これは、フリル? いや、リボンか?)
一つ一つ、確認・観察しながら拾う。
針、ボタン。布の厚み。
趣味の範囲だと言えばそうなのかもしれないが、それにしても数が多い。
(…………ということは、縫製店勤め……なのか? ──てっきり食堂とか魚屋の娘かと思ったんだけど。……たしかに、指先が
声には出さずに様子を窺う彼の瞳が──彼女の指を捉えて、止まった。
────その指。
プルプル。
ぷるぷる。
小刻みに、微振動。
(…………へえ…………?)
そのさまに、すぅーっと引く顎・細める目。
右のてのひら・隠す口元・頬杖で。
張り付く笑顔に──声をかける。
「………………君。あれだけ威勢良く返していたのに、やっぱり怖かったんだ?」
「…………ゥ」
かけた声に、落ちる、
ぴくっと震えて、固まる彼女、から、ぎこちなく、返ってくる、視線。
「…………イ、やッ。こわく、なイよ?」
(………………ふうん?)
『カク』っと笑うミリアに、エリックは目を細め、緩みそうになる頬に力を入れた。
──これほど分かりやすい強がりは、見たことがない。
……こういう態度に当たると、つい突きたくなるのが、人のサガである。
彼は、それを気とられぬよう、興味のなさそうな目つきで視線を促し、意地悪を滲ませ問いかける。
「…………手。震えているようだけど、それは?」
「────こッ。」
ぷるぷる震える指を、指摘。しかし。
「これハ────、そのっ、………『キノセイ』、じゃないっ?」
「────ふぅん? 『キノセイ』なんだ? そうかあ。君は俺の目も『木の精』にやられてしまったと言いたいのか?」
「そぉそぉそぉ! それそれそれ! キノセイさんもさー、やってくれるよねー? ヒッ、人の体を、こうして、さっ?」
(………………へえ?)
突っ込み待ちか、それとも天然か。
湧き出る意地悪を内に黙って見る彼の前。彼女は今も、ひっくり返った声で
『──ま、まあ? 若干嫌な感じで今も心臓どきどきしてるけど、怖かったわけじゃないし! 死ぬかもって思ったけど生きてるし! 怖くないし!』と、
言い聞かせるように一人でしゃべくりまくっている。
「…………」
(──…………なんだろうな、この……)
「だいじょぶだいじょぶ、いける行ける。いける。──行けますっ!」
…………………………『この』。
「────よしっ! 行くっ!」
…………『この』。
「────セイッ ヤッ! ……ってああああああああっ!?」
「………………ほら、行くぞ」
『ほっとけない』感じ。
ぱんぱんに膨れ上がった麻袋に、さらに物を詰め込んで。
彼女が荷物を持ち上げたようとした瞬間、エリックは素早くさらって持ち上げた。
呆れた口からこぼすのは、短くもキレのあるため息、すたすたと地面を踏みしめ歩く足。そして彼は肩越しに言葉を投げる。
「……ほら。これ、どこに運んだらいいんだよ? 君の家? それとも職場?」
「ちょま……!」
畳みかけるように問うエリックにしかしミリアは慌てて首を振る。
「いや、いやまって! いいってそんな! いいから! 申し訳ない!」
「…………はいはい。……ほら、場所。こっちでいいのか? 早く教えてくれないと、時間がもったいないんだけど? ────ああ……、それとも」
届きもしない荷物を取り返そうと、まわりをちょこまかと動き回る彼女に、エリックは呆れた瞳にからかいを乗せ、意地の悪い笑みで聞く。
「…………いっそ、少し休もうか……? 君の震えが止まるまで」
「────結構ですっ!」
その、あからさまなおちょくりにキッパリはっきりとした『NO!』が通りに響いた。
※
ミリアは、へこんでいた。
「……どうしたんだよ、さっきから黙って」
「…………いや…………なんて言うか、反省だよねって思って……」