――地上へと到着し、開いた扉から外に出て、岩の入り口をくぐる。
そうして四人が外に出ると、そこには彩の姿があった。
「彩様……」
透理が歩み寄ると、彩がまじまじと透理を見た。その表情は、感情の見えない無表情だったが、今の透理には分かる。そこには安堵の色がある。
「よく戻ったな。エレベーターが到着する知らせを受けて、待っていたんだ」
箱の方向に視線を向けて彩が言う。
頷いてから、透理は率直に切り出すことにした。
「彩様。ギオン様はやはり俺の父で、勾玉も受け取ってくれた」
「そうか」
「それと――雪童の民が人になる方法を聞いてきた。お前は、人間になりたいとは思わないか?」
真っ直ぐに彩を見て、透理が言う。すると驚いたように彩が息を呑んだ。
しかし沈黙し、何も言わない。
――父上の言った通り、余計なお世話だったのだろうか?
透理は戸惑った。これこそが、自分の思った恩返しだったけれど、違ったのかもしれないと不安になる。
「……歩きながら答える」
するとぽつりと彩が述べ、歩きはじめた。ハッとして、透理は慌てて追いかけて隣に並ぶ。昭唯は嘉唯と三春の速度に合わせて、少し後ろを歩いている。
「俺は……正直、人間になって、自由になってみたい。だが、何をしたらよいのか分からないんだ」
平坦な声音だが、彩の言葉には困ったような気配があった。
それを聞いて、透理は一度息を吐いてから、しっかりと伝える。
「俺も少し前まで同じ気持ちだった。だけど今は違う。すぐに見つかる。見つける協力を俺は惜しまない。お前を解放し、お前の助けになること、それが俺の見つけた恩返しだったんだ」
すると彩が透理に顔を向けた。
「そうか。透理がそう言うのなら、大丈夫かもしれないな。ならば、なりたい。俺はなりたい、人間に」
しっかりと彩が頷いて断言したので、透理もまた頷き返す。
「耳飾りを外すだけだと聞いた」
「だがこれは、ギオン様の許しを得た者でなければ、外せない」
その時やっと、かけられた言葉にこもっていた力の意味を、透理は理解した気がした。なんらかの音の力を与えられたのだろう。
「俺が許しを得てきた。外させてくれ」
「あ、ああ……」
彩が立ち止まる。少し屈んで、透理はその耳に触れた。そして丸い耳飾りをまじまじと見る。光り輝く小さな翡翠色の耳飾り。それをゆっくりと外す。
すると彩がハッとしたように息を呑み、目を丸くした。
「俺は……きちんと人間になったのだな。視界が鮮明になった。これまでは、ぼやけていたのだが……よく見えるし、よく聞こえる。匂いもする。あ、触感もある」
透理の腕を、掌で彩がペタペタと叩いた。
「今までは無かったのか?」
「あることはあったが、より鮮明になったと言うことだ。これが、そうか。人間なんだな。全てが、世界が、美しく見える」
空を仰いだ彩は、舞い落ちてくる雪を愛おしそうに見ている。
それが絹のような髪に触れる。綿雪を、透理は払ってあげた。
嬉しそうな彩を見ていたら、透理の胸が温かくなる。彩の瞳が潤んでいく。嬉しそうな顔をして、涙を零す彩の姿は綺麗だった。
「よかったですね」
そこへ昭唯が声を挟んだ。
このようにして一同は、雪に足跡をつけながら、社に戻ったのである。
四人が社の中に入ると、中にいた全員が顔を向け、笑顔になった。何人も、濡卑も村人も関係なしに、駆け寄ってくる。
「頭領!」
「昭唯様!」
「嘉唯、心配したんだぞ」
「三春様がいなくなっちゃった時の心細さと言ったら!」
歓迎され、様々な温かい声をかけられる。胸が満ち溢れてきた透理は、いくらでも明るい音を紡げるような心地になった。掌が自然と熱くなってきたが、握って誤魔化す。
「よく戻ったな!」
そこへ孝史が歩み寄ってくる。そしてバシバシと透理の肩を叩き、次に昭唯の肩を叩いた。
「今夜は宴だ!」
送り出される前夜と同じ状態になった。皆が、料理や酒を用意する。
座らされた四人。孝史は、透理と昭唯の間に座り、それぞれの酒盃に透明な酒を注ぐ。そして豪快に笑った。
「で? 恩返しは出来たのか?」
「ああ」
輪の中に混じっている彩を一瞥し、柔らかな表情で透理が頷く。
「そうか。よかったな」
孝史の声に、素直に透理が頷く。それからふと思い立って、透理は立ち上がり、彩の横に座った。彩が視線を向けると、透理が微笑する。
「ギオンが言っていたことがあった。人になったら、此処で暮らすものでもいいし、日高見国に行ってもいいと」
それを聞くと、輪の中にいる一同を見渡し、彩が小さな声で言った。
「俺も、ここにいてもいいのか?」
「当然だろう。大歓迎だ、彩様」
「彩でいい」
「――彩。ここを選んでくれるのなら、俺達は歓迎するよ」
昔だったら濡卑の一座に迎えるだなんて言葉は、決して出てはこなかっただろう。だが、今は違う。その契機をくれたのは、紛れもなくここにいる彩も含めた全員だ。
「ならば……俺はここにいたい」
彩が芯のある声を出した。透理は真っ直ぐに彩を見て、その言葉を受け止める。
そして立ち上がると声を出した。
「今日から、彩も此処で暮らす」
「おお、いいな!」
孝史がすぐに明るい声を上げる。それは全員に広がっていく。
透理が隣に座っている彩を見ると、彩はどこか照れくさそうに口元を綻ばせていた。
それを見て、ふと思い出して、透理は座り直して尋ねた。
「ところであの勾玉はなんだったんだ?」
すると彩が温かな目をした。
「この山に四季を戻して欲しいという嘆願書だ。お前達がずっとここにいるならば、過ごしやすい方がよいと思った」
それを、いつの間にか彩を挟んでその隣に座っていた昭唯が、聞きとめた様子で声を挟む。
「氷の棺はどうなさるのですか? 融けてしまうのでは?」
「あれは融けないように出来ている。俺の次の管理者が目覚めたら、また適切に管理するだろう。それまでは、寿命の限りは俺が見守る。これでも墓守だからな」
彩が首を振る。それから彩は、窓の外を見た。
「山の外の次の冬が終わった時、この花刹山にも春が来る。ギオン様に受け取ってもらえたのは、受理してもらえたと言うことだ」
そのよく通る声を聞いていた人々が声を上げた。
「じゃあ畑が作れるな!」
「山菜も採れる!」
歓喜の声が溢れていく。
それを見守ってから、孝史が手を叩き、人々の視線を集めた。
「ここに新しい村を作ろう。雛原村と濡卑の一座の村だ。村長は決まってるな。透理、お前がやってくれるよな?」
まるで当然のことであるように、孝史が言った。
ぽかんとして、透理は目を見開く。戸惑いが襲いかかってくる。
すると昭唯が彩の後ろから腕を伸ばし、ポンと透理の肩を叩いた。
「宜しくお願いします、新村長」
明るい声で昭唯が言った。すると孝史が拍手し、それは一同に広がった。
それに狼狽えてから、ギュッと透理は拳を握る。
そして昭唯に顔を向けた。目が合う。
「勿論手伝ってくれるんだろうな?」
「当たり前です。森羅寺も再建しなければなりませんし」
このようにして、帰還した日の夜は更けていった。