――透理が引き返すと、リオンが凍りついたように昭唯を凝視していた。
「昭唯?」
透理が声をかけると、二人が透理に気がついた。
恐怖が滲むリオンの瞳は、明らかに透理に助けを求めるそれだった。
首を傾げつつ、透理は昭唯に歩み寄る。
「昭唯……一体どういう状況だ?」
「え? 別に。私が勝利しただけですが?」
「そ、そうか。それより父上と話がついた。あちらに……嘉唯と三春もいるそうだ」
「はい? 何故嘉唯達が?」
「また俺達を追いかけてきたらしい。急ごう。あ……リオン。お前も行こう……な?」
リオンに視線を向け、透理は曖昧な笑みを浮かべて見せた。
するとリオンが唇を震わせた。
「……、……あの、ご一緒しても……?」
先程までの強気な様子が嘘のような態度に、透理は恐る恐る昭唯を見る。
「昭唯、何をしたんだ……?」
「殺したりはしていませんが? 見ての通りです」
「なんだか死んだ方がマシな目に遭ったような顔をしているが……」
困惑しながら二人を交互に見て透理が言う。
しかし微笑している昭唯は首を傾げている。
「そうですか? 最初からこんな感じだったような?」
「そ、そうか。そうかもしれないな。お前がそう思うんならそうだろう」
透理は深く追求しないことに決め、リオンに歩み寄った。
「大丈夫か……?」
先程まで戦っていた相手にかける言葉としては、不適切だったかもしれないと、透理は考える。するとリオンが涙ぐんだ。
「こ、腰が抜けて立てない……」
「……俺が背負う」
透理はリオンに手を差しだした。そして抱き起こし、背負う。
そして昭唯の隣に並んだ。
「行きましょうか」
「ああ」
二人で歩きはじめる。背負われているリオンは沈黙している。
それから先程ギオンと対峙した部屋を抜け、隣室に向かう。
扉は開いていて、中には丸い卓があり白い布がかけられていた。
そこに穏やかな笑みを浮かべているギオンと、見た事の無い菓子を食べている嘉唯と三春の姿があった。二人とも満面の笑みを浮かべている。
「あっ! お師匠様!!」
「嘉唯……あれほど待っているようにと言いつけたでしょう。あとで説教です」
「だ、だって心配だったんだよ!」
嘉唯の大きな声に、はぁと昭唯が息を吐いている。
それから昭唯が、ギオンを一瞥したのが透理には見えた。
「座っても?」
「ああ」
昭唯は空いている嘉唯の隣に座る。嘉唯の逆隣には三春が座っている。その横に透理は歩み寄り、一つ空けてリオンを座らせ、己は三春とリオンの隣に座った。
「透理」
「は、はい」
透理が顔を上げると、瞬きをしてから、穏やかな声音でギオンが言う。
「雪童の解放方法は、ピアスを外すことだ」
「ピアス?」
聞き慣れない単語だった。
「耳飾りだ」
続いて響いたギオンの声に、そういえば彩は右耳に、翡翠色の耳飾りをしていたと透理は思い出した。頷いた透理を見ると、急須のような陶器から茶色いものを白い持ち手がある器に注ぎながら、ギオンが続ける。
「ただし、その彩という者が、本当に解放を望むかは分からない。たとえば静子がこちらへ来るのを拒否したのと同じことだ」
「……聞いてみる。彩の好きなようにしてもらう」
「それがいい。ピアス――耳飾りを外せば、雪童の民は真の人となる。こちらで暮らすもよし、地上に残るもよし。『透理には』『伝え』、『外す事』を許す」
伝え話す事という言葉と、己の名前に、なにか力が込められていたのを、透理は感じた。
だがそれがなんなのかは、上手く理解できない。だから、ただ頷いた。
「分かりました」
すると大きく頷き返してから、ギオンは続いてリオンへと視線を向けた。
「して、リオン。次期ギオンとなる者であるにも関わらず、些細なことでこのように大規模な喧嘩をするとは、どういうつもりだ?」
透理は、横でリオンが俯いたのを見た。唇を噛んでから、リオンはか細い声を出す。
「……俺がギオンとなって、本当に良いのでしょうか? 兄上がいるのに。隠力色が……俺は違うから……」
それを聞いたギオンは呆れたような顔をした。
「ギオンを誰にするかは当代が、即ち私が決めることだ。リオン、項垂れていないで、もっと前を向くように。そしてお前も、優しい音の一つも奏でてみるがよい。お前の音は、いつも暗いものばかりだ。友達を作って、青春を謳歌してはどうだ?」
「……」
リオンが沈黙した。泣きそうになって震えている姿を見て、透理が言葉を探す。
その時だった。
「俺達友達だよな?」
嘉唯が不思議そうに声を出した。
「あんなにたくさん話したんだ。もう友達だろ?」
「え?」
顔を上げたリオンが虚を突かれたように嘉唯を見ている。
「僕と君も、血は繋がってないけど、兄弟みたいなものだし、僕とも仲良くして」
すると三春が微笑してそう述べた。
続いて三春を見たリオンは目を丸くしている。
――それから、頬を染めて、耳まで真っ赤になったリオンが俯いた。
「青春ですね」
にこやかに昭唯が言った。するとリオンがあからさまにビクリとした。
――本当に、何をしたのだろうかと、ちらっと透理は昭唯を見てしまう。だが昭唯は微笑んでいるだけだ。一体、なにがあったのだろう。状況がさっぱり分からないと透理は考えた。
だがそれはもう終わってしまったことだと思い直し、透理は横に座るリオンを見た。そしてそっとその肩に触れる。
「俺も出来ることがあればする」
すると目が合った。リオンは僅かに瞳を揺らした後、小さく頷いた。
それを見て取り、透理は柔和に笑う。
その後、昭唯を見た。ほぼ同時に昭唯もまた透理を見た。二人は視線を合わせてそれぞれ小さく頷く。同じ考えだと分かる。
二人はそれから揃ってギオンを見た。
「父上、俺達はそろそろ帰ります」
「お邪魔致しました」
それを聞いたギオンは穏やかな声で答える。
「いつでもまた遊びに来るがよい。歓迎しよう。それと、勾玉はしかと受け取ったと伝えるがよい。それと透理。この巾着と硝子玉は、お前に持っていて欲しい。そしてまた、私に見せに来てくれ」
「分かりました。ありがとうございます、父上」
透理のその声が響き終わった時、昭唯が立ち上がる。それを見て嘉唯と三春も立ち上がった。透理もゆっくりと椅子から立ち上がる。透理は巾着袋をギオンから受け取る。
「リオンよ、見送りに立て」
「は、はい!」
腰は大丈夫なのだろうかと、透理は不安に思ったが、緊張がとけて治ったのか、リオンは無事に立ち上がった。こうして透理達は、ギオンに一礼してから、部屋を出た。そして壊れている壁がある部屋を通り抜け、開け放たれている襖の道を通り抜ける。
玄関へと向かい、石段を降りて外に出た。
すると美しい桜が舞っていた。けぶる薄紅色の花を眺めながら、四人とリオンは御所を出る。そして通りを歩きながら、『エレベーター』というらしき箱がある丘を目指した。
歩きながら、昭唯が笑顔でリオンを見たのを、透理は眺めていた。
「リオン。地上に遊びに来てくれるのも歓迎ですよ」
すると先導するように歩いていたリオンが、目に見えてビクリとしたのが、透理には分かった。
「あ、いつでも来いよ!」
「僕も待ってるよ」
しかし嘉唯と三春は気づかなかったようで、明るい声を上げている。
リオンは首だけで振り返り、歩きながら小声で言う。
「……昭唯がいない時に行く。兄上とも色々話したいしな」
「おや? 私と透理は大体一緒にいるので、必然的に私もいますが?」
「く、空気を読んで、兄弟水入らずの時くらい席を外せ!!」
少しだけ元の勢いがリオンに戻ってきたなと感じ、透理は微笑した。
――そのようにして丘に到着し、四人はエレベーターに乗り込む。そして三春と嘉唯が手を振った。
「またな!」
「またね!」
二人の明るい声に、再び赤くなってから、小さくリオンが手を振り返す。
「ああ。ま、またな……」
その表情は、嬉しそうだった。
「行きますよ」
「リオン、本当にいつでも来てくれ」
透理がそう声をかけると、エレベーターの扉が閉まり始めた。
「ああ、分かった。そうする、兄上」
頷いたリオンを見ながら、上昇を始めたエレベーターの感覚に、一同は息を詰める。
だがすぐに慣れて、下に小さく見えるリオンを見た後、太陽が燦々と輝き、美しい桜が舞う日高見国を眺めた。
「来てよかったですね」
昭唯が透理にだけ聞こえる声量で伝える。
「ああ。お前のおかげで、俺はまた一つ乗り越えることが出来た気がする」
「私のおかげではなく、貴方自身の実力でしょう」
そんなやりとりをして、透理は昭唯と視線を合わせてから、吐息に笑みをのせた。そうして箱の周囲が来た時と同じように暗くなり、闇の中を進むようになった。