今度は二人は斜め後方にそれぞれ飛び退いて、リオンの放つ衝撃波を避けた。
続けざまに、リオンは攻撃を放つ。
その度に、金色の鱗粉が舞っている。キラキラとした金の粉が、リオンの周囲に待っている。幻想的だが、危険な攻撃だ。これは、未知の力だ。眉間に皺を刻んだ透理は、狐面を正面に回す。本気を出す時、透理はいつもそうしている。全力を出さなければ、決して勝てない戦いになるという確信があった。
透理が畳を蹴る。
瞬間、透理が消えたように、昭唯とリオンには見えた。
天井間際まで一瞬で飛び上がった透理は、即座にリオンの背後に降りると、後ろから手を回し、リオンの喉元にくないを突きつけようとした。
「なっ」
だが、その瞬間、鱗粉が待っている宙が渦を巻くように歪み、くないもまた歪んで見えた。動作を強制的に緩慢にされた感覚だった。片眉を顰めた透理に対し、ゆっくりと振り返ったリオンは、無表情だった。そして閉じた鉄扇の先を透理の喉元に真っ直ぐに突きつける。バシンと音がした。リオンが鉄扇を開いた瞬間、透理は全身で衝撃波を受けて、後ろの白い壁に背中からたたきつけられた。
――轟音がしたのは、その時だった。
よろめきつつ体勢を立て直した透理は、それからすぐ、隣をゆっくりと見て、唖然とした。リオンも呆然とした様子で、それから昭唯の存在を初めて認識したように顔を向ける。そこには錫杖を突き出している昭唯がいて、その先の壁に丸く穴が開いていた。たらりとリオンの左頬に切り傷が出来ており、血が滴っていく。驚いたように、リオンがそこに触れている。
瓦解した壁からは、ポロポロと木片と瓦礫が落ちてきて、砂埃が、外へと風で流れていく。穴からは、日高見の街がよく見える。
「実は強力すぎて、普段はきちんとは使えなくて。透理、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」
動揺しつつも、透理は頷いた。すると焦ったように昭唯が言葉を続ける。
「使うと殺し……壊してしまうので、た、建物を!」
「……」
「……」
ぽかんとしている透理とリオンの目の形はそっくりである。沈黙の仕方までうり二つだ。
「ま、まぁ、その……兄弟喧嘩に口を出すのも野暮ですが、ここは私が引き受けましょう。透理、貴方の目的は、お父上に会うことでしょう? 行きなさい」
明るい声で昭唯が述べたのを、透理は聞いた。
「なっ、通すわけが――っく」
するとリオンが声を上げようとしたのだ、昭唯が錫杖を薙ぐように動かした瞬間、リオンの周囲の鱗粉が霧散し、放たれた陽力の塊をまともに身に受けて、リオンが壁にたたきつけられた。唖然として、隣で崩れ落ちたリオンを透理は一瞥する。それから透理は、昭唯に向きなおった。
「昭唯」
「なんです?」
「死ぬなよ」
「ええ」
「それと」
「分かってますよ。貴方の弟を殺めたりはしません、御仏に誓って」
「……そうだな」
透理が頷くと、心得たという表情で笑った昭唯が、錫杖を握り直し、リオンを見る。
リオンがゆっくりと立ち上がろうとしていた。
透理はそこ生まれている隙を逃さず、畳を蹴って、右へと曲がり、そこにあった木造の豪奢な扉を押し開く。ギギギと音がして開いた扉。透理はその中に飛び込んだ。
◆◇◆
――ダン、と。
そんな音がして、長い足が壁を踏んでいる。真横にあるリオンの顔。彼は血の気の引いた顔で、その場にペタンと座り込んでいる。足を顔の横にたたきつけた昭唯は口元には弧を貼り付けているが、その瞳に宿る光は冷酷だ。右手に握る錫杖を畳につけば、しゃららんと音がする。足から離れた位置に開いた穴からは、風が流れ込んだり出ていったりしている。勝敗は、一瞬で決まった。
リオンの隠力は強力であり、指数も高く最高値に近い。
だが、昭唯の陽力はそれを遙かに凌駕している。それが理由である高貴なお血筋に生まれた嘉唯が生まれつき陽力が強かったため、弟子入りすることになったという経緯がある。
破門されはしたが、羅象山は昭唯に考え直すようにと陽力で連絡を取ってくる。それは今なお変わらない。濡卑に関わらず、嘉唯を連れて戻るようにと繰り返している。そんなものは、お断りであると、昭唯は考えている。
そう感じさせたのは、透理が出会ったときに見せていた一見何も映していない暗い瞳に、僅かに諦観するような、悲愴が宿るような、そんな色を見て取った事が鮮烈に脳裏に焼き付いているからだ。隣にいて、少しずつ光を取り戻していく姿を見ているのは、とても快い。そこに生まれた愛が、育っていくのも嬉しくてたまらない。
そしてその愛をまだ、きちんとは聞いていない。フラれる未来を、根が前向きな昭唯は想像したくなかったし、その場合は、何処までも追いかけるだけだと決意している。
――そんな自分達の関係を邪魔する者は、何人たりとも許容できない。
「リオン、たとえば貴方がこれ以上、透理を害するというのなら」
錫杖を床につき直して、首を傾け顎を持ち上げた昭唯は、残忍な笑みを浮かべる。
「貴方は自滅した。そう伝えることになります。どうします? 死にますか?」
「っ」
「子供を手にかけるのは、気が引けるのですが」
昭唯の声に、ビクリとしてから、両腕で体を抱き、リオンがガクガクと震え始める。ガチガチと歯が鳴っている。
リオンはこれまで、己より強い人間を、父しか知らなかった。
初めての敗北であり、命の危機を、実感を伴って感じている。
「俺、は……」
「なんです?」
「っ……だって、だって! なんでなんだ、何故あいつが……あいつは……俺のはずなのに。俺が父上の子のはずなのに」
「それは分かりません。ですが、『だって』はないのです。真実を、現実を直視しなさい」
「!」
「貴方は、辛い辛いとそればかりですね。笑ってしまいます」
「お前に何が分かる!」
リオンが涙の浮かぶ目で、昭唯を睨み付ける。
「何も分かりません。一切共感できない。辛さは比較できるものではありませんが、リオン、貴方は逆に透理の辛さを慮ったことがあるのですか?」
「……え?」
「透理の苦しみを何も知らず、自分だけが被害者ぶるのは、そして癇癪を起こすのは、ただの子供です。一時でも貴方を大人だと思った自分が私は嘆かわしくてたまらない」
わざとらしく昭唯は溜息をついた。
昭唯は足を壁につきなおす。するとまた、リオンがビクリとした。壁にはひびが入っている。足にも陽力がこもっているからだ。最早、リオンは凍りつき、言葉が出てこなくなってしまった様子で、唇を震わせている。昭唯から放たれているのは、紛れもなく殺気だった。
――ああ、透理は無事に父親と会えたのでしょうか?
――透理は無事に、生きて戻ってくるのでしょうか?
父親が、素直に透理と会話をするのかしないのか、それすらも予想できないなと昭唯は考える。改めてリオンを見て、唇の片端を持ち上げて昭唯は嗤う。
「さて、もう少し、お仕置きをしましょうか」
「っ」
「おいたが過ぎましたね」
昭唯は内心で透理の無事を祈りながら、錫杖をリオンに突きつけた。