「きっと彼が殿上人なのでしょうね」
「だろうな。下に降りて、複数あると言うし、俺達の分と……念のため、三春達の分で四枚手に入れよう」
透理はそういうと排気口の格子を外し、下へと降りて床に着地した。一切音がしなかった。続いて降りた昭唯だが、錫杖がしゃらんと音を立てたものだから、透理は焦った。昭唯はばつが悪そうな顔をしていた。
しかし声を出している場合ではないので、静かに透理が抽斗へと歩み寄る。
そして忍術で鍵を開けた。特殊な針金をいつも持っているのである。
それを鍵の形に変化させることが出来る。手に力を込めると、自在に変化する。変化させることが出来るようになるまでは、幼き日幾度も練習したものだ。全く上手くいかなくて、その頃はまだ腐肉の浸食が軽かった養父に何度も教わった。
「開いた」
声を潜めてそう述べて、鍵の回る音を聞いてすぐ、透理は抽斗を開けた。
それから慎重に透明な板を四つ手に取る。それらは無数の束になっていたので、確かに何人が求めてきても困らないだろうし――四枚くらい消えても気づかれないだろうと判断する。透理は、【交通手形】を懐にしまった。
「っ、うわ」
その時昭唯が声を上げた。驚いて透理は振り返りながら抽斗を閉める。そして無意識に手を後ろにまわして鍵を閉めた直後、昭唯の右足に絡みついている光り輝く糸のようなものを目視した。
「!」
昭唯の右足の下に丸い妖陣が出現しており、そこから伸びてきた光糸が、昭唯の足首からふくらはぎにまで絡みついている。直後、部屋中に丸い妖陣が出現した。透理の下にも出たので、慌てて飛び退き、昭唯のそばの、何も無い床に降り立つ。
「これ、は……」
「妖陣だ。侵入者を捉えるための罠に使う種類のものだ……ッ、すぐに解術する」
透理は唾液を嚥下してからしゃがむ。そして光糸に触れながら、絡まった糸を解くように、一つ一つ外し始める。だが無数の光糸が絡みついているため、中々上手くいかない。透理はくないで妖陣の上にある昭唯の足の周囲に五つの穴を開ける。するとそれは六芒星に変化する。直後新たな光糸は出なくなった。だが既に出現していた糸は昭唯の足を絡め取っている。
「っく」
奥歯を噛みしめ、必死に透理が慎重な作業を始める。
丁度、その時だった。外から笑い声が響いてきた。
『いやぁ、貴方様のご友人なら、【交通手形】を渡すのは大歓迎ですなぁ』
先程の男の声だった。大声であるからよく聞こえる。
数名の客人と一緒らしく、会話する声は、どんどんこの部屋へと近づいてくる。
それを理解した様子で、険しい顔をした昭唯を、透理は見た。
「透理、お逃げなさい。貴方だけでも。貴方には目的がある。私は一人でもどうにか切り抜けます。口先だけは得意なので、なんとかします」
「黙っていろ」
しかし透理には待避する気配はなく、素早く手を動かしている。必死な様子だ。
その姿に、唇を噛み、昭唯は胸の苦しさを抑えながら、声を潜めつつも強い口調で続ける。
「早く、逃げるのです。透理、貴方はお父様に会うのではなかったのですか!?」
「煩い!」
「三春はどうするのですか!?」
「……」
「嘉唯のことをお願いできるのは、貴方だけなんです!!」
強い語調で昭唯が言う。しかし透理は何も言わない。
――もう少し。
――あと少し。
だが、足音が扉の前で止まった気配がした。硬直しそうになる体を、透理が叱咤し、手を動かし続ける。
「透理……!」
扉の取っ手が捻られる音がした。
直前で、透理は解術に成功し、結果部屋中の罠も消失した。
無理に昭唯の手首を取って、透理は天井裏に逃れる。
そのすぐ後、扉が床に擦れて高い音がした。間一髪だった。
「いやぁ、本当にリオン様のご友人に【交通手形】をお渡しできるなんて誉れですな」
肥えた男が丸い鼻を指で擦っている。
その姿を排気口の合間から、透理は汗をダラダラかいた状態で見ていた。その後ろで背中を合わせてよりかかり、上がった息を抑えるように昭唯が両手で口を覆っているのが分かった。背中合わせに互いの温度を感じながら、透理は速い動悸を抑えようとしていた。
じっと睨み付けるように、透理は下を窺っている。するとリオンが床をチラリと見たのが分かった。透理がクナイで傷をつけた場所だ。汗がこめかみを伝い、顎から垂れそうになったので、透理は手で拭う。緊張と動揺からかいている汗だ。
「……」
その時、実に何気ない様子で、リオンが排気口を見上げた。直前で仰け反って透理は己の体を隠したが、下の気配を窺えばリオンがこちらを見ているのは明らかだった。視線の動きでさえも感知できるのが忍びだ。
だがリオンは無言のまま、今度は微笑をした様子で、会話の輪に加わっている。
リオンの友人達に、家主の男が【交通手形】を渡すようで、抽斗を開けている。
男達は、部屋の異変などには気づいていない様子だ。ただリオンだけは気づいているように透理は感じた。排気口を見上げた瞳も、初対面の時と同じで、睨めつけるような厳しいものに思えたからだ。天井の板一枚越しに、射貫かれたような心地になり、肝が冷えた。
そもそも犬の散歩をしていて、昭唯に話しかけた段階から、リオンはここに誘導するように動いていたようにすら感じる。この部屋に防衛用の罠があることも知っていたのかもしれない。そう考えるのは、穿ち過ぎだろうか? 透理は瞬きをしながら考えたが、直感として、リオンは危険だと思った。そもそも何度も気のせいが重なることなんてありえない。
その後談笑していた人々が部屋から出てから、透理達は慎重に移動し、邸宅を後にして、塀の外に着地した。既に月が傾いている。気配を消すことに必死になりながら移動し、来た部屋の真上に戻ったところ、そこに人がいたため、その者がいなくなるまで身を潜めていたせいで、遅くなった。だが、無事に待避できた。
星が輝く深夜、透理は昭唯と共に宿へと戻った。道中は、お互いに無言だった。
宿へと戻り静かに扉を開けると、すやすやと寝息を立てながら三春と嘉唯が眠っていた。その姿を見た途端、やっと透理の肩から力が抜けた。無事に戻ってきたのだという実感がわいてきた。すると、その時昭唯が透理の肩に触れた。
「透理。貴方の友情には感謝していますが、真に私を友だと思うなら、次は見捨ててください」
水のように静かな声音だった。首だけで透理が振り返る。
――友情。その言葉が妙に胸に突き刺さった。己の胸にあるのは、紛れもなく〝愛情〟だからだ。昭唯の気持ちを疑うわけではないが、二人きりになった時ですら余裕があり、冗談めかした言動が多い昭唯の心中を、時々透理は察する事が出来なくなる。
「約束してください」
目が合うと、力のこもる瞳で、じっと見据えられて、透理は瞬きをするのを忘れた。
「約束です」
繰り返されたその言葉に、一拍の間を置き、透理が首を振る。
「悪いが出来ないことは約束はしないことにしているんだ」
「っ」
すると昭唯が息を呑んだ。
そしてそれから――破顔すると、フッと吐息に笑みをのせる。
「そうですか」
「俺達も休もう」
「ええ。今日は熟睡できそうです」
このようにして、二人は隣り合う布団に入った。