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第17話 旅立ち前夜の宴



 その日の夜、透理は昭唯と共に、皆を招集して、事情を説明した。


「――だから、俺は父親に会いに行く。それが、彩様に対しての恩返しにもなると考えている」


 既に馨翁には話を通してあったので、視線を向ければ好々爺が皺を深くして肉厚の唇で弧を描く。彼の障りもすっかりよくなった。そこへ昭唯が声を挟む。


「私も同行します。心配はいりません。私がしっかりと透理を見ておきますので」


 真面目な顔をして昭唯が言う。


「お前の面倒を透理が見るの間違いじゃねぇのか?」


 こちらも全快した孝史が揶揄すると、昭唯が半眼になった。


「孝史は、随分と元気になりましたね」

「おう。お前らのおかげだ。ついていてくれて、ありがとうな」

「――いえ。貴方もまた大切な友人ですから。それより、雛原の村人も、濡卑の一座の者達についても、頼みましたよ、村長」

「おう。もう暫くは、村長をやっておく。早く帰ってこいよ」


 するとその時、嘉唯と三春が声を上げた。


「俺も行く!」

「僕も」


 威勢が良いのと、声が小さいのとの違いはあったが、どちらとも芯のある声音だった。昭唯が首を振り、それからまず嘉唯を見た。


「ダメです。危険が伴います。足手まといです」

「師匠は帰ってこないかもしれないし、一人じゃ危ない! 俺が着いてって、透理を見てる師匠を見てる! だから連れて行ってくれ!」

「もう子供ではないのですから、だだをこねないように」

「師匠、俺のお師匠様は師匠だけだ。いつも一緒にいるって言っただろ!」

「村の寺生活ではそうであっても、今は状況が違います」


 取り付く島もない様子で昭唯が切り捨てると、嘉唯が唇を尖らせてから、俯いて右手の拳を握り、膝を二度強く叩いた。透理は暫し、そちらを見ていた。


 そこで沈黙が降りた時、今度は透理が三春へと視線を向ける。


「三春、これは俺の問題でもあるんだ。だから、分かってくれ」

「……僕を一人にするの?」

「……」

「お兄ちゃんは、僕を一人にするの!?」

「ッ」


 普段は声など荒げない三春の強い語調に、透理の胸がズキンと痛む。しかし、昭唯も言ったが、実際地下には何があるか分からず、危険である可能性がある。あちらにはそもそも自分達が知らない技術や隠力術とやらが存在する以上、もし揉め事が起きたら分が悪いのはこちらだ。


「……その呼び方は、してはならないと言ったはずだ」


 透理は胸の痛みを表に出さないように、努めて無表情を保つ。心を鬼にして、三春を突き放す。すると瞳に悲しそうな色を宿し、何か言おうとするように唇を震わせてから、三春もまた俯いた。眼窩から、ぽとりと着物の膝に涙が落ちていく。その姿が、透理には辛い。


 だが、これ以外の方策は無い。

 それに本音を言えば、透理は――昭唯のこともおいて行きたいと考えている。

 少し早い時間に出るつもりだ。そして彩には、昭唯が来ても祠に入れないようにと伝えておく予定だ。


「よし、旅立ちを祝って、宴だ!」


 その場の空気を仕切り直すかのように、孝史が明るい声を上げる。

 立ち上がった人々が、料理や酒を運んでくる。いずれも彩が齎してくれたものだ。透理は孝史に肩を抱き寄せられて、酒盃に和酒を注がれた。昭唯の酒盃には濡卑の青年が酒を注いでいる。


「なぁ、透理」

「なんだ?」

「やっぱり、呪いじゃなかっただろ?」

「ああ」

「それを当てた俺の直感が言ってる。お前の親父さんは、きっとお前に会ってくれる。だから、胸を張って堂々と行ってこい。それまで、俺がまとめておいてやるからな」

「……孝史、ありがとう」

「礼を言っても言いきれないのは、俺の方だ」


 それから視線を合わせ、二人とも苦笑じみた表情を浮かべた。

 ぞくぞくと料理も運ばれてくる。このようにゆっくりと、皆と酒を酌み交わした経験など、透理は無い。今のこの時間、この空間が愛おしくて、それだけで胸がいっぱいになる。これらは、彩のおかげだ。だから絶対に、恩返しがしたい。


 その後、透理はチラリと昭唯を見た。

 ――昭唯とも、もしかしたら今日が最後の夜になるかもしれない。最も世話になった相手だ。恋人だと、言ってくれた。だが、だからこそ、甘えてついてきてもらうわけにはいかない。そう思いながら見ていると、チラリと昭唯が透理に視線を向けた。気づかれたことに焦ったが無表情を保っていると、すぐに昭唯は視線を逸らし、酒を注いでくれる周囲に対して笑顔を浮かべ、楽しそうに雑談に興じ始めた。特に勘ぐられたわけでは無さそうだと、透理は安堵する。昭唯の後ろで結った髪が揺れるのを見ながら、透理は酒盃を呷った。



 その晩は、遅くまで宴が続いた。


「俺はもう寝る!」

「僕も」


 子供達は、そう言って早々に切り上げていた。明日は見送りをしてくれるという皆には悪いが早く出るから、三春の姿を見るのもこれが最後かもしれないと、透理はじっとその背を見送っていたが、三春が振り返ることはなかった。


 そのようにして、一人、また一人と離脱して、眠っていく。

 明日に響くからと、透理が退席することにした時、解散となった。

 深夜の三時を回っていた。

 彩とは時間の約束をしておらず、そこだけが不安だが、彩はいつも昼下がりにこの社に顔を出すから、その頃では無いかと透理は考えている。なんとか昭唯よりも先に彩に会わなければ。そう考えつつ布団を被った。


 ――そして、朝五時が訪れた。

 既に旅支度を調えていた透理は、社から人知れず外に出た。冬の冷気に、息が凍える。誰に気づかれた様子もなさそうだと考えながら暫く歩く。この降りしきる雪の中では、足跡などすぐに消えてしまうだろう。そう思った時だった。


「透理」


 正面に一本だけ立っていた杉の木の後ろから、不機嫌そうな顔で昭唯が出てきた。

 唖然として、透理が目を見開く。

 その顔を見ると、短く吹き出すように昭唯が笑った。


「貴方なら、こうするだろうと思っていました」


 クスクスと笑う昭唯の姿に虚を突かれた後、思わず透理は破顔した。

 本当は、一人で不安もあった。それを汲んでくれた昭唯の気持ちが嬉しい。


「透理の笑顔は貴重ですね。さぁ、行きましょう」

「ああ」


 昭唯は錫杖を付きながら、透理はしまっているクナイの位置をなんとなく確認しつつ、雑談をしながら山頂に向かって雪道を歩く。一時間ほど歩いただろうか。見えてきた山頂には、岩が見え、その横にいつも通り薄着のままで、彩が立っていた。あの格好では、ヘタをすれば命が危険だと感じ、慌てて透理が駆け寄る。


「悪い、待たせたか?」

「申し訳ありません。彩殿がこんなにお早いとは思っておらず……」


 すると二人に気づいた彩が、淡々という。


「俺は、日付が変わってすぐここに来た。俺は『明日』が何時なのか伝えるのも、聞くのも忘れていたんだ。俺側が悪い。ところで――連れは先に右のエレベーターで降りたぞ? バラバラに行くというのも聞いていなかった」


 彩の声に、二人が顔を見合わせる。


「連れ?」

「誰ですか?」

「三春と嘉唯だ」


 その言葉に、透理は息を呑んだ。


「連れじゃなかったのか? 夜中の二時頃、眠そうにしながらここに来たから、乗せたぞ」


 思わず透理は呆気にとられた。


「彩様、すぐに俺の事も行かせてくれ」

「私の事もお願いします。まったく、あの子は……これだから……」

「では、左の祠に乗るといい」


 彩はそう言うと、横にある巨石を掘るようにして存在している入り口を、指で示した。


「右と左がある。どちらも動作は変わらない。【開】を押して、中に入ったら、【閉】を押す。中には、【上】と【下】があるから、【下】を押せばいい。帰ってくる時は、【上】を押す」

「わかりました」


 昭唯が頷きながら、早速中へと向かったので、続こうとしてから、透理は彩に振り返った。


「恩は絶対に返す」


 すると目を丸くした後、にっこりと彩が笑った。それは透理が今まで見た中で、一番温かい笑顔だった。こうして透理もまた中へと向かう。透理はもう、振り返らなかった。






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