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第16話 父



「地下の日高見国に行くことは出来ますか?」

「昭唯、何を言っ――」


 驚いて、焦るように透理は声を上げた。


「人間ならば可能だ。人間は入ることが出来るだろう」

「どうやって行けばよいのですか?」


 視線で昭唯に制されて、透理は沈黙する。すると彩が続けた。


「山頂に、地下に通じる路がある。〝祠〟と呼ばれるエレベーターだ。それに乗ると、下に降りられる。だが――……二百年前に来た者にもこの話をしたが、その者は戻らないなぁ。もう二百年も経つというのに。見物したらすぐ戻ると言っていたのにな」


 ぽつりと彩が言った。


「二百年? 死んでいるんじゃ……? 人間の寿命は長くても七十歳くらいだぞ……? 七十歳でも仙人の域だ……」

「そうなのか? 日高見の人間は、百歳までは生きる者が多いようで、たまに長寿を選択した者は、五百歳は生きたが? 基本的に日高見以外の人間は、可能な限り長寿を望むと聞いた。ならば、死なないのではないのか?」

「そんな馬鹿な……」


 透理は唖然としてしまった。


「寿命が短いというのは羨ましいものだな。もし俺が人間になれたら、百歳まで生きたら眠るように逝きたいものだな」

「――雪童は人間になれるのですか?」


 昭唯が問いかけると、彩が右耳の耳飾りに触れながら、視線を下げた。


「わからない」

「そうですか」


 頷いている昭唯と俯いた彩を、透理は交互に見る。彩はどこか寂しそうに見えた。

 その表情を見ていると、胸が痛んだ。

 考えてもみれば、長い刻をたった一人で墓守として過ごし、稀に訪れた人間もすぐに死んでしまうとすれば、想像を絶する孤独がそこにはあるだろう。


 そんなことを考えていると、不意に顔を上げた彩が、思い出したようにまじまじと透理を見た。視線が合ったので、透理は首を傾げる。艶やかな黒髪が揺れる。


「その隠力色いんりょくしょくは……やはり……第一、顔が……」


 ポツリと彩が言う。聞き慣れない単語に、素早く透理は昭唯と視線を交わす。

 彩が続ける。


「透理の隠力色は、濃い青だ。瑠璃紺色だ。それは、ギオン様と同じだ」


 再び出たギオンという語を聞き終えてから、透理が尋ねる。


「それは同じだと何か問題があるのか?」

「ギオン様の隠力色は、直系長男のみに受け継がれる。即ち、透理はギオン様の子供と言うことだ」


 突然の言葉に、驚愕して透理は目を見開いた。

 昭唯も驚いたように透理に視線を向ける。

 ――実の父親に会うのは、己の悲願だ。母の遺言を叶える好機だ。


「……そうか。父が……父は……その、ギオン様は、日高見にいるのか?」

「そうだ。雪童の民の創造主たるギオン様は、日高見にいる。ギオン様は、不老不死に限りなく近い存在だ。代替わりは、当代の判断で行われる」


 それを耳にし、膝の上に置いていた両手を、ギュッと握った透理は、瞼もまたきつく伏せる。父のことが気にならないと言えば嘘になる。その時昭唯が首を傾げた。


「ところで、隠力とはなんですか? 御仏に仕える仏門の徒――即ち僧侶が用いる陽力ならば聞いた事があります。万物に宿る神を奉る御仏への信仰心で人間に宿る陽力を引き出し、法術を使うものです」

「陽力は、地上の人間の力だ。日高見の人間は、それに加えて、隠力という、信仰心とは別の技法で潜在能力を引き出し、本物が無いのにあるように視せる術を得ている。大なり小なり、日高見の人間には、両方の力があり、それぞれの指数が存在する。隠力は、地上においては、忍びの一部の技法でのみ使われていると聞く」

「忍び……」


 チラリと昭唯に視線を向けられたが、透理は首を振る。聞き覚えが無かったからだ。


「透理の父がギオン様だとすれば、透理は本来、日高見国の人間と言うことになる。戸籍が作られるのが道理だ。何故、地上にいるんだ?」


 不思議そうな顔で、彩が己を見ているのを、透理は理解した。


「……」


 ――母子を捨てて、父は日高見に戻ったのだろうか?

 ――濡卑であるから?


 そんな考えが浮かんできたが、実際のところは分からない。

 だが、拳を握ったままで、透理は明確に一つの決断をした。


「俺は父上に会いたい。先程日高見に行けると話していたが、行っても構わないか?」


 真剣な色が、透理の瞳に宿っている。形のよい切れ長の瞳の眼光は鋭い。

 見る者が気圧されるような表情だった。


「ああ、勿論構わない。だが、そうか。もし日高見に行くのならば……――これを、ギオン様に渡して欲しい。お前ならきっと会えるだろう」


 そういうと彩が、一つの勾玉を透理に差し出した。翡翠色のその石をまじまじと見てから、頷き透理は受け取った。


「分かった、必ず届ける。これも、恩返しの一つだ。ただのついでだしな」


 そう言って透理が唇の両端を持ち上げると、すぐそばで嘆息する気配がした。


「仕方ありませんね、付き合いましょう」

「えっ……?」


 思わず唖然として、透理は昭唯を見る。昭唯は彩を見据えたまま、真面目な表情をしている。


「孝史に事情を伝えて、皆をまとめてもらわなければなりませんね。幸い快癒したところですし」

「ああ……濡卑の一座のことは、馨翁に頼む。一度、頭領の立場をお返しする」

「無難でしょうね、何があるか分かりませんので」


 そう言うと、吐息に笑みをのせ、ようやく柔らかな表情になり、ゆっくりと昭唯が視線を流すようにして透理を見た。目が合うと、昭唯が笑みを深めるたので、透理は狼狽えた。


「本当に来るつもりか?」

「ええ。私は、貴方の恋人を自負していますので。見過ごすわけにはいきません。御仏もきっとお許しくださらない」


 冗談めかしたその声に、透理もまた小さく口元を綻ばせた。彩の前で何を言っているんだと照れくささもあって、チラリと彩を見たが、特に表情の変化は無くて安堵した。


「明日、山頂のエレベーター前にいる。祠が目印だ」


 よく通る声で、彩は述べた。それから立ち上がる。

 着物の裾を直してから、彩は戸口へと振り返り、歩いて行く。

 そして綿雪の中を、帰って行った。果たして、何処に帰っているのだろう? まだ透理は、それを彩に聞いた事がなかった。







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