既に、陽が高い。
特に示し合わせたわけでは無いが、本日も透理は昭唯と共に、彩に歩み寄った。そして彩の傍らに座す。視線を向け合ったのもほぼ同じ瞬間だった。どちらともなく静かに頷く。聞きたい事があるのは、昭唯も同じようだと透理は感じた。
「彩殿、少し宜しいですか?」
上辺に微笑を浮かべ、最初に切り出したのは昭唯だ。いつも率先して動いてくれるから、本当にありがたいと透理は思う。だが、次は自分が問いかけようと決めていた。
「なんだ?」
「その――彩様が言う、『雪童の民』というのは、一体なんだ?」
続けて透理が、決意通り尋ね。
すると不思議そうに目を丸くして、瞬きをしてから、彩が座った。
「人間に労働力として生み出された存在だ。人間の癖に、何故そのような事実を知らないんだ?」
「――では、まず一点。貴方は人間ではないと?」
昭唯が真面目な顔になる。怜悧な目をしているその横顔を、透理が一瞥する。
するとゆっくりと彩が頷いた。
「人間に会うのは、二百年ぶりだ」
「彩殿は、その……」
さすがに昭唯も言い淀んでいる。そこで透理が改めて尋ねた。
「神なのか? もしくは……物の怪の類いか? 不老不死ということは、神仙か……?」
「? 雪童の民は、
透理は昭唯と顔を見合わせる。
日高見国は、神話に出てくるいつの間にか消えた国の名前だったと、二人とも記憶していた。大昔に存在したらしいが、いつ無くなったのかは不明だと、神話に綴られているし、口伝もされている。一説によれば、時や分、十二の月は、この国から伝わったとされる。通貨の圓も同じだったはずだ。
「日高見国は実在するのですか?」
「ああ」
「何処にあるのですか?」
「地下だ」
なんでもないことのように彩が言う。首を傾げつつ、透理が呟いた。
「雪童の民は、何をするために作られたんだ?」
「人間に尽くすためだ。労働力即ち仕事を代わったり、家事をしたりする」
「人が来ない山なのに、人の世話をするとは、一体どういうことなのですか? 貴方は此処で何を?」
昭唯が腕を組んだ。錫杖は横に置いてある。
「俺は、この山の
「雪葬地?」
聞き慣れない単語に、透理は腕を組んだ。
「この社の裏にある。見てくればいい」
それを聞いて、透理は昭唯と顔を見合わせた。頷き合い、揃って立ち上がる。
社を出ると、本日も雪が降りしきっていた。ざくざくと雪を踏み、裏手を目指して透理は昭唯と共に進んでいく。
「ん?」
暫し歩いた時だった。先に透理が足を止め、続いて昭唯も錫杖を握り直す。
二人は不自然に整形された四角い雪の列を見つけた。なんだろうかと考えて視線を交わした二人は、少し足早に歩みよる。降り積もっている雪の下に何かがあると悟り、丁度二人の腰くらいの位置にある、その台に似た列の表面の雪を、透理が払った。するとその下に――僅かに青く見える氷が現れた。
「なっ、透理、これは……」
「っ!」
驚いて二人が目を見開く。揃って硬直してから、二人は顔を見合わせ、改めて現れたモノを見た。そこには氷の箱――いいや、棺があった。そこに氷漬けのように人間が入っている。驚いて、隣の雪も払えば、そこにも氷漬けの人間が横たわっている。狼狽えながらも次々と雪を払っていけば、確認しただけで十三名の、氷漬けの者がいた。列はまだまだ並んでいるし、幾重にも重なっているのが分かる。目算だけでも、数百人の人間が、氷漬けになっていると予測できた。いいや……氷漬けなのだから、死人か。
「……私達用の氷の柩は無さそうですが……」
昭唯の笑えない冗談に、透理は何も返す言葉が見つからない。
透理は昭唯に目配せして、すぐに引き返す。透理は険しい顔で、引き返す道中は無言だった。
急いで社に入り、透理と昭唯は再び彩の近くに座った。
「彩殿、見て参りました。一体あの遺体の数々は、なんですか?」
「遺体ではない。仮死状態にするのが氷墓だ。尤も、ある意味では、死んでいる。よって、雪葬地と呼ぶんだ。全ては、日高見の技術だ」
「彩様、少なくとも今は、俺は濡卑の一座として定住を許されず旅をしていたから分かるが、日高見国というのは存在しない。濡卑には、絵森郡以外の日ノ本の土地を描いた絵図が伝わっているんだ」
「地下にあると言っただろう。そこにギオン様もおられる」
いつか透理の顔を初めて見た時も、彩は同じ名前を出した。それを想起し、透理が尋ねる。
「ギオン様とは?」
「雪童の民の主だ」
その答えを聞いて、昭唯が唸ったので、透理が顔を向ける。
「彩殿にも主君がいたということですか?」
「いいや、支配者、だ」
「主君と支配者は違うのですか?」
「そうだな……日高見国の人間は、雪童の民を創造した――即ち、ある種の神といえる」
「神……?」
不可解なことばかりだなと考えつつ、透理は溜息を堪える。それから改めて、障りを消してくれた〝薬〟について考えた。
「呪いを……いいや、〝病気〟を治してくれたのも、日高見の医術なのか?」
今ではきちんと、透理も呪いではないと受け入れられるようになってきた。
もう、呪いのせいだと言い訳して、諦めるのを止めようと決意している。
「日高見国由来の医学が、全ての雪童には、据付されている」
「据付とは、なんだ?」
「日高見国の者が、我々の人格をプログラムして体に入れたそうだ」
「?」
「遠い未来から、過去へと戻る一族だ。今はいないのだろうが、また未来に生まれてくるのだろうな。この和国日ノ本が続く限り、日ノ本が滅びぬ限り、あるいは、滅びた時に、また戻るのか。だがいずれにしよ、地下に戻って、また地上に広がる。その時、雪童の民はまた支配され、労働力となるのだろう」
その言葉に、透理は昭唯と顔を見合わせる。
「労働力とは、具体的には?」
昭唯の声に、彩がそちらを見た。透理は見守る。
「たとえば危険な施設で放射能の処理をするなどの仕事が多かったな」
「放射能とはなんですか?」
「電力の元となるものだ」
「電力……?」
聞いても聞いても分からないことだらけである。透理は考え込みながら瞼を閉じる。
「それは、その……蝶花学というものか? 飛ぶ蝶々に、咲く花に……」
「――超科学、が、誤って伝わったのだろうな」
「チョウカガク……? どう違うんだ?」
「例えば地下でなく、宇宙へ行き、テラフォーミングしたり、コロニーで暮らす日高見国の縁者もいる。それを実現させる力という事だ」
彩の話は難解だと、透理は思った。尤も、雪童を生み出すという秘術を持つらしき、日高見国という古代の国家を想定するならば、人知を超えた神のごとき技術力があったとしても、別段驚く事では無いのかもしれない。雪童だという彩ですら、驚くべき御業を使うというのに、日高見国の人間はそれ以上らしい。透理は静かに目を開けた。その時、昭唯が口を開くのを、透理は見た。