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第13話 業病を治す薬



 ――透理の空想に反して、彩はすぐに戻ってきた。透理が出迎える。


「っ、待たせたな!」


 肩で息をしている彩を見れば、走ってきたのがひと目で分かる。

 白い頬が上気していて、髪がこめかみにはり付いていた。


「これを塗ってくれ。それと、これを飲め。そうすれば、子供以外は――子供であっても、大人であっても、相当弱っていなければ、他の人々に感染する事もなくなる。まぁ再感染は、子供はちょっと気をつけた方がいいが」


 そう口にすると、初めて彩が微笑した。今まで笑った姿を見たことが無かったので、透理は目を瞠る。既に装束を整え直し、面を身に着けていた透理は、それから差し出されている不思議な品々を見た。そして慌てて頭部に面を回して、手を伸ばす。


 透理は、受け取った薬らしきものを、まじまじと眺めてみた。


 三春に聞いた時は、よくある薬師がすり下ろした塗り薬だと思っていたのだが、手渡された品は、透理がこれまでには見た事の無い容器に入っていた。蓋を開けてみれば、塗り薬には違いなさそうだったが、やはり見た事がない。飲み薬に至っては、粉ではなく丸い粒だった。丸薬という概念だけは、耳にした事があったが、それがこの品なのか、透理には分からない。


 確かに、孝史の手当をしてくれた時も、見慣れぬ薬を使用してはいた。

 結果としてその孝史は既に、起き上がれるほどに回復している。


 更にこの相談の契機でもあるが、三春の手当もしてくれた。

 だが――それは、三春の障りが軽かったからなのかもしれない。

 差別され、後ろ指を指される事に、透理は慣れきっていた。


 無償で自分達を助けてくれた存在など、本当に雛原村の人々だけだったのだ。

 あの村の人々は、誰一人不満を言わなかった。


 ――けれど本当は思うところがあったのかもしれない。


 雛原村の人々に対してさえ、透理はそう勘ぐる時がある。単に村長と寺の法師という強い権力を持つ二人に、意見できる者がいなかっただけなのではないかと。


 ――それでも、それでもだ。


 それで良かった。

 何か理由があったとしても、雛原村の人々は、温かく自分達に接してくれたのだから。


 ――けれど、彩様は別だ。


 先ほど己の障りを、右の二の腕から肩までを覆う障りを見せた。寧ろあれでは、呪われていると言うことを、自分から露見させてしまったとも言える。


「全員に足りる数がある。治療をするのなら、早ければ早いほどいい」


 そう言って、彩が篭を差し出した。


 ――これが皆を死に至らしめる薬でないと、言えるのだろうか?


 濡卑の首領として、透理は思案した。


「ありがとう」


 それでも、ここまで良くしてくれた彩を疑う事が、透理は嫌だった。

 だから、一人静かに頭を振る。礼を告げて、篭を受け取った。


 そして――その場で薬の飲み方と、塗り薬の塗り方を教わる。丁寧に彩は教えてくれた。

 全てを頭に入れてから、まず透理は、自分が飲んでみる事に決める。

 塗り薬も、同時に試す事にした。


 透理が薬を用いるのを、静かに彩は見守っていた。


 その後は特に指示もなく、薬を使い終えた時、透理が顔を上げると、どこか遠くを見るような眼差しをしていた彩が、我に返ったように息を呑んだ。


「料理の途中だったな……」


 彩の声に透理が曖昧に頷くと、彼は踵を返して囲炉裏の方へと向かっていった。


 ――やはり、毒なのだろうか?


 一瞬浮かんできたそんな思考を振り払おうと努力する。

 彩が何か言いたそうに見えたからだ。また、料理の話題を出して、ここから逃げたようにも見える。


 暫し思案してから透理は、昭唯の所へと向かった。


 昭唯はすぐに顔を上げた。


「少し話があるんだ。できれば、馨翁と――濡卑の皆も含めて」


 それからすぐに、透理の号令により、濡卑の面々と馨翁が、二人を囲むように集まった。


 昭唯だけが、袈裟を着けた僧服で、他は皆、御先狐の面を着けたままだ。三春は、透理とは逆側の長の隣に座っている。


「――彩様から、この業病を治すという薬を頂いた」


 簡潔に切り出した透理の言葉に、皆が息を呑む。

 昭唯もまた目を見開いたのを、透理は目にした。


「治るのか?」

「本当に?」

「まさか」

「呪いじゃないのか?」

「俺達が濡卑だと露見したから、毒薬を渡されたんじゃ――」


 その場にざわめきが広がっていく。

 皆の意見に耳を傾けてから、透理は静かに一度吐息した。

 そして透理は、努めて冷静な声を出す。


「俺はさっき飲んだ。塗りもした。もし俺が治ったら、皆も飲む、治らず死んだら、誰も飲まない――どうだ?」

「頭領……」


 すると濡卑の面々が、面越しに顔を見合わせて、互いに頷いていた。


「儂も飲もう。若人よりも死にゆく爺には丁度良い」


 最初に馨翁が口を開いた。すると次々に声が上がる。


「いや、俺達も飲みます」

「俺も飲む」

「治療――本当に呪いじゃなくて、病気なら、俺は治りたい」

「どちらにしろ、頭領も馨翁も死んじまったら、どうしようもない。この一座は終わりだ」


 そんな声を聞きながら、狐面の奥で、透理は苦笑した。

 彼らの反応が、心地良かった。


 己が慕われているように感じた事がまずは一つだ。

 同時に、自分同様彼らが、彩を信じていると分かった事がとても嬉しい。


「――昭唯はどう思う?」


 透理はそれから、その場を見守っていた昭唯に視線を向けた。

 沈黙を貫きその場を見守っていた昭唯は、顎に手を添えたままだ。それからすぐに、透理は視線が返ってきたので安堵した。昭唯は頷いている。


「彩殿は、恐らく最初から、透理達が病の罹患者だとご存じで、その上で留め置いてくれたのではないでしょうか? ――感染しないと分かっていたから、あるいは、感染しても治る薬があると知っていたから」


 その言葉に頷きながら、改めて透理は一同を見渡した。


「俺は、仮に知らなかったのだとしても、そして昭唯が言うように知っていたのだとしても、だ。雛原村の皆が良くしてくれたように、俺達に良くしてくれた彩様の手にかかるのであれば、よいと思ってる」


 すると皆が頷いた。その姿に、透理はホッとした。


 昭唯は、それを聞いてから、席を外した。昭唯が微笑して歩いて行くのを一瞥しながら、透理は思案していた。


 ――これが本当に、ただの病気なのだとしたら。

 ――前世に於ける呪いでもなんでもないのだとしたら。

 ――それは、どんなに幸せな事なのだろう?


 仮にそれは、ただの甘い戯言で、彩の口からの出任せで、毒薬なのだとしても……僅かの間だけで良いから夢を見て、そして、よくしてくれた人の手で逝くなら満足だと、透理は思っていた。


 ――果たして、治ったならば……その時こそ、恐らく〝恋〟という名前をしているこの気持ちを、きちんと昭唯に告げる事が出来るのだろうか。






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