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第12話 据付


 それから、数日が経過した。

 彩には、透理達に『出て行け』と言う気配が無い。


 日に一度やってきて、料理を作り、風呂のお湯を変えていくだけだ。その風呂も、片側の温泉の湯は湧き出ているのだとしても、もう一方は不可思議な造りをしている。銀の持ち手を捻るとお湯が出てくるのである。村人も濡卑の者も皆興味津々だが、直接彩に聞ける者は誰もいない。それにそちらは、三春の専用のもののようになっているから、すぐにみんな立ち入らなくなった。濡卑の神子は一般の民にとっても万象仏教においても、特別視される存在だ。過去には、透理の母が神子だった頃、高僧が調査に来た事もある。


 また朝夕は、自炊を許されている。それだけでも、人として扱ってもらえる事だけでも、濡卑の者達は歓喜している。濡卑が触れても、彩は嫌がらない。その事実には、透理も安堵している。


 その上、花刹山にいる以上追っ手の心配もない。雪童の呪いを外の者達が恐れているからだ。


 雛原村の人々を急襲した忍び衆も、東雲水軍の者達も、ここへはやってこない。


 結果として、一同が安堵して、心身を休めているのが透理にも分かる。


 そして最も良い知らせは、彩が手当をしてくれたおかげなのか、孝史も次第に起き上がれるようになったことだ。既にお粥などを自力で食べられる。


 今も孝史は、匙でお粥を掬っている。

 それを見守っていた昭唯に、透理が声をかけたのは、ここに来て四日目の昼だった。


「……やっぱり、俺達は出て行こうかと思うんだ」


 基本的に濡卑の滞在期間は、三日間だ。既に一日、過ぎている。


「不要です」


 きっぱりと昭唯に返された。昭唯はいつものような作り笑いは浮かべず、自然体の表情で、じっと透理を見据える。笑っていない時、昭唯の目は迫力を増す。今のように、無表情だと特にそれは鋭い。


「大体彩殿には、それを促す気配は皆無です」

「……だけどな、俺達がいたせいで、雛原村は……もしも俺達が――」

「済んだ話は止めましょう。『もしも』は、無いのです」


 二人がそんなやり取りをしていた時、不意に三春がやってきた。

 昭唯をチラリと見てから、三春は透理に改めて向き直る。


「透理、ちょっといい?」

「――ああ」


 昭唯に頭を下げてから、透理は三春に振り返った。

 神子からの話は、濡卑の者は絶対に聞かなければならないという掟がある。


 三春が歩きはじめたので、透理は昭唯に頭を下げてから、その後について歩く。その後透理は三春に、一人用の浴室へと連れられていった。そこで不意に、三春が服を脱いだ。


「これを見て」

「!」


 透理は目を見開いた。

 そこには、確かに障りあったはずなのだが、何も無くなっている。綺麗に呪いが、消えていた。三春の呪いについては、透理と馨翁のみが知っている極秘事項だが、存在していたのは、間違いない。


「どうして……」

「彩様から貰った薬を……飲んだり、塗ったりしたんだ。彩様は僕の障りを見て、『ハンセン病』だと言っていて……『ステロイド』で治るとか、色々難しい事を話していたんだよ……」

「薬? 神子や幼い者は、それで治るのか?」

「分からないけど、聞いてみた方がいい」


 そんなやりとりをしていると、社の扉が開く音がその場にまで響いてきた。

 今日も今日とて食材を持って、彩がやってきたのが分かる。

 風呂場から出て、透理はその様子を窺った。


 いつもと同じように彩は囲炉裏のそばに座ると、まな板を出した。そして包丁を手にし、もう一方の手で馬鈴薯の皮をむき始める。透理はさりげなくそばに座した。本来であれば、濡卑がこのように座ることは許されないが、彩は何も言わない。


 その後、彩の作業が一段落したのを見計らい、透理は声をかけようとした。

 しかし、逡巡して、動きを止める。


 思えば、自分から声をかけるなど初めてのことだ。

 無論三春の言葉の通り、この件について、彩に相談しないわけにはいかない。


 だが迂闊に相談すれば、自分達――濡卑が、呪いを受けていると露見してしまう。

 だから必死に言葉を探す。

 そうしながら、母の残した巾着から、掌大の硝子玉を取り出した。それを握っていると、少しずつ気持ちが落ち着いてきて、穏やかな音が響いてきた気がした。すると、やはり素直になるべきではないかと、思考がまとまっていった。

 なにせそう簡単に上手い言葉が思い浮かぶわけもない。意を決して透理は、結局真っ直ぐに声をかける事にした。


「彩様」

「なんだ?」


 すると、振り返り彩が首を傾げた。いつもと何も変わらない。


「この前――彩様から頂いた薬で、その、三春が……楽になったと」

「ああ。あの薬なら、まだ在庫がある。他の者も使うといい。急ぐなら、すぐに取りに戻る」

「――彩様は、昭唯達と一緒で、これは呪いじゃないと思っているのか?」

「? 急にどうしたんだ? 呪い?」

「これは……雪童のご加護か?」


 透理がそう呟くように言った時、彩が怪訝そうな顔をした。


「俺達雪童の民は、人間を助けるように、〝据付インストール〟されている」

「いんすとおる?」

「そうだ。俺達雪童の民は、人間を助けるよう、インストールされている。何を当然の事を聞く?」


 彩が繰り返し、首を捻っている。彩の言葉は疑問だらけだ。だが、優先すべきことを考え、頭を振ってから透理は問う。


「――本当に治る薬があるのか?」

「程度にもよるが、皮膚は大体」


 その声を聞いて透理は、久方ぶりに御先狐の面を外した。口元までを覆っていた包帯を解いていく。そして、肩口までの障りに侵食されている皮膚を、彩に見せた。


「っ」


 すると彩が息を呑んだ。


 ――やはり治らない、か。

 ――もしくは〝呪い〟だと、そう考えられたのだろう。


 彩の反応を見て、透理は俯いた。

 僅かに抱いていた希望が打ち砕かれた気分だ。


 しかし、彩に罪があるわけではない……そう、透理が考えた時である。


「ギオン様……」


 彩から、小さな声が漏れた。ほぼ吐息のような声量だったが、透理には聞き取れた。

 瞬きをしてから、透理は顔を上げる。

 そんな透理を、驚愕したような眼差しで、彩がまじまじと見ている。


「すぐに薬を取りに行ってくる」


 彩はそう口走ると、走り出そうとした。

 そしてハッとしたように動きを止め、まな板の上の野菜を一瞥した。


「あ、どうしような、これ」

「……俺でよければ、作っておく」


 濡卑が作った食べ物など、雛原村の人間以外が口にしている姿など見たことがない。

 透理はそう思ったが、反射的に述べていた。


「本当か? じゃあ、頼んだ」


 あっさりと透理の声に頷くと、彩が勢いよく扉を開けて、外へと出て行った。

 残された透理は、それを見送りながら、漠然と考える。


 ――このまま、彩様が戻っててこなかったとしても、だ。


 こんな風にみんなを助けてくれて……これまで助けてくれた事だけで十分だ。

 透理はそう、心から思っていた。


 雪の中、外へと出て行った彩の姿が遠ざかるのを、透理は暫しの間見送っていた。






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