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第10話 青年の来訪




 ――その時の事である。


「おい」


 一同の視線が、揃って社の扉へと注がれる。

 唐突に淡々とした声が、外から聞こえたからだ。

 そこに立っていたのは、長めの前髪をしている一人の青年だった。


 非常に中性的だと感じさせる外見だ。不思議な色彩の、翡翠色の髪をしている。

 その青年は、性別を見間違うほど美しい体躯の持ち主であり、甘い顔立ちだ。背丈と骨格から、男性だと言うことは分かる。しかし、中性的な少年がそのまま大人になったかのような、不思議な空気を醸し出している。纏っているのは、見慣れぬ月白色の衣服だ。翡翠色の丸い耳飾りが右耳に嵌まっている。


 ――花刹山の雪童は、月白色の衣を身につけている。

 透理は、そんな伝承を想起する。


「お前達」


 その時青年が放った声で、惚けていた透理は我に返った。


「ちょっと退いてもらえるか?」


 青年の言葉に意を決して立ち上がり、透理が一歩前へと出る。


「――怪我人がいる」


 透理は、覚悟していた。『出て行け』と告げられる事を。

 だから先に、そう口にした。真っ直ぐに相手を見る。とはいえ、面越しの事だが。


「俺達、濡卑の者は、すぐにでも出て行く、しかし他の彼らの事は――」

「出て行く必要などありません、透理。何を言っているのですか、今更」


 しかし透理の言葉を、昭唯が制した。慌てて透理が、面越しに昭唯を一瞥する。

 すると昭唯が、現れた青年を見た。


「勝手に入った非礼は詫びます。しかしながら、此処にいると言うことは、貴方は雪童の縁者あるいは、当人でしょう? 怪我人をこの雪の中に追い出すような非道を、果たして神が見過ごすでしょうか? そんな事はあり得ないと、御仏に仕える身である私にすら分かります」


 よく通る強い声で、昭唯が続ける。透理は昭唯と青年を交互に見た。

 その時、麗しい青年が困惑するように吐息した。


「あの――」


 そして彼は何かを言いかけたのだが、そこに被せるように昭唯が再び口を開く。透理は見守るしか出来ない。


「兎に角、追い出さないで下さい。その要求は飲めません、私達は、此処から離れるつもりは、一切ありませんので」

「だから、あの――」

「退かないと言ったら、退きません」


 きっぱりとそう言った昭唯の顔を、青年が困ったように暫し見ていた。


「……その、別に中にいていい。お前達の足の下の板を外さないと、囲炉裏に火が入れられない。奥の座敷に移動してくれないか?」


 青年が、とても困ったようにそう口にした。

 その言葉を理解し、透理は昭唯と、思わず顔を見合わせる。


 そんな二人には構わず、中へと入ってきた青年は、それまで壁にしか見えなかった右手の木の板を、左右に動かした。すると奥に、座敷が現れた。一段高い場所にある、畳が敷かれた部屋を透理は目視した。


「こっちに」


 青年がそう言った時、今度は透理と昭唯も、そして見守っていた皆も従った。


 怪我をしている者には手を貸し、皆が畳の上へと向かった後、今度は床の木の板を青年が外していく。すぐにそこには、巨大な囲炉裏が現れた。


「後は、少し人手を貸してくれ」

「人手?」


 昭唯が問うと、少し怯えるような眼差しで、青年がコクコクと何度も頷いた。透理は、昭唯がいてくれて本当に良かったと考える。己一人では、このような応答は出来なかった自信がある。


「雪でこの位置からは見えないが……社の石段を一番下まで降りた所に、荷車を置いてきた。布団や衣服、食料を積んであるが、一人でこの場所まで持ってくるには骨が折れてな……」


 その言葉に、濡卑の一座の面々が、長である透理を見た。

 透理が頷いて返すと、二十人前後いる濡卑の人々が立ち上がる。


「運んでくればいいんですか?」

「そうだ」


 立ち上がった一人の声に、青年が頷いた。

 それを確認すると、濡卑の面々は雪の中、社から外へと出て行く。透理はその背中を見送った。


 それから青年は、その後囲炉裏に火を入れた。

 残った透理は、沈黙しながら作業を見守る。見慣れぬ品で火を点け、その後また皆には馴染みが全くない所作で、その炎を大きくしていった。思わず透理は凝視していた。昭唯が尋ねたのはその時である。


「ええと……貴方は?」


 金色の袈裟が囲炉裏の火で少しだけ煌めいて見える。透理は次第に暖かさをを感じながら、漠然とそう考えた。


「俺は、さいという」

「彩殿ですか」


 人好きのする笑みを取り繕って昭唯が頷いた時、外に向かった第一陣が帰ってきた。

 それほどの時間、透理達は呆然としていたのである。


 戻ってきた濡卑の面々が手にしていたのは、切ってある茸や野菜、肉類だった。

 それを一瞥しながら、彩が鉄の鍋を囲炉裏の上に吊るす。


 彩は持参していた鞄から、不思議な筒を取りだした。それは透明で、蓋を開けると水が出てくる。水は、鍋を満たしていく。


 透理にとっては、こちらも初めて見る品だった。透理は、再びまじまじと彩と鍋を見据える。彩は特に気にするでもなく、野菜盛り沢山の、うどんのつゆを作り始める。そこでまた、昭唯が気を取り直した表情になったのを、透理は見た。


「私は幸栖昭唯と言います。御仏に使える者です。昭唯とお呼び下さい」

「分かった」

「こちらは、透理と言います」


 そう告げて、昭唯が透理へと視線を向けた。

 ごく自然な流れで紹介されたものの、見守っていた透理は体が強ばった気がした。


 彩はといえば、促されるがままに透理へと視線を向けている。


「――その格好は、流行か? 多くがその格好だが」


 この場にいる約十五名が同じ装束を纏っている。彩は疑問に思ったのか首を傾げている。

 透理は、凍りつきそうになった。昭唯も沈黙した。


「これは――」


 透理が濡卑の事を伝えようとした時、昭唯が錫杖でそれを制した。


「彼らは伝統芸能を保存している方々なのです」

「へぇ」


 訝る様子もなく、また、興味もない様子で、彩が頷く。


 ――まさか、濡卑を知らない?


 自身が導出した驚愕の結果に、透理は息を呑んだ。


 ――ありえない。


 まず最初に、そう思った。


 しかし……ずっと山で暮らしてきたのならば、ありえない話ではないのかもしれない、とも思い直す。実際目の前で鍋を見ている彩の瞳には、多くの人々が濡卑に向ける、忌むような色が無い。


 ――知らないから……だから慈悲深く、自分達を留め置いてくれているのだろうか?

 透理は、必死に頭を回転させた。


 だがそれは……露見すれば追い出されるという危機を孕んでいる。


 この装束を知らないのだとしても、濡卑という存在まで全く耳にした事がないとは考え難い。透理の背に、冷や汗が浮かんできた。




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