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第6話 迎える言葉


 翌朝、目を覚ますと昭唯はいなかったし、体が綺麗になっていた。

 だが裸で寝ていた事実と、肌に朱い痕が残っていたから、情事が夢では無かったと判断し、透理はどんな顔をして会えばいいのか分からなくなって、しっかりと御先狐の面をして、階下へと降りた。そこでは嘉唯と三春が朝餉の準備をしていた。


「おはようございます」


 そしてごくいつも通りの様子の昭唯が、にこやかに微笑していた。


「……おはよう」


 挨拶を返したものの、透理は声が震えそうになるのを必死に堪えた。面の下の顔は真っ赤である。昭唯のことをまともに見る事が出来ない。羞恥に襲われ、今すぐにでもこの場を逃げ出したくなったが、それでは挙動不審すぎるだろうと、必死で堪えて正座した。


 すると昭唯が透理の耳元で囁いた。


「腰は大丈夫ですか?」

「!」

「大丈夫そうですね」


 露骨に情事を感じさせる声に、いよいよ透理は赤面した。本当に面があってよかったと考えてしまった。


 こうして始まった二日目、意識しているのはどうやら己ばかりのようで、昭唯にはなんの変化も見えなかった。だから透理は、『モテる』と話していた昭唯の言葉を回想し、きっと遊び慣れているのだろうと考える事にした。


 それに明日――三日目には、旅立たなければならない。きっと善意で上書きとやらをしてくれたのだろうと考えながら、透理は滞在させてもらった礼を言うべく、孝史宅へと向かう事にした。ついさきほど、先に昭唯はそちらへ出かけた様子だった。


 本当に各家に分散して濡卑を引き受けてくれた様子で、村長宅への道中でも、軒先で掃き掃除などを手伝う黒装束の濡卑の姿が幾度か見えた。本当に優しく、寛容的な村だなと考える。だからこそ、迷惑をかけないように早く出て行かなければ。


 そう思って、神原家の戸口に立つと、本日も玄関は開いていた。

 中を覗きこむと、紗和が丁度出てきたところだった。


「あら、透理さん。どうぞ、どうぞ! 昭唯様も来ていて、主人と話をしてますよ」

「……邪魔をする」


 頷き、草鞋を脱いで、透理は中へと入った。そして紗和に案内されて居間に行くと、孝史と昭唯がそろって顔を上げた。


「遅かったですね」


 昭唯の声に、『早く出て行け』という意味だろうかと考えると、胸が苦しくなった。

 優しい時間はもう終わりなのだろうかと考える。


「透理にお話があって、私と孝史はずっと待っていたのです」

「……話?」


 濡卑への村の重役からの話など、大抵の場合、悪い話だ。鬱屈とした心境で、孝史に手で示された場所に座ってから、透理は俯く。そこへ紗和が、本日もドクダミ茶を運んできた。


「透理。率直に言うぞ」


 口火を切ったのは、孝史だった。両手で湯飲みに触れている。

 何を言われるのだろうかと、そして何を言われても仕方がないと、覚悟だけは決めて、ギュッと透理は拳を握って膝の上に置く。


「これからも、この村で暮らさないか?」

「――え?」


 だが予想もしていなかった言葉が放たれたものだから、呆気にとられて聞き返した。


「俺から見て、腐華肉病は、ただの病気だ。呪いなんかじゃない。この村にだって、足先が腐って切り落とした奴だっているし、梅毒だって似たり寄ったりの腐り方をするが、別に呪いなんかじゃぁない」


 断言した孝史は、それから昭唯を見た。


「昭唯様もそう思うんだろ?」

「ええ。少なくとも、障りというのは、皮膚の症状だとしか思いません」


 二人の声に、狼狽えて透理は沈黙した。未だかつて、このように病気だと断言された事は、一度も無い。


「それに、他の濡卑に話を聞いたが、三日以上滞在してはならないと決めた者も曖昧なんだろう? 昔から言われている掟というだけで、誰が定めたかも不明な」

「そ、それはそうだけどな……でも……」


 慌てて透理は声を上げる。


「……その禁を破ったら、この村まで罰を受けるかもしれない」

「誰に?」

「え……?」

「決めた奴も不明瞭なのに、誰が罰するんだ?」


 笑顔の孝史の声に、狼狽えてから透理は瞠目した。


「確かに……それは、そうだな……」

「だったら、少しいてみろよ? それでダメだと分かったら、また考えればいいさ」


 朗らかに笑って言い切った孝史の姿に、面の奥で透理はゆっくりと瞬きをする。

 すると昭唯が咳払いをした。


「村長がこう言っているのです。貴方も一座の頭領として、熟考して下さい。濡卑の一座の者達にとって、何が最善なのかを」

「……少し待ってもらえないか? 一人では決められない。相談したい」

「ええ。どうぞ。今日中にお願いしたいのですが、それは叶いますか?」

「分かった……」


 こうして透理はドクダミ茶を飲み干すのも忘れて、家の外へと出た。そして遠目に見える同胞のもとへと向かい、その者と協力して、各地に散っている約三十名の濡卑の者を、村の開けた場所に集めた。


「どうしたの? 透理」


 三春に声をかけられ、面の奥で透理は微笑する。もし、本当に孝史と昭唯の提案を受け入れる事が出来たのならば、三春だってこれからも嘉唯と遊んだりと、年相応の幸せを享受出来るのではないかと考えていた。


「実は――」


 透理がいきさつを語るのを、一座の者は皆静かに聞いていた。


「というわけなんだ。皆の意見が聞きたい」


 最後にそう透理が続けると、一拍間をおいてから、次々と声が上がった。


「俺もここにいたい」

「私もです!」

「お世話になっている家でも、ずっといてもいいって言ってもらってて」

「こんな安住の地、他には無いと思います!」


 賛成意見が多数だった。ごく少数は、やはり透理同様、『迷惑をかけるわけにはいかない』という見解があった。その狭間で透理が思い悩んでいると、前頭領の馨翁が唸った。彼は、透理の養父の前にも頭領をしており、透理の父が亡くなった後は、一時的に再び頭領をしていたという経緯がある。それもあって、相談役として、透理もそして周囲も、最も信頼している。


「透理よ。いいや、頭領よ。長い間儂は旅をしてきたが、このように受け入れてくれた村は初めてじゃ。儂も――定住でなくとも、暫しの間滞在させてもらう事に賛成じゃ。迷惑をかける、と、こちらは思うが、あちらはそれを承知で受け入れると申してくれているのであろう?」


 その言葉が決定打となった。

 濡卑の一座の結論が出たので、すぐに透理は神原家へと戻る。そして中へと入り、孝史と昭唯に結論を伝えた。


「……というわけで、少しの間、世話になりたい」

「おう。大歓迎だ。な? 昭唯様」

「ええ。これほど嬉しい事はありません」


 このようにして、濡卑の一座は、雛原村へと滞在すると決まったのである。

 孝史の家を出て、透理は昭唯と並んで歩いていた。


「……昭唯」

「はい?」

「……ありがとう」


 ずっと礼を言わなければと思っていた。孝史には既に伝えたし、その場で昭唯にも告げたが、改めて言葉にしたかったのである。すると昭唯は、目を丸くした後、ニッと口角を持ち上げて、楽しそうに笑った。


「いいえ。私は私自身のために行動しただけですので。貴方と離れたくなかっただけですよ。なにせ私は透理の恋人なのですから」


 帰ってきた声を、飲み込むのに暫しの時間を要した。


「……なんて?」

「気にすることはないとお伝えしたつもりです」

「そ、そうか」


 透理は、『恋人』と確かに聞いたようにも思ったが、空耳かもしれないと頭を振る。

 ――濡卑と一般人は、恋人になどなれない。そんな例は聞いた事もない。

 だから透理は、すんなりと気のせいだと片付けた。




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