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第4話 森羅寺


 それから孝史に見送られて、透理は昭唯と共に村長宅を後にした。

 ゆっくりと坂道を上り、すぐそばの寺へと向かう。

 シャラランと錫杖が立てる金属音を聞きながら、時々透理は昭唯を見た。その度に、昭唯は微笑を浮かべて、小首を傾げる。だが別にこれといって話があるわけでもないので、透理は何も言わなかった。


 寺に着くと、嘉唯と三春が待っていた。


「お師匠様、夕餉の準備は出来てるぞ!」

「四人分ですか?」

「勿論! 三春に取れたての蕨をご馳走したくて、一品増やしたからな」


 明るい声の嘉唯の隣では、頬を染めた三春がはにかむように笑っている。三春のそんな表情は珍しいなと考えながら、草鞋を脱いで、透理は昭唯に続いて中へと入った。


「夜は、客間は一つですから――」

「三春は俺と一緒に寝るから、俺の部屋!」

「――そうですか。仲良くなったのなら結構。では、透理は一人で客間を使って下さい」


 昭唯の声に、透理が三春を見る。すると三春が頷いた。


「僕ももっとお話ししたいから、嘉唯と一緒のお部屋がいい!」


 濡卑と同じ部屋を望む者は、本当に少ない。嘉唯は濡卑をなにかまだ知らないのかもしれないが、師匠らしい昭唯が止めない事実にも、透理は複雑な心境になった。だが、三春が楽しそうであるから、それを邪魔したくはなくて、沈黙を貫く。


「では、夕餉を頂きましょうか」


 居間へと案内された透理は、黒い漆塗りの横長の卓に並ぶ料理の数々に、小さく息を呑んだ。万象仏教では、菜食主義などはないのだが、だとしても現在並んでいる品々が、もてなしのための料理だというのは一目で分かる。濡卑であるから、誰かにもてなされた事は無い。濡卑とは、忌み嫌われる存在なのだから。


「いただきます」


 昭唯が手を合わせた。嘉唯と三春もそれに倣う。慌てて透理は、面を後頭部へと回し、同じように手を合わせた。そして朱い箸を手に取り、恐る恐る味噌汁の椀を手に持つ。


「……」


 美味しくて、涙が出そうだった。温かい味噌汁など、滅多に食べられる品ではないからだ。幼少時より旅をしてきて、時に野宿をした際に、一般の民のふりをして母が村へとわけてもらいに行き、そうして作ってくれた事が数度あるだけだ。忍術の鍛錬をしながら待っていた透理は、母の帰宅に喜んだが、同じくらい初めて飲む味噌汁にも喜んだ記憶がある。


「味はいかがですか?」


 優しい声音で昭唯が聞いた。


「俺が作ったんだから、美味しいに決まってるだろ!」

「……ああ。美味しいよ」


 本当に小さくだが、透理は口元を綻ばせた。するとその表情を、昭唯と嘉唯がまじまじと見るものだから、透理は気恥ずかしくなり、表情を正す。


「笑顔の方が似合いますね」

「俺もそう思う」


 嘉唯が大きく頷いたものだから、透理は苦笑しそうになったが、無表情を貫いた。

 食後は、嘉唯と――片付けまで許された三春が、食器類を台所へと運んでいった。神子とはいえ濡卑の一座の者が、洗う行為を許される事は滅多にない。透理は止めるべきか悩んだ。何せ、三春には……決して他者には公言出来ないが、神子であるのに障りの兆しがあるからだ。


 御先狐の面を正面に戻し、透理は俯く。三春には楽しんで欲しいが、濡卑の一座の頭領として、どう行動するのが正しいのか、考えあぐねいていた。


「透理、その狐面は、ずっとつけていなければならないのですか?」


 すると子供達に後片付けを任せて麦茶を飲んでいる昭唯が、小首を傾げて透理に尋ねた。


「ああ……決まりだからな」

「寝る時もですか?」

「基本的にはそうだ」

「何故です? 誰が決めたのですか?」

「……昔から、そう教わっている。それに腐肉が顔にある者とない者の、双方が同じよう過ごせるようにという取り決めでもある」


 淡々と答えた透理は、不思議そうな顔をしている昭唯を見た。


「折角綺麗な顔立ちをしているのに、隠しているのは勿体ないですね」


 至極当然だというように、昭唯が述べた。思わず透理は、咽せそうになった。

 いつも面をしているから、誰かに容姿を褒められた経験などない。

 ただ不思議と、落葉村の村長達のような卑しさは、昭唯には感じなかった。


「この寺では外していてもいいのではありませんか?」

「……決まりだから」

「ここ、森羅寺は、万象仏教の教えが最優先です。何人たりとも、顔を隠す必要などありません」


 そう言うと、唇で弧を描き、昭唯が綺麗に笑った。詭弁だと透理は考えたが、昭唯なりの優しさだろうと判断し、その気持ちには嬉しさを感じる。


「さぁ、早く」

「……それは」

「早く」

「……っ」

「透理」


 昭唯の声が、少しだけ低く冷ややかなものへと変化したから、透理は狼狽えた。強く名を呼ばれたから、じっと昭唯を見れば、その瞳は僅かに鋭く思えた。考えてみると、これほど世話になっているのだし、その相手の言葉に従わないのも悪いようにも思えて、ここには外したら傷つける相手も罰する相手もいないと判断し、ゆっくりと透理は御先狐の面を側頭部へと回した。


「うん。やっぱり男前ですね」

「っ」


 満面の笑みを浮かべた昭唯の一言に、思わず透理は呻きそうになった。あまりにも真っ直ぐに言われたものだから、羞恥がこみ上げてくる。


「透理のような者を、麗人というのでしょうね」

「な……そ、それは、普通は女人に使う言葉じゃ……?」

「性別など関係ありません。私の仕える御仏は、愛に性別は関係ないと説いておりますので」


 両頬を持ち上げて笑っている昭唯を見て、あまり詳しくない透理は、そういうものなのだろうかと小さく首を傾げた。ただ、一つ思う事がある。


「その……昭唯の方が、整った容姿をしているだろう……?」


 思わずぽつりと透理は零した。昭唯の茶色い髪も瞳も、本当に惹き付けられてしまう色彩で、この日ノ本ではあまり見ない。その茶が彩る造形も非常に端正だ。


「ええ。私はよくそう言われますし、とてもモテますよ」

「そ、そうか……」


 納得するが、ここで認めるのもまた中々の自信家だなと透理は感じた。

 麦茶を飲みつつ、昭唯が続ける。


「透理も私に惚れて構いませんからね? 私は貴方を愛する用意があります」

「――は?」

「私は面食いなもので」


 当然だという顔で嗤っている昭唯は、ゆっくりと瞬きをしながら麦茶を飲み干す。

 それを呆然と見据えたまま、透理は何を言えばいいのか分からないでいた。


「お師匠様、終わったから俺達、上の部屋に行くから!」


 そこへ嘉唯と三春が戻ってきた。


「どうぞ。ああ、透理。透理も部屋に案内致します」

「あ、ああ……」


 なんでもなかったように昭唯が言うので、おかしな冗談だったらしいと透理は考えた。

 案内された二階の客間の窓からは、満月がよく見えた。





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