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猫宮乾
BL歴史創作BL
2024年11月05日
公開日
85,646文字
完結
 濡卑は差別されている人々の呼称だ。濡卑の一座の若き頭領である透理は、三日以上の滞在を許されないため、一座を率いて転々と旅をしていた。そんなある日、立ち寄った村で輪姦されそうになったところを、隣の雛原村の法師である昭唯に助けられる。昭唯の案内で雛原村へと行くと、期限の三日を過ぎてもここにいて構わないといわれる。そしてつかの間の平穏が訪れたが、幸せは長くは続かず、一年中雪が融けない不思議な山へと逃げ込む事となる。※和風の法師×男前不憫な忍者のお話です。

第1話 濡卑の一座


 初夏は若葉が美しい。囀るような木々の葉音に耳を傾けながら、透理とうりは先頭を歩いていた。後方には、黒装束に御先狐みさきぎつねの面をつけた老若男女、三十名ほどの姿がある。足袋も黒だ。一人だけ、白装束で面を後頭部に回している十二歳の三春みはるは、この一座の神子だ。透理の異父弟でもある。


 透理は濡卑ぬいと呼ばれる業病を患った者達からなる旅芸人の一座の、若き頭領だ。

 腰回りは若干細いが、背丈は長身で、鍛えているからしなやかに筋肉がついており、面の奥の紺色の瞳は若干つり目だが形がよく、薄い唇に通った鼻筋は、とても麗しい。艶やかな黒髪も目を惹く。彼が濡卑でさえなければ、男女問わず放っておかないだろう。


 透理は今年で二十一歳。

 頭領となったのは昨年で、成人を迎えた時だった。

 それまでの頭領の馨翁は、業病である腐華肉病ふかにくびょうが進行し、既に両脚から腹部までと、顔面、首から肩までが腐り爛れてしまい、頭領としての仕事が全うできなくなり、後を継ぐ者を待っていた。今も藁の上に乗せられて、他の濡卑の青年が二名ほどで運んでいる。右目と口はまだ異常がないため、一座の良き相談役として慕われている。透理は馨翁かおるおうの代わりに頭領になった。


 腐華肉病、それは呪いの名前だ。

 病とはいうが、この呪いを〝発病〟すると、皮膚が焼け爛れたように、腐り果てていく。

 一座の者は、多かれ少なかれ、いつかは体が腐肉に変わり死に逝く運命にある。


 これはいつから始まったのかも分からないほど、古くから続いてきた呪いだ。

 現在、時は永碌えいろく二年、五月。

 遠い都には、榁町むろまちの幕府があるというのは、透理も今は亡き養父に習ったことがある。

 この和国日わこくひもと絵森えもり郡は、大きな湖が郡内にある、天領だ。隣には、相樂鷹海さがらたかうみという大名が治めている岩崎いわさき郡がある。濡卑の一座は、天領の中だけを旅する事が許されている。逆に言えば、定住は許されず、一所に三日以上滞在すれば、罰を受ける。これは古くからの取り決めである。けれど逆に言えば、三日だけは滞在を許される。


 一説には、帝による取り決めだという噂もあるが、ただ昔から決まっているとしか言いようがない。ただ昔、透理の母は、『帝に直訴すれば、濡卑の様々な制約は撤回してもらえる』と話していた事がある。だから透理は、いつか一人で都へ向かい、直訴したいと考えている。


 帝にも色々噂があって、声が流麗だとか、不老不死だとか、地下に住んでいるなどという噂話は事欠かない。


 濡卑は必ずといっていいほど患う業病……呪いのせいで、一座以外の者からは、差別されている。濡卑という名称自体が差別用語だ。彼らの先祖が禁忌を犯したと真しやかに囁かれており、必ずといっていいほど滞在先の村では蔑まれる。その頭領ともなると、風当たりはさらに強い。だからなり手がいない事もあり、同時に前々頭領の養い子である透理ならば対応できるとして、周囲は彼に頭領を任せた。実力があり、誠実な人柄ゆえに、透理もまた一座を守る決意をしている。


「あ、本当に雪が降ってるみたい」


 その時、一歩後ろにいる三春が、遠くの山を見上げた。それを耳にして、透理もまた視線を向けた。そこにあるのは、花刹山かせつさんである。


 花刹山は、絵森郡において多くの者が畏怖している。他の土地や山々で春夏秋冬が巡ろうとも、花刹山だけは常に冬であり、雪に覆われている。標高が高いからではなく、山自体はそれほど高いわけではない。他の周囲の山の中にはより高いものもあるが、花刹山だけは常に雪化粧をしている。強いていえば、形が綺麗に三角形をしているのは特徴的だろうか。


 理由は、雪童ゆきわらしが住んでいるからだと言われている。

 月白色の薄手の着物を纏っているそうで、蝶花学ちょうかがくという呪いの一種を用いるそうだ。

 雪童は古い神の子だとされる。


 現在この日ノ本で主流なのは、森羅万象には八百万の神が宿ると唱える万象仏教だ。神々の御遣いである御仏に祈る事を善とする。そうする事で、死後も輪廻から外れず、また人に生まれてこられると説く。尤も、濡卑には祈る事も許されないので、亜流の独自宗教があり、その宗教的代表者が神子となる。濡卑の呪いが許されるよう、神々に祈りを捧げる存在だ。


 神子は基本的に一座にあって、呪いを免れた者が襲名する。ごく稀に業病から逃れた者がいた場合は、絵森郡から出て、各地の大名お抱えの忍び衆に入る。それを期待して、濡卑の者は小さい頃から忍術を学ぶ。中には光糸を用いるような不可思議な術も含まれているが、それらは仕える主以外には知らせてはならないとされている。神子にはその選択肢はない。前任者の指名制だ。選ばれた場合、生涯濡卑に尽くすと決まっている。


 よって、一般的には、呪われた濡卑は無抵抗の弱者だと考えられている。

 天領覚書においても、反抗は禁じられており、万が一濡卑の者が抵抗したならば、磔刑に処して構わないと周知されている。透理は、直訴して、このお触れを変えたいと思っている。そのためならば、己の命を捨てても構わないと感じている。


 さて、その濡卑も、多くの人々の事も、分け隔てなく――呪うのが、雪童だという。

 花刹山に一歩でも立ち入ると、恐ろしい呪いを受けると専らの噂だ。


「……そうだな」


 間を置いて答えながら透理は、ぼんやりと童唄を思い出す。


 ――さぁ、命を落としてもよい者は、足を踏み入れよ。

 ――雪童の祟りが、汝を襲おう。


 雪童の存在は、幼子に聞かせるお伽噺ではない。

 皆がそう囁き、恐れ戦いている。迷い込むと呪いを受け、命を奪われるそうだ。

 多くの者は、嫉妬深いのが山の姫神と湖の姫神、それらよりも凶悪で制御できないのが雪童だと注意深く噂をしている。口に出すのも禁忌だという面持ちだが、人の口には戸が立てられない。


 ただそうは言うが、透理から見れば、他に恐怖すべき事は山ほどある。

 例えば絵森湖を根城にしている東雲水軍は、常に濡卑を追い回している。相樂鷹海が戯れに、『濡卑の首を一つ持参する度に、五百万えん』とお触れを出した結果だ。絵森郡は天領ではあるが、遠く離れた場所にいる帝は何事にも関知しない。圓というのは、この国の通貨だ。


 今も透理達は、東雲水軍しののめすいぐんの急襲を察知し、先程までいた麻丘まおか村を出て、次の村を目指して歩いている。透理のように触りが軽い者達だけであれば、忍術を用いて逃れる事は難しくはない。けれど一座の掟で、仕える主がいない限り、鍛錬以外では忍術を使ってはならないとされているし、なにより腐肉から膿が出て歩く事が困難な仲間をおいていくわけにも行かない。


 山道を進み、青い若草に覆われた地面を踏む。木々の合間を抜けた先には、夏の山菜が顔を出していて、蕨を取った形跡があった。ここから下り坂を進めば、次の街、落葉村があるはずだ。透理は一座に伝わる絵森郡の村々の位置を描いてある絵図の事を想起した。


 花刹山から最も近い場所にあるのが落葉らくは村、その次が雛原村だ。




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