「おはよー」
「おはようございます、シルファーさん」
「ぶっ!?」
「うわ、汚っ!?」
陶器が美しく輝く洗面所でシルファーにあったので、たおやかに挨拶をしたら噴き出されてしまった。
慌てて回避すると、むせながらシルファーが口を開く。
「急にどうしたのさー、びっくりさせないでよ」
「シルファー、あたしの特訓の成果を噴き出すなっての! ったく、やる気を失くしますわ」
「や、やめてー! あはははは!」
「もう! ……お、相変わらず柔らかいなあ」
腹を抱えて笑うシルファーの頬を引っ張って抗議してやった。柔らかい頬をこねくりまわしているとちょっと気が晴れた。
「とう! さ、それじゃ朝食に行こうよー」
「だな」
さて、そんないつものじゃれ合いをした後、あたし達は食堂へ向かう。
なんだかんだであれから十日ほど経った。今、あたしはこの生活に慣れてきた……いや、かなり慣れてきたと言っていい。
「おや、今日は早かったですね」
「そりゃ叩き起こされるのは勘弁だしね。……っと、叩き起こされるのはご勘弁願いたいですもの」
「……六十点」
「ええー? 厳しくないかしら」
あたしの言葉遣いに、ディーネが眼鏡をくいっと上げながら採点をする。これもいつもの流れなので苦笑しながら席に座った。
「なんか違和感があるんだよなあ。さ、飯にしようぜ」
「まあ、特訓はしているけど、やっぱりお嬢様って性に合いませんわ」
イフリーは素の方がいいと言ってくれているので、いつも違和感があると口にする。
「ぶふ!」
そこでノルム爺さんが噴き出したので、あたしは口を尖らせて言う。
「ノルム爺さん、笑うのは酷いだろ? そっちがやれって言ったんだし」
「す、すまん……」
すぐに謝ってくれるのはノルム爺さんのいいところだ。
という感じで軽口を叩き合えるくらいは仲良くなった。この五人しかいないからあまり気を使わなくていいのも良かったと思う。
後は結局どういうことか分からないけど、癒しの力は単発で終わることもなく使い続けることができている。
そのため聖女だと疑う人間はおらず、ドキドキすることも無いからストレスも無い。
そして飯は美味いし酒も飲める。ケーキも無理を言わなければ食べさせてもらえるのだから居心地がいいに決まっている。
そんなことを考えながら、テーブルマナーというのを意識してベーコンエッグを食べる。
するとシルファーがミルクを飲んだ後、あたしに言う。
「リアは特訓をきちんとするし偉いよねー。ここだと変わらないけど、謁見の時はかなりお嬢様っぽくなったと思うよー」
「おお、そうだよな。アリアなんてディーネから逃げるし、仮病を使ってたりしてたぞ」
「あいつ最悪だな……」
そうそう、何度かアリアの話を聞いたけどあいつは確かに我儘だった。
あくびを噛み殺しながら治療する。つまらなさそうに話を聞いていたりと、態度もあまり良い感じではなかったそうだ。
精霊達も呆れるほど、今回の聖女はヤバイと感じていたらしい。
シルファー達も見限ればいいのにと聞いてみたら、エトワール家とは契約をしているらしい。
大昔にアリアの祖先が世界樹とかいう大事な木を癒してくれたから、家を守っているのだとか。
それからずっと、精霊は見守り続けていたけどアリアは本当に特殊な聖女なんだってさ。
「ま、駆け落ちを考えるくらいだもんな。町にも行けるし、飯も美味い。仕事が謁見なのはちょっと面倒だけど暮らしやすいと思いますわよ」
「そこなの。好きでもない貴族と結婚するのが耐えられないっていつも言っていたわ」
「それは分かる気もする。でも強制ってわけじゃないんだろ?」
「そうじゃな。パーティなどに呼ばれて顔見知りになり、お互いが好きならというところじゃ。エトワール家は貴族の一つじゃが、聖女という肩書きはかなり重い。故に、相手を選ぶ優先権はアリアにある」
ノルム爺さんがそう言ってスープを口にした。なるほどなと、あたしは相槌を打った。
「でも、結局『その中から選ぶ』しかないなら、殆ど強制じゃん。アリアがフランツと逃げたのもそう思ったからだろうよ。我儘だったならそれくらいするんじゃないかねえ」
あたしは予測を口にしてフルーツのブドウを食べた。するとイフリーが口を開く。
「俺もリアの意見にゃ賛成だ。歴代の聖女は文句を言わなかったけど、アリアの性格を考えるとそうなるよ。やっぱり好きな人と付き合いたいよな、うん」
「お、いいこと言うな、イフリー」
「だろ? 今度、町に行った時デートしようぜ!」
「褒めたあたしが馬鹿だったよ」
イフリーはイフリーだったなとあたしは肩を竦める。けど、聖女とデートなんて出来るはずもない。
彼が冗談で言っているのは最近気づいた。こういうやり取りも悪くない。
「ごちそう様! ノルム爺さん、今日の予定は?」
「謁見は午前中に三件、午後に二件じゃな。午後が終われば後は自由で良い」
「よっしゃ! なら、今日も一日、頑張るとするか! 終わったら久しぶりに戦闘訓練がやりたいな。てか、アリアの行方はまだ分からないのか?」
五件くらいなら余裕だとあたしは笑顔になる。それはそれとして十日経過したしなんらかの進展が無いか聞いてみた。
「ああ、そういえばナーフキットに入って調査をしていると連絡がありました。包囲網は敷いているのであの国から出ることはできないと思います」
「ということは時間の問題だな」
「国境を抑えておけば逃げられんからのう。顔は知っておる、もう少し我慢じゃ」
「オッケーだ。それにしても、今頃なにをやってんだろうなあいつら」
「本当だよー。さ、聖女様。今日もよろしくお願いしますー」
「ええ、フォロー頼みますよ、シルファー」
うやうやしく頭を下げるシルファーに威厳を持って接する。
そこであたし達はプッと噴き出して顔を見合わせた。
早く見つかって欲しいけど、この生活が無くなるのもちょっと勿体ないかもと、胸中で親父に謝りながら玉座へ向かう。
ここに戻ってきたらどんな文句を言ってやろうかな?
ま、フランツとの付き合いは援護してやりたいけどな。
そういや親父に手紙を出してなかったな……しばらくかかるなら出しておこうかなあ。
ただ、聖女をやっているから帰れません、なんて言った日には納得しないどころか押しかけてきそうだなあ……。
ついでに今度町に行ったとき、ギルドに行って調査を進めておくか。
調査報告書として手紙を出しておけば無事なのも伝わるしそれでいこうと決めて、今日の仕事に臨むのだった。