増倉に言われたことを考えていたら、午後の時間はあっという間に過ぎた。
気づけば全員のオーディションが終わっていた。
樫田と津田先輩以外の全員が待機所の教室へ集められた。
そして教卓に手を置きながら、轟先輩が部長としてみんなを見る。
「皆さん、お疲れ様でした。オーディションどうでしたか? 全力を出せた人もミスしてしまった人もいるでしょう。でも後悔をしないでください。舞台演劇とはお客さんに
『はい』
みんな緊張感のある返事をする。
そりゃそうだ。もうすぐ配役発表だ。
運命の時と言っても過言じゃない。
「みんな緊張しているね! 色々注意事項とか細かいこと言おうと思ったけど止めた! 配役発表と行っちゃおうか! コウ! 二人を呼んできて!」
「……ああ、分かったよ」
そういうと、木崎先輩は教室を出て、演出家の二人を呼びに行った。
轟先輩のテンションに誰もが付いて行ってない中、樫田と津田先輩が木崎先輩に連れてこられた。
「轟先輩、配役発表は最後じゃなかったんですか?」
「いつも急だねぇ、轟ちゃんは!」
「樫田ん、津田んごめん! やっぱり最初にお願い!」
「はぁ、分かりました」
「さすがだね! ありがとう!」
そういうと轟先輩は、教卓のポジションを樫田に譲った。
樫田は真剣な表情で全体に視線を向ける。
場の緊張感が一気に増加していく。
「なるほど、こりゃ最後にはできないですね。津田先輩、黒板の方お願いしていいですか?」
「オーケー」
何かを察したか樫田はそう言った。
そして津田先輩は黒板に役名だけを書いていく。
静かに、黒板とチョークの摩擦音だけが聞こえる中、ゆっくりと樫田が話し出した。
「では、これから配役発表をしたいと思います…………が、その前に演出家として少し話させてください」
誰かの息を呑む音がした。
それを確認する暇もなく、樫田が続ける。
「今回、正直すごい悩みました……いや、この言い方だとまるで悩まない配役があるみたいですが、そういう意味ではなく皆さんの希望、個々人の技量、成長速度、経験などは当たり前として」
樫田はそこで一度区切り、全体を見渡した。
一瞬だけ俺と樫田の目が合う。
たぶん他の全員とも目を合わせているだろう。
そして緊張感がピークに達する。
「……これは言うつもりはなかったのですが、俺からの
真っ直ぐに樫田を見ていた俺は他の人の反応が分からなかった。
いや他の人など気にもしていなかった。
それほど言葉の続きに意識を向けていた。
「傲慢かもしれませんが、演出家として……いや、俺は俺なりにこの部活のことを考えています。そしてこの配役は大きな分岐点となると思っています……大袈裟と笑うかもしれませんが俺はそれぐらい真剣に決めました」
ピークに達したはずの緊張感はそのままの空気を維持していた。
きっと誰もがその意味を理解したのだろう。
俺たち二年生は当然として、一年生たちでもその本気度を理解できただろう。
樫田はみんなの反応を確認すると一度津田先輩と目を合わせた。
そして津田先輩が頷くとみんなの方を再び向き、言った。
「では配役発表に参ります」
『…………』
みんな静かに、続きの言葉を待った。
空気は一切の弛緩をせず張り詰めたままだった。
「まずは皆さんに一つお伝えしたいことがあります。今回、役者十人に対して配役は九つと一席足りない状態でした」
でした?
過去形で話すことに違和感を覚えながら黙って続きを聞く。
「先週の土曜稽古の時、とある役者から裏方に回ってみたいという相談を受けました…………もう察している方もいると思いますが、その役者には音響をしてもらいます」
それって……。
ふと、先週男子四人でゲームをした時を思い出す。
「一年金子大輝には今回、音響に入って頂きます」
樫田が言葉を聞いて、みんなの視線が金子に集まった。
驚きや困惑するものもいる中、金子は立ち上がった。
「っす。皆さんに黙っていたこと申し訳ないっす…………けど、先週の土曜日に先輩たちの朗読劇を観た時に役者としての自分に疑問を持ったっす。樫田先輩に相談して裏方を希望したっす」
金子は具体的な理由を言わなかった。
だが想い悩んだ結果なのだろう、と感じた。
「…………」
「……」
田島と池本を見ると、二人は何かを言いたげだった。
けど発言することはなく黙って事態を受け入れていた。
「……まぁ、思うところのある人がいるかもしれないがこれは決定事項だ。そういうのは後で個人的にどうぞってことで……配役発表を続けるぞ」
樫田も二人の様子に気づいたのか、そんなことを言った。
金子は座り、全員が再び樫田の方へと注目する。
ああそうだ。気になることはあるが今は配役発表だ。
「まずは主役から行こうか……二年生は分かっていると思うし、一年生たちも察しているだろうが主役というのは劇の中心であり、それは本番だけじゃなくて稽古においても雰囲気や空気を左右させる重要なポジションだ」
樫田が前置きのように主役について説明した。
そんなのいいから早くしてくれ。心臓が爆発しそうだ。
俺の心臓が高鳴り続ける中、樫田はゆっくりと言った。
「今回の劇、主役は杉野に預けることにしました」
その言葉を聞くとさっきまでの高鳴りが嘘のように静かになった。
樫田が真っ直ぐに俺を見てきた。
いや、他の全員も俺のことを見ていた。
ほんの少し静寂が流れた。
気づくと音が聞こえた。
音の方を向くと轟先輩が笑顔で拍手をしていた。
それに倣ってか、みんなが拍手をし出す。
これは俺に向けられたものか。
教室中を包んだその音で、ようやく俺は自分が主役に選ばれたのだと理解した。
ああ、決まったんだ。
色んな感情がこみあげてくると同時に、現実では拍手の音が止んだ。
「杉野、何か言いたいことはあるか?」
「ああ、そうだな……」
樫田に聞かれ、俺は立ち上がる。
考えのまとまらないまま、それでも俺は口を開く。
「今回、主役を預かりました。……さっき樫田が言っていた通り主役っていうのは重要なポジションだということは理解しています。その上でみんなに言っておきたいのは劇において重要じゃない役はありません。それぞれの役がそれぞれの意味や価値を持っています。そして、俺はみんなで最高の劇を創りたいと思っています。そのためには例えそれが望んだ役じゃないとしても、ほんの少しのセリフしかないとしても、預かった役と向き合って全力で来てください。俺は主役としてみんなの全力を受け止めて、全力で応えます。だから一緒に楽しんで最高の劇をしましょう」
頭ん中が真っ白になりながら俺は言った。
ちゃんと言えただろうか。ちゃんと伝わっただろうか。
言っておきながらそんなことを思う。
だが杞憂だった。
再び、盛大な拍手に教室中が包まれたからだ。