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第109話 オーディション昼休憩 それぞれの想い

 オーディションは二年女子を終えたところで昼休憩に入った。

 待機所となっている教室で昼食をとる。

 二年男子と金子の五人で集まった。

 それぞれ机に弁当を置く。

 始めに口を開いたのは大槻だった。


「お疲れだな、樫田」


「分かるか?」


「顔が死んでるよ―」


「お疲れ様っす」


 山路の言う通り、樫田の顔は死んでいた。

 審査する側の苦悩なのだろう。


「大丈夫かよ、まだ半分もいってないだろ」


「大丈夫だ。ただここまで疲れるとは思ってもなかったな」


「ふーん」


 オーディションのことであるから、みんなあまり深く聞けずに話が変わる。


「次お前らだが、最初は杉野だから」


「お、マジか」


 樫田がさらっと重要なことを言う。

 この一時間休憩の後、すぐに俺の番らしい。


「で、その次が山路、、最後が大槻だな」


「りょうかいー」


「おう」


 二人とも平然と返事をしていたが、その目には決意が満ちていた。

 静かに、空気がひりつくのを感じた。

 同じことを思ったのか、樫田が軽く笑いながら言った。


「今から緊張したら持たないぞ」


「じゃあ、今言うなよ」


「だねー、もうスイッチ入ったしー」


「そうだぞ、樫田」


「俺のせいかよ! 酷いよなぁ金子」


「じ、自分っすか!? えっと、その……」


 樫田が金子に話を振ったが、困らせてしまったようだ。

 まぁ、後輩からしたらどっちに立っても感じか。


「てかさ、今思ったけどラストは金子で確定なんだよな」


 大槻がふと気づいた。

 確かに女子男子の順番なら、最後は一年男子の金子ということになる。


「っす。覚悟はできているっす」


「さすがに気づいていたか」


「最後って一番緊張するよねー」


「そうか? 俺は最初が一番緊張するけど」


「まぁ、そこは人の好みだろうな。金子も覚悟が出来ているなら大丈夫だろう」


「っす」


 樫田の言葉に、短く返事をする金子。

 そういえば、先週の土曜稽古のときに金子に相談されたって言ってたな。

 何か意図があるのだろう。

 気にはなるが、今はそれよりも自分のことだ。


「ごちそうさまでした」


 俺は一人、手を合わせて食べ終える。

 金子が不思議そうに見ていたが他のみんなは「だろうな」と分かっている様子だった。

 そのみんなの様子から金子もなんとなく察したのか、特に何かを聞かれることはなかった。


「じゃあ、俺外の空気吸ってくるわ」


 弁当を片し、台本片手に俺はみんなを見た。


「ああ、じゃ四十分後ぐらいにまたな」


「健闘を祈るわ」


「先輩、応援してますっす!」


「杉野―」


「ん? なんだ山路?」


「頑張ろうね」


 そう言って山路が拳を突き出してきた。

 俺は笑顔でその拳に自分の拳をぶつけた。


「ああ、お互いにな」


 満足そうな山路とそれを楽しそうに見るみんなを後にして、俺は教室を出た。



 ――――――――――――――



 吹奏楽部やその他の部活も昼休憩中なのだろう。

 土曜の桑橋高校はやけに静かだった。

 下駄箱から外に出ると五月特有のやや暖かい風が吹いていた。

 これから梅雨に入り、そして夏本番になるだろう。


 俺は細く長く息を吐く。

 全身の力が抜ける。

 ああ、まるで幕の裏側にいる気分だ。

 どこまでも鋭く、過敏になっていく。

 だからか、後ろから近づいてくる足音に気づいた。

 俺は振り返らずに聞いた。


「椎名か」


「よく分かったわね」


「なんとなく、な」


 徐々に足音が大きくなり椎名が俺の横に立った。


「邪魔したかしら」


「いいや、準備は終わったよ」


「そう、良かったわ」


「それで、どうしたんだ?」


「私も一言って思ったのだけど無理だったわ」


「え?」


 俺は椎名の言っていることの意味が分からず聞き返した。

 彼女は微笑みながら教えてくれた。


「だって、私からは言いたいことがたくさんあるもの」


「ああ、そういう」


「だから、少しだけいいかしら?」


「ああいいよ」


 俺は二つ返事で頷いた。

 だって、その言葉は俺に勇気をくれるだろうから。


「私たちの……いえ、私の目的は変わらないわ。けど池本のことを杉野が解決してくれた時、安心したの」


「椎名……」


「おかしいわよね。自分では覚悟を決めていたはずなのに。いざその時になるとどうしても後悔が生まれてきた。選んだはずなのに、選ばなかった方が心に残っていたの」


 ああ、だからあのとき俺に期待をしていたのか。

 それはおかしなことではない。人は何時だって迷う。

 決断した前も後も迷ってしまう。


「そして今も……いえ、これは違うわね。とにかく、私はあなたに期待しているわ杉野。例えこれが重荷になろうとも、私はあなたに期待していることを隠せないの」


「重荷じゃないよ」


「本当に?」


「ああ、それが俺を奮い立たせてくれる。池本の時もそうだ。あのとき椎名と話さなかったら俺は自分の気持ちに気づかなかった」


 俺がそう言うと椎名は一瞬、静かに笑った。

 そしてすぐに真剣な表情で俺を見てきた。


「なら杉野。今回も期待させて。私たちの目的が後悔ない選択だって」


「おう、任せとけ」


 俺は胸を張って答えた。

 椎名は俺の返事を聞くと表情を和らげた。


「ありがとう。私から以上よ。いってらっしゃい」


「ああ、行ってくるわ」


 そうして、俺は校舎の中へ戻った。



 ――――――――――――――



 オーディション会場の教室に向かうと、扉の前に見知った顔が待っていた。


「あ、杉野先輩!」


「お、お疲れ様です!」


 そこにいたのは田島と池本の後輩女子ペアだった。

 俺が近づくと、元気よく挨拶してくれた。


「おう、お疲れ様。どうしたんだ?」


 そう聞くと、田島が池本を俺の方へ押し出す。


「ちょ、真弓ちゃん!」


「ほら! 時間ないよ!」


 田島に背中を押されながら、池本が俺と向き合う。

 ? なんだなんだ?


「その、杉野先輩。お忙しいときにすみません。でも、その…………頑張ってください!」


 池本は顔を真っ赤にして、そう言った。

 ああ、そういうことか。

 これは池本なりの感謝なのだろう。

 目の前の後輩からのエールを俺は素直に受け取った。


「ああ、ありがとう」


「!」


 俺の返事が嬉しかったのか、池本は満面の笑みになった。

 田島も嬉しいにしている。


「じゃ、じゃあこれで失礼します!」


「あ、春佳ちゃん! ちょっと!」


 池本はそれだけ言うと、急いで待機所の教室の方へ戻っていった。

 そして田島もそれに続いた。

 ……嵐のように去っていったな。

 だが、不思議と集中力は切れていなかった。

 むしろ、体の中から何かが溢れそうな状態だった。


「いいね、最高の状態だ」


 俺はそう独り言をつぶやく。

 もちろん返事はない。

 俺はスマホで時間を確認する。

 間もなくだった。


 最後に細く長く息を吐いて俺はオーディション会場の扉を開けた。



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