「どこまで行くんだよ」
「喉乾いたから自販機まで」
増倉の背中に話しかけると、荒々しい返事だった。
完全にご機嫌斜めだな。
教室に戻ってきた池本の様子から、まさかとは思っていたが確信を持った方が良いな。
上手くいかなかったのだろう。
となると――。
俺は思考を巡らせる。
その可能性も考慮していた。
薄情かもしれないが、俺は演出家として劇を創り上げる責任がある。
だがその選択を俺は取れるのだろうか。
もちろん、判断を下すのはオーディションをしてからだ。
軽率であってはいけない。
状況を把握して、情報を整理して、条件を定めて決めるのだ。
俺は密かに拳を握る。
購買横の自販機まで着くと増倉は缶の紅茶を買い、一気に飲み干した。
まだ苛立っているようだったが、後一時間後には練習が再開する。
待ってはいられなかった。
「少しは落ち着いたか?」
「全っ然」
そういって持っている缶を握りつぶす増倉。
物騒過ぎるだろ。おい。
缶をゴミ箱に入れる増倉の背中に話しかける。
「分かってんだろ。午後の練習まで時間がないんだぞ」
「そっちこそ、だいたい何があったか分かっているんでしょ?」
「……だとしても憶測だ。俺がこっちについてきたのはより情報が得られると思ってからだ」
「……分かった。話す」
「簡潔に頼む」
増倉は何があったか、端的に話してくれた。
予想通り、うまくいかなかったらしい。
いや、心情の吐露までした。それ自体は大したものだ。ただそれだけではきっと現状は変わらないだろう。
問題は残っている。
「ねぇ樫田。池本は……どうすればいいと思う?」
増倉が不安そうに聞いてきた。
やけに重い質問だった。
どうすればいいかって? 俺が知りてぇよ。
だが、そんなことは言えない。
決断の時は迫っているのだ。
「少なくとも、これ以上部活の時間を割くことはできない」
「そういうこと、言うんだ」
「俺には! 演出家としての責任がある……分かってんだろ」
「舞台の外はどうでもいいって?」
「誰かは落ちる。これは確定事項だ」
「それは分かっている……分かっている! でもさ! 残酷だよこんなの!」
増倉の声が上擦っていた。
残酷。ああそうだな。残酷だ。誰かは舞台に上がれない。それはどれだけの辛さか想像に難くない。
けど、けどよ増倉。
「残酷でも、それが現実だ」
俺がそう言うと胸ぐらを捕まれ、思いっきり引っ張られる。
「おい」
鋭い目が睨まれ、どすの利いた声が耳に届く。
義憤に駆られたのか、その目は怒りで満ちていた。
だが、俺は動じずに言う。
「増倉。お前が部活に平穏無事に楽しさを求めているのは知っている。けどよ。これはオーディションなんだ。なりたい役に誰もがなれるわけじゃない。やりたいことを誰もができるわけじゃない」
「そんなことは私も分かっている! でも! せめて挑む意味のあるオーディションではあるべきでしょ!」
「それを決めるのは池本自身だ」
「…………気づいているよ」
増倉の手が緩み、離れる。
彼女の口からこぼれた言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
「おい、まさか」
「そう。池本は気づいている。落ちるのは自分だって」
「……そうか」
だから、挑む意味のあるオーディション。
はたしてどれほどのものだろうか。意味のないオーディションに挑むというものは。
「私は、そんなのってないと思う」
「…………」
増倉の言いたいことは分かるが、これではいつまでも平行線だ。終わらない。
話の方向性を変える必要がある。
「なら、増倉は現状を変える手があるのか?」
「それは、まだないけど」
「結局のところ、そこだよな。打開策がないから行き詰っていんだよ」
「……そうね。樫田は? 色々考えたんでしょ?」
増倉が期待するような目でこちらを見てくる。
どういったものか一瞬迷ったが、俺は素直に言うことにした。
「考えてはきた。こうなるかもしれない可能性もな」
「……それで?」
「四つ。俺が提示できるのはそれだけ」
「十分だよ! 聞かせて!」
「一つ。諦め」
「却下」
「おいまだ途中だろうが。ったく…………二つ目はこのままチームごとに分かれての練習」
「それって要は現状維持ってことでしょ。却下」
「……三つ目は、なんだ。本人が変えられないなら他を変えるしかないだろう」
「どういうこと?」
「台本もしくはオーディションの変更」
俺がそう言うと、増倉は大きく目を見開いた。
そりゃそうだ。これは禁じ手。
部長が、いや先輩たちが決め手事に今更ケチつけようってんだから。
それにその結果、今までの練習期間も意味がなくなる。
「それはない。却下」
それを理解してか、増倉は即座に否定した。
俺は少し安堵する。
自分から提案しておいて、賛同されていたら俺は増倉を軽蔑していたかもしれない。
「それで?」
「ああ四つ目なんだが――」