俺は考える。
これで良かったのかと。
池本の不安は消えたかもしれない。
ただ、それだけではないだろうか。
問題の本質は何だった?
俺がすべきだったことは?
そして増倉の言葉の真意は?
色んな事が脳裏によぎりながら、俺は池本と話した。
動き出した歯車は止まらなかった。
その間、増倉は黙っていた。
俺は直感的に理解した。
これは失敗だ。
「先輩、ありがとうございました。話していたら少し楽になりました」
「……いいや、どういたしまして」
池本がお辞儀をした。
すでに泣き止み、穏やかな表情だった。
内心落ち着かなかったが、きっと今の俺は笑顔だろう。
「さて、もう昼前だな…………池本、先に戻ってくれるか?」
俺は何かを誤魔化すように急かした。
対して池本は笑顔で頷く。
「はい、分かりました。先輩たちは?」
「私達は少し話してから行くよ。悪いんだけど樫田にそのこと伝えといてくれる?」
「分かりました」
増倉が池本の質問に答えるのを見て俺の中で何かが騒めいた。
けど、必死に抑え込み池本に悟られないように気を付けた。
そして俺たちは池本が教室を出るのを見送った。
扉の閉まる音を確認してから数秒、沈黙が続いた。
お互い喋らずに、向き合わずにそこにいた。
静寂を破ったのは増倉だった。
「話したいことがあるんじゃないの?」
「そっちこそ、言いたいことがあるんじゃないのかよ」
俺は自分でも苛立っているのが分かった。
増倉はため息をついた。
「はぁ、正直ああいう話に持っていくとは思ってなかった」
「仕方ないだろ」
「分かっているの? 結局状況は変わってないんだよ?」
俺はすでに増倉の言いたいことを分かっていた。
そう。池本の内側の問題は解消できたかもしれない。
ただ、現実の外側の問題は解決に至れていないのだ。
つまり、池本がオーディションで落ちること。
そのどうしようもない問題の解決は出来ていない。
俺は増倉の方を向いた。
「言いたいことは分かるよ。けど、増倉こそ何で俺が答えを持っているなんて言い方したんだよ。答えって何だったんだよ」
「今となっては証明できないことだよ。でも少なくとも答えは杉野の中にあったと思う」
「なんだよそれ」
意味が分からなかった。
俺にとっては、さっき出せる最大全の答えだったと思っている。
それを違うと増倉はさも当然のごとく言った。
「別に間違っているとは言わない。けど、たぶんこのままじゃ池本は落ちるよ」
「それは……そうだけど」
「どうして杉野はさっき、もっと土足で心に踏み込まなかったの?」
「土足で? どういう意味だ?」
「だってそうでしょ。あんなのただ肯定しただけじゃない」
「……」
増倉の言葉が嫌に響いた。
核心を突かれた気がして、俺は恥ずかしくなった。
「必要なのは変化だったと思う」
「っ!」
「その顔ってことは、気づいてはいたんだ」
「まぁな……」
つまり増倉も俺と同じことを感じたということだ。
肯定してはいけなかった。
変化を必要とするなら肯定し、現状を良しをするべきでなかった。
今更、そんな後悔が襲う。
「それはさ、香奈の差し金?」
「椎名? どういう意味だ?」
「そっか……違うんだ」
一人納得する増倉。
俺は訳が分からなかった。
「だとしても、これからどうするの?」
「どうするって」
どんどん話を進める増倉に俺はついていけなかった。
気になることもあるが、今は池本のことに集中しよう。
「私は、今のままじゃダメだと思う」
「そうだな」
「確かに誰かはオーディションに落ちるけど、だからって助けない理由にはならないでしょ」
「ああ」
「それで、杉野はどうするの?」
「そりゃ、出来る限りサポートするさ」
「……そう」
何が不服なのか、増倉は短く答えた。
何なんだ一体。
俺が増倉を睨みつけると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……私さ、香奈が何を目指しているのか。大体想像がついている」
「…………」
「その上で聞くけど、本気なの?」
「ああ本気だよ」
「何で? 杉野って穏やかに過ごしたい感じだったじゃん」
「そうだな。去年度の俺は平穏を望んでいたな。けどさ、それは別に悪いことじゃないだろ?」
「身の丈に合ったことがあると思うよ、私は」
悪いとも良いとも、彼女は言わなかった。
どう受け取ったものか。
「けどね。その道に進むってことは、たぶん今の杉野じゃ無理だよ」
「どういう意味だよ?」
「すぐに分かるよ」
予言めいた増倉の言葉の意味を、俺はすぐに実感することになる。