なんでと聞かれれば難しいのだが、当時の俺は確実に大槻や山路の言葉で渇望と向き合うことができた。
だから、俺は笑って大槻に伝える。
「存外、心に土足で来て言葉刺すのは俺だけじゃないってことだよ」
「なんだよそれ」
訳の分からなそうな大槻だが、それでいいのかもしれない。
あれは俺以外からしたら些細なことだからな。
「それよりほら、一年生たちにアドバイスしてやれよ」
「ったくお前もか……あー、そうだなー」
そうも言いながらも大槻は真剣に考え始める。
なんやかんや面倒見のいいやつではある。
数秒、俺と一年生たちが言葉を待つ。
「まぁなんだ。渇望っていうのがなんであれ、どうやったら池本は納得するんだ?」
「納得ですか?」
「そう。俺は何で杉野がその話をしたのか、池本の悩みがなにかは知らない。けど渇望の話をしてそこに答えがあると思った。そして二人に相談した。その様子からして納得しなかったんだろうけど、それは答えに辿り着かなかったからか?」
「…………」
大槻の質問に池本は黙った。
俺は知っている。相談されたあの時、池本は自分の望みについてなんとなくこれだろうというのがあると言っていた。
つまり、池本自身は辿り着いているはずなのだ。
二人に相談したのは俺の助言があってだろう。
では、池本が今気にかかっていることは何か?
「……人間ってのは、例えテストの結果が百点満点でもかけっこで一番をとっても納得しないことがある。自分の中で何かが気に食わない。それが結果で出ていることでも過程に問題がなくても納得しない」
「……答えはもう出ているってことですか?」
「そこまではなんとも。ただ今出せるものは出揃ったんじゃないか? もしまだ納得でもなくても今できることはないのかもしれない。ひょっとしたらそのこと自体が納得できないことかもしれない」
「…………」
「じゃ、じゃあ、出来ることがないならどうするですか? 気になったことを放置するんですか?」
池本が何も言わないのを感じたのか、田島が焦ったように大槻に聞いた。
気になることはある。でも今はどうすることもできない。
そのジレンマに解決策はあるのか。
「それも一つだが、もしそれでも行動したいなら答えなんてものは気にしないことだ」
「答えを気にしない……?」
「俺が聞いたのは『納得』するかどうかだ。必ず答えが必要なわけじゃない。時には精一杯やった過程が、時には問われた疑問そのものが『納得』に変わる時がある」
「「「…………」」」
大槻の助言に一年生たちは黙り込む。
何を感じ、何を考えているのかは分からないが、その様子は決して悪くなかった。
考察、尊敬、苦悶。
それぞれの心の動きは違ったが、何かを得たことだろう。
そんなことを思っていると、テーブルの下で俺の足に何かがぶつかる。
思わず大槻の方を見ると、不安そうな顔をしていた。
「少し偉そうだったか……?」
「そんなことないさ、いいアドバイスだったと思うぞ」
笑って答えると、安心したかのように大槻は肩の力を抜いた。
俺とは違うアプローチの仕方であり、視野を広げるにはいい助言だったと思う。
大槻らしい、物事に囚われない考え方だ。
「大槻先輩」
「ん?」
「納得できなくても行動しないといけないときは、どうしてますか?」
「…………」
池本がした質問に俺の胸が高鳴った。
その質問はまるで、今の状況を言っているように感じたからだ。
大槻は自分が部活を辞めなきゃいけないと思っているが、それは納得しているわけではない。
懺悔しなきゃいけない。だが誰もが納得するだけの罰がない。
一年生たちの視線が大槻に集まった。
まずい。俺が咄嗟に話を変えようとするが遅かった。
先に大槻が答える。
「そりゃ辛いよな。でも俺ならそれを受け入れるよ」
「それって――」
「ああ、きっと後悔するだろうな。悔しくて苦しくて泣いて喚いて罪悪感でいっぱいだろう」
「ならどうして行動するんですか? 納得できないんですよね?」
「俺が納得しなくても周りは動くし、全てが待ってくれるわけじゃない。人生そんなことばっかだよ」
達観したかのような冷めた発言。
それは誰へ向けた言葉だろうか。
聞いていた池本は少し暗い顔をして、下を向いた。
大槻はそれで察したのか、それ以上は言わなかった。
だから、俺もそれで話が終わりだと思った。
けれど彼女は納得いかなかったのだろう。
「それは違うと思います」
田島がはっきりと言った。
誰もがその否定に驚いた。
田島は真剣な表情で、大槻をまっすぐに見た。
「世の中待ってくれないことばっかりだし、納得できないで勝手に始まって仕方なく終わることもあると思います。でも後悔するって分かっていることを受け入れるのは間違っていると思います」
「じゃあ、どうしろって言うんだ?」
少し苛立った様子の大槻が聞き返す。
それでも田島は動じずに堂々としていた。
「後悔する一秒前まで抗います」
「……っ!」
「何が問題だったか、何が失敗だったか、何が残っているのか。そういうことを全部考えて考えて…………自分が納得するまで抵抗します」
「それで、もっと後悔するかもしれないんだぞ」
「いいじゃないですか。中途半端に後悔するぐらいなら一生の後悔をしましょうよ。少なくとも私はそっちの方が好きです」
何を思ったのか、田島は真正面から大槻を否定した。
清々しいまでの一刀両断だった。
大槻は呆気にとられたかのように固まったが、すぐに笑顔になった。
「ははは、そうか、一生の後悔か……その通りだな。俺もそっちの方が好きだわ」
吹っ切れたようなその言葉の意味を一年生たちは分からなかったかもしれない。
ただ俺は感じていた。大槻の心の炉に灯が宿ったことを。
「すまんな。うまくアドバイス出来なくて」
「そんなことないっす! 納得の話勉強になったっす!」
「はい、なんだか新しい考え方に出会った気分です」
「そうですよ。さっきのはあくまで私だったらって意見ですので、納得の話まで否定したわけじゃないですよ」
「そうか、ありがとう」
大槻はそう言いながら、チラッと俺の方を向いた。
なんとなく、その意味を察した俺が立ち上がる。
「じゃあ、俺たちはもう行くわ」
「え、行っちゃうんですか!?」
「一年生の秘密の話し合いにこれ以上いても悪いし。な、大槻」
「そうだな。そうするか」
そう言って大槻も立ち上がる。
どうやらこれで良かったみたいだ。
一年生たちは名残惜しそうだったが、まぁ、ここから先は自分たちが考える時間ってことで。
俺と大槻は一年生たちと別れ、店を出た。
人波に紛れ、歩いていく。
「なぁ、杉野」
「ん?」
「俺が後悔する一秒前まで抗うって言ったら笑うか?」
「…………」
無言で肩パンしてやった。
大槻が驚いた顔でこっちを見る。
俺はニヤッと笑う。
「ああ嬉しくて笑うよ、馬鹿」