「チキンだねぇ。杉野」
「うっせい。自覚はあるけど」
楽しそうに笑う樫田。
そう、俺は結局トイレに行くことを選んだ。
並んで小便をする俺たち。
「消去法だろ?」
「……しかもお見通しかよ」
樫田は分かっているのだ。
俺が迷っていることに。
さっきの椎名と増倉のやり取りを見ても、俺は自分の意見を持てずにいた。
だから部屋に残ることも外に行くこともしなかった。
「テキトーに椎名に話合わせれば楽なのに」
「そういうのは…………なんか違うだろ」
「生き辛い性格だこと」
「そういう樫田はどうなんだよ。その、辛くないのか?」
「ん? 何が?」
「そのまとめ役っていうか進行役っていうか」
樫田と椎名のやり取りを聞いて、俺は樫田を勘違いしていたのかもしれないという考えが脳裏によぎった。
この一年、俺たちが議論するときはいつも樫田が進行役だった。
だからいつも公平で、平等で、自分より周りを尊重できる良い奴なんだと思っていた。
けどさっき夏村の話を聞いた樫田は、いつものような落ち着いた進行役をするのではなく、沈黙して静かに怒っていた。
それは俺の知らない彼だった。
「まぁそうだな。演劇部の俺らしくないって言えばそうだったな」
「なんか含みのある言い方だな」
「そんな意味深じゃないさ。人間は多面的で誰にだって知らない一面があるってだけの話だ。俺だって杉野の家での様子とか知らないしな」
「言いたいことは分かるけど」
果たして、さっきのはそう言うことだろうか。
なんだかはぐらかされたような気がしないでもない。
「んなことより、時間がないからシンプルに聞くが、迷ってんのか?」
手を洗いながら、樫田は率直に聞いてきた。
ああ、勝てんな。
「分かるか」
「馬鹿、だから進行役なんだよ」
「…………なぁ、どうしたらいいだろうかな」
俺は素直に聞いた。
大槻に対して怒りも悲しみも同情も擁護も、いろんなものが俺の中にはあった。
そして今それが分かるのは、きっと樫田だけだ。
「難しいな。さっきも言ったが俺も迷っている。椎名ほど割り切れないし、かといって増倉ほど議論に対して前向きでもない」
「ああ」
「だから、そうだな。これは進行役としてとかじゃなくて、杉野と大槻の友達としての言葉だ」
そう前置きした樫田は、俺と向き合う。
力強い瞳の奥に何かを秘めて、言う。
「この一年、俺はお前らとバカやってきた。だから今後もバカやりたいと思っている。お前はどうだ杉野?」
その言葉は俺の中にストンと落ちた。まるで水面に石を投げたかのように。
ああ分かる、分かるよ樫田。けど。
「俺だってそうだよ。けどこれは部活の話で――」
「ああ、そうだな。椎名と増倉、そして夏村がどう思っているかも大切だ。けどな。だからこそ他人ばかり尊重するな」
「…………」
樫田の言葉に全身が震えた。
鋭い何かに刺されているような痛みが襲う。
「杉野。他人を尊重できることはお前の美徳だが、今回は違う。今ここで本音をぶつかり合わなければきっと後悔するぞ」
「さっきの椎名たちを見て、そう言えるのか」
「ああ、俺は言うぞ。怖がるな。杉野、
面と向かって、友達として樫田は俺に言う。
言葉の重みが全身に響き渡る。
「…………樫田は、怖くないのか? 人に嫌われることが」
「他人に嫌われることは知らん。けど、お前らに嫌われるのは勘弁だな」
「じゃあ!」
「でもそれは、お前らと本気で部活しているからだ」
その断言は決意表明のようで、でもそれでいてどこか寂しげな言葉。
俺は、返せるだけの何かを持っているのか?
頭の中で不安が膨張する。
「それに、俺はお前らが本音を言ったぐらいで嫌うやつじゃないって知っているからな」
「なんだよそれ、ずりぃーだろ」
「はは、そうだな」
乾いた笑いをする樫田。
俺はこいつほど強くなれない。
そんな考えがどうしても頭から離れてくれない。
そうなりたいと、そう行動しようと思うその裏に弱さが付きまとって仕方ない。
「まぁ、決めるのも行動するものお前の自由だ。だからどうする? あと二十分ぐらいここで話してもいいけど」
「…………」
樫田に聞かれて、脳裏にしたいことが浮かぶ。
ああ、本当に身勝手だな。
そんなことを思いながらもじっとしてられなかった。
「樫田。お前スゲーな」
「言ったろ、進行役なんだよ」
そういって拳を突き出してきた。
俺も拳を突き出して樫田の拳に当てる。
そして、俺たちは笑った。
「悪い、行くわ」
「おう、行ってこい」
そう言い合って、俺はトイレを後にした。